6(終)
※虫注意
※怪我注意
「わたしのせいじゃないのに」
再び生まれたカミキリが、アクアを抱えて鳴いた。彼女はピクリとも動かない。
「アクア助手さま!」
ハタタカは困った。人質を取られたら雷を打てない。
「アイツが魔物使いだ」
「え⁈」
カミキリは羽を広げてまた鳴いた。
「わたしのせいじゃないのに」
空気の刃を飛ばしながら、自らも空中に浮く。
「そうだな、アンタのせいじゃねぇ。けど」
ゲンゴロが飛ばした何かが、カミキリの羽に穴を開け、カミキリは落ちた。
「どんなに望んでねぇ道でも、歩いてんなぁオメェだからさ」
もう二、三撃。ガラスの破片に残りの洗剤をつけて飛ばす。さすがに威力が低く、羽に穴は開けられても、脚すら折れない。
「オメェが動いてくれなきゃ手が出せねぇ」
カミキリはアクアを中足で抱え、前足でゲンゴロに飛びかかった。
避雷針を刺したが水分が足りず、傷もつかなかった。右手を脚で掴まれる。
膝で虫を叩いても、びくともしない。
掴まれた腕の血管を爆破させてもいいが、それをやるとアクアも無事で済まない。
「テメェ自分で言ってたろうが、大事なんは行った先で何するかだって。
…聞こえてんだろ、いい加減起きろ!」
☆
見たくない。聞きたくない。
あの日、なにか額に刺さった感触は、あった。
だが黙っていた。頭に刺さったカケラは取り除くのが難しい。そんなお金も時間もなかった。学費を出してくれる親にこれ以上の出費を頼めなかった。
日々のお勤めで三叉路の神様を敬い、心身を鍛錬している。魔物使いになんて、なりはしない。
そのはずだったのに、どうして。
病が能力と機会を奪っていった。
どれほど努力しても、どれほど工夫しても、倒れてしまう。日に陰に、辞めろと何度も言われる。労られることもない。
なのに。
「へぇ、苦労したんだねぇ」「がんばったねぇ」
なぜ、あの子は労られるのか。
なぜ、私は報われないのか。
気を失うたび、秘めた思いが溢れ出す。
「わたしのせいじゃないのに」
すると、耳元で怒鳴られた。
「いいから動けっつってんだよ!」
わたしのせいじゃない。
予防接種も、病気も、魔物も。
でも、後輩の髪を毟ったのは。
抵抗しているのは。
勇者達が、魔物を倒せずにいるのは。
『わたしだ』
今度こそ、自分の意思で。
『魔物から、離れないと』
カミキリが、主を床に落とした。
「よし!」
古の勇者は、カミキリを蹴り飛ばし、体当たりして奥に押し倒した。避雷針を己が肩に刺し、血を纏わせて魔物を貫く。
「ゲンゴロどけっ!」
避けた瞬間、魔物にハタタカの雷が落ちた。
☆
額に感じた熱で目が覚めた。
「アクア助手さま、大丈夫なのだ?」
「……勇者様」
ゆっくり起き上がる。
講堂はひどい有様だった。天窓もベンチも壊れているし、床にも天井にも穴が空いてて、あちこち灰や黒い液体でマダラになっている。
擬人が一体、のろのろと片付けを進めていて、あれでは夜の祈りに間に合わないかもしれない、と思った。自分でその原因を作っておきながら。
ハタタカの後ろでゲンゴロがうずくまっていた。あちこち黒く煤けているが、肩の血は止まっている。
「動けるのだ? これから対魔庁の人が迎えに来るので、そこで色々事情を話してもらうのだ」
「は…はい…あの…」
「あ、建物のことは対魔庁があとで師長さまに説明すると思うのだ…補償もあるはずなのだ」
「…カケラは」
「あっ、それなら」
「俺が壊した」
古の勇者が、うずくまったまま答えた。
「だから、これからは何かありゃ好きなだけ俺を恨みゃあいい」
アクアは、勇者の頭越しに男を見た。右手がやけに綺麗になっている。
自分の額に手を当てる。まだ熱が残っている気がした。
「では…その時に思い出せるよう、素顔を見せて頂けませんか」
「他言しねぇと誓うなら」
「はい。迷路の中でも破りません」
テマリ教徒最上級の誓いを立てたアクアに、古の勇者カンクロは擬顔を外し、仮面のように無表情な顔を見せた。
「…あなたが、本当に、人を…」
「ああ、殺した。詳しく聞きてぇか」
「……いえ」
言い淀んだのを見透かされた。カンクロの眼差しは揺らがない。アクアの方が目を逸らしてしまった。
「…勇者様の手伝いは、贖罪なのですか」
「この程度、足しにもならねぇ」
今度はカンクロが目を逸らした。小声で言う。
「…見てみたくってよぉ…『本物の勇者』ってやつを」
そして、更に小さな声で付け足した。
「俺ぁ、なれなかったから」
☆
対魔庁が来るまでの間、アクアは教堂の皆に頭を下げて回った。勇者二人も一緒に説明して回り、余った時間は部屋の片付けに費やした。
対魔庁の車が来た。
同僚たちは当たり障りなく見送った。
3人が外に出ると、館内から控えめながらハッキリと、安堵と歓声が聞こえた。
「勇者様がた、ありがとうございました。御恩は一生、忘れません」
正直なところ、胸のこの想いが感謝なのかなんなのか、アクア自身よくわかっていなかった。ただ、夢だった「教堂保育士」としては、これが最後だ。そのように振る舞った。
それに、この日のことを、このふたりの勇者のことを、恨みつらみと共に思い返したくもなかった。
「お二人によい道行を」
アクアは開いた掌の向こうで綺麗に頭を下げた。指の股を分かれ道に見立てた、教堂の人間としての挨拶だった。大人しく車に乗った。
本人の要望で、本部に行く前に被害者が入院している病院にも行った。母親に泣きながら引っ叩かれた。
用事が済んだ勇者御一行は、片付けが終わるとすぐ荷物を積み込み、教堂を退去した。もう暗かったが、退治後に長居するわけにはいかない。
さすがに2度目の風呂を借りることができなかった下男は、顔だけ洗わせてもらい、車に積んである毛布にくるまった。
「ゲンゴロ」
車中、若き勇者は下男に詰め寄った。
「ゲンゴロも勇者だぞ」
「こんな血みどろの勇者いてたまっかよぉ」
「それ自分の血じゃないか。他には誰も怪我しなかった。勇者だぞ」
下男はため息をついた。頭いいガキも面倒だ。
「あの姉ちゃん、髪抜けたせいで色々できなくって悔しかったみてぇでよ。だから悪ぶるより、そういう話の方が効くんじゃねぇかと思ってさ、うまくいったぜ」
「嘘なのか!」
「迫真だったろ?」
実は本心だったが、そういうことにしておいた。
正直に告白したのは、最後まで「教堂保育士」であろうともがいた彼女への、彼なりの餞だった。
電信板に連絡が来た。
また別の街で、魔物退治がはじまる。
(了)




