2.トンボと対話集
木を折り、祠に手をかけた巨大なトンボに、ゲンゴロは小さな雷雲をぶつけた。
バチッ!
トンボが動きを止めると、ゲンゴロは、その尻尾に縄を結んだ。
「なんでそんなことするのだ?」
「だって俺ら、ここで倒しても、魔物使いんとこにすぐ行けねえだろ」
「え、待ってぁああああああ!」
トンボが飛び立ち、二人も舞い上がった。
「ひゃあああ!」
魔物も異物に気がついた。ぐるりと宙返りしたりして、二人を振り落とそうとする。
「うわああああああ!」
いつの間にか、トンボの近くにまで縄を登っていたゲンゴロが、なにか叫んでいる。がんばって首を向けると、白いものが飛んでいった。
「やっべぇ帽子! 4号に怒られらぁ!」
なら、こんなことしなければいいのに。言いたかったが、そんな余裕はない。ハタタカの帽子は、とっくにどこかへ行ってしまった。
トンボは急に身体を消し、魂だけの姿に変化したので、ふたりは空中に放り出された。
「いやあああああ!」
ゲンゴロが、縄の輪を木にかけて、ギリギリ地面に激突はしなかった。ブラブラしてるハタタカを、下男は縄を切って、雑に落とした。
「〜〜〜!」
「魔物の魂、あの家に向かったぞ」
「うう…ゲンゴロのバカー!」
百年前の荒っぽいやり方に、温厚なハタタカも怒ったが、言われ慣れてる古の勇者は、いちいち振り向きもしない。
若き勇者も立ち上がり、後を追った。
※
「何かの見間違いではありませんか」
玄関に現れた若い男は、眼鏡の奥から勇者たちをにらんだ。ハタタカはひるんだが、ゲンゴロは左眉をちょっと動かしただけだった。
「あ、あの……ほかに誰か、いないのだ?」
「父も母も、祖父も畑に出ています。家には、ぼくと祖母だけです」
「会わせてもらえねぇかな」
「祖母が魔物使いだと言うのですか?」
「そ、それはわからないのだ…」
「会ってシロとわかりゃ、すぐ帰ら」
男は「祖母は足が悪いので」など言って渋ったが、押し負けて、仕方なく勇者二人を屋敷に入れた。
どこかから、なにか歌のようなメロディが聞こえた。青年が「ばあちゃん、どこ? お客さん!」と声を張り上げたら、音は止んだ。
間をおいて、奥の部屋から「リーちゃん、こっち」と、小柄な姿が顔を出した。
「まぁ、勇者様が我が家に来られるなんて、光栄です」
とてもきれいな標準語で話す祖母は、車椅子に座り、二人にも椅子をすすめた。リーと呼ばれた孫が渋い顔をしたので、ハタタカは「確認したら、すぐ帰りますのだ」と前置きをした。
祖母に近づく。魔王のカケラの気配は全くない。だが、身体の中に沈んでいたりして、分からないこともある。どうしよう。直接聞いてみるしかないだろうか。
「ばあちゃん、ちょっと聞きてぇんだが」
ゲンゴロが声をかけた。
「なんでしょうか」
「さっき唱えてたの、旧語の祈りだよな」
祖母の穏やかな顔がこわばった。
「いいえ、先程は歌の練習をしておりました。私は音痴なものですから」
「へえ、今どきの歌ぁ『対話集』36の12、罪の赦しを乞う一節なんか使うんかぃ」
「……!」
青ざめた老婆に、北の民が迫った。
「誰の赦しを乞うてたんだぃ?」
「ばあちゃんに近寄るな!」
黒く尖った六本の腕が、ゲンゴロをガッチリつかんだ。部屋にぎゅうぎゅうになるほど巨大なトンボの、複眼と肉食らしい牙が、古の勇者に迫る。