2.鞘琴
その初老の男は、ヒアと名乗った。地元の中学校で音楽教師をしているという。
「教職の傍ら、郷土の音楽も研究しております。先程の歌…『テック・テック・トッテ』は、旧カルカナデ晩期の流行歌です。若いのに、よくご存知で」
「あー…じいさんが教えてくれたんだ」
「おお! 他の歌詞はご存知ですか? 以前わたしが採取した歌詞には『町一番の金持ちさん 払いがいいのは敵かしら』というものもありました」
「そりゃ替え歌だ。ランタンの大富豪メーティーが国を捨てたのを馬鹿にして歌っイテェ!……あー、歌われたって、じいさんが言ってた」
ハタタカにちょん、と雷を流されて、ゲンゴロは慌てて取り繕った。正体がバレると色々マズイ。
「おじいさまは」
「もういねぇよ」
「それは失礼…あなたは、他にもおじいさまから歌を習ってますか?」
「……いや、あんまり」
「楽器については、どうです? 例えば、旧カルカナデ独自の携帯楽器『鞘琴』など…」
「鞘琴だと⁈ 知ってんのか⁈」
ゲンゴロは思わず前のめりになって聞いた。警告し損ねて、ハタタカも慌てた。
「ご存知ですか! 実は古道具屋で見つけはしたんですが、使い方が分からないのです。見ていただけますか?」
それは、ゲンゴロ……百年前の勇者カンクロ……が愛用していた、そしてそのために弾圧の対象になった、弦楽器。
※※※
「これです。刀は、私が買った時にはありませんでした」
ヒアはゲンゴロに、古く大きな刀の鞘を渡した。
鞘琴。太刀の鞘に弦を張って使う、カルカナデの携帯用楽器。
勇者ふたりは、居酒屋からほど近いヒアの家に来ていた。
鞘は、ハタタカには古い木製品にしか見えなかったが、彼女の下男はそれを、赤子を抱くように大事に扱った。
「弦はどしたぃ?」
「私が買った時には、付いていませんでした。六弦琴のでよければ用意出来ます。どれが使えそうですか?」
「ん…じゃあコレを。昔ぁ古い弓のツルを使ったもんで音がひでぇったら痛え! …って、じいさんが」
「ほお」
ゲンゴロは、鞘の模様を触った。三つ、指で押すと立ち上がる。
「たぶん弦の片方はそこにかけると思うのですが…あ、そうです、真ん中の模様が四つ外れます」
ゲンゴロは、外したパーツのうち、一番小さな一本を鞘の中に立てて入れた。
「あっ待ってください、録画させてください!」
「好きにしな」
音楽教師が携帯を準備する間も、下男は楽器を組み立てていく。パーツ二本を鞘端の穴に差し込み、さっき起こしたフックと、鞘先のパーツにかけて、弦を三本張る。残りの長方形のパーツを、張った弦の下に斜めに差し込み立たせた。あぐらをかいた脚の上に載せ、指で軽く弾く。ビヨン、と音が鳴った。
弦を掛け替えたり、長方形を動かしたり、別の場所を押さえたり。音が変わっていく。
「こんなとっかな」
「わあ…!」
ハタタカは目を輝かせた。目の前で楽器を見たのは初めてだ。なぜ鳴るのか、なぜ音が変わるのか? 何もかもが不思議だった。
ゲンゴロは弦を抑えながら、音を確認した。もう少し強く張りたいが、古くなった部品が保たないだろう。これくらいなら弾ける。
元々、魔物退治の礼にもらったものだった。戦いで何度も壊れ、壊し、その度に我流で直し調律したから、楽師から「何故それでその音が出る?」と不思議がられたものだ。
古の勇者は薄く微笑み、旋律に合わせ歌い始めた。
あの花は かつて見た花
あの空は かつて見た空
あっと声を出しかけて、ハタタカは慌てて口を塞いだ。歌は知らないけど、このメロディは知っている。
酔ったゲンゴロの鼻歌は、必ずこの曲で終わるのだ。
あの花や空を
教えてくれた故郷が…
ゲンゴロは、急に鞘琴をヒアに押し付けた。
「窓から離れて布団かぶってろ!」
ハタタカが魔物の気配に気づいた時には、下男は外に飛び出していた。




