1.百年前の心遣い、現代の常識
「あーいたいた。出てきな、もう魔物はいねぇよ」
勇者の下男・水使いのゲンゴロは、植え込みに隠れていた子供に声をかけた。だが男の子は、見慣れぬ若い男にビックリして、泣き出してしまった。ゲンゴロは、困った顔で子供を抱き上げた。
「泣くなって、男だろ……しょうがねえなぁ…ほら、おっかさん来たぜ」
ゲンゴロが子供の顔に触れ、水の術で涙と鼻水を飛ばす。
次の瞬間、男児の母親が助走をつけて下男をぶん殴った。
「術で涙を飛ばすと、瞳に必要な水分や油分まで飛んでしまいますので、今はやらないのです。目の痛みや疲れ、傷つき、視力の低下などの原因にもなります。子供であれば、尚のこといけません」
「へえ」
下男は、ロボット・擬人1号による解説を、興味深く聞いた。彼が勇者をやっていた百年ほど前には、そんな話は聞いたことがなかった。母親に殴られ罵られたことなんて、もう忘れていた。
「ゲンゴロ、ドライアイなのだ?」
お勤めを果たして合流した少女勇者・ハタタカが、下男を見上げた。
「どらいあい? なんでえ」
「目は、乾きすぎると逆に涙が出る、と聞いたことがあるのだ。ゲンゴロ、よく泣いてるのだ」
「泣いてねえ」
「泣いてるのだ。コッソリ水分を飛ばしてるのだ。1号、あれ、目によくないのだ?」
「良くありません」
めざとい勇者様に観念して、下男は態度を変えた。
「あー…やけに出るんで不思議だったけど、そんなコトあんだなあ。知らなかったぜ」
「体が変だなって思ったら、ちゃんと言うのだぞ。1号、ゲンゴロ用の目薬を買うのだ」
「はい、すぐに」
若き勇者は、古の勇者にビシッと言った。
「ゲンゴロ、もう術で涙を飛ばすの、やめるのだ! 今度やったら雷なのだ」
ハタタカは、人差し指で空をさした。ビリッ、と電気が走る。
「冗談じゃねえぞ。勇者様の雷なんて落とされたら、俺ぁこんがり焼けちまって、涙どころじゃなくなっちまぁ」
「大丈夫なのだ、ちょん、ってするだけなのだ。それに、術で涙を飛ばさなきゃいいのだ。ゲンゴロは左目だけなのだ、大事にするのだ」
「大事にって…どうせ潰れても治っちまう不死身の体よ、気にするこたぁ痛え!」
勇者の小さな雷を受けて、下男は飛び上がった。
「へえ、今どきの目薬入れは軽ぃなぁ」
ゲンゴロは、左目にてん、と薬を垂らした。パチパチと目をまたたく。
「ゲンゴロ、目薬さすの、うまいのだ」
「水使いだぞ、こんくれえ痛え!」
流れ出た薬を、思わず術で飛ばそうとして、下男は雷を受けた。
「チリ紙で拭くのだ」
「勿体ねえな」
「目が乾いちゃうよりいいのだ」
言われた通りにするゲンゴロを見て、ハタタカはニッコリした。
「本当によかったのだ。心配だったのだ」
「あ?」
「ゲンゴロは今の世界に、嫌なことや悲しいことが沢山あるのだと思っていたのだ。でも目薬で治る涙で、よかったのだ」
古の勇者は、薄く笑った。
「大したもんだよ、未来も、オメェも」
若き勇者は、もう一度ニッコリと笑った。




