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少し前の話。
メラニ修練師長は、顔に当たる風の冷たさに目を覚ました。
開いた窓に、誰かが腰掛けている。空もまだ夜が開けたばかりで暗い。
「おはようさん。不作法ですまねぇ」
「…勇者様の付き人か。何の用かね」
「アンタとサシで話したかったんだ」
ガラの最高権力者は、しばし沈黙した。
「なぜ、こうまでして?」
「アンタ、ここで何が起きてるか、全然知らねぇみてぇだからさ」
窓辺の男は魔物の呪いと被害について、かいつまんで話した。
「ここでアンタだけだよ、魔物の呪いのこと言わなかったのは。手紙にもなかった。ケガ人の人数も実際と違う。ココの最高権力者とは思えねぇ」
「…私の肩書きは、形だけです」
最高権力者は苦しげに言った。
「いくら修練堂の維持のためとはいえ、治安を乱したのは私です。今や誰も近寄らず、信用は地に落ちました。もう動くこともままならない。私は…」
「それで、ずっと拗ねて寝てたのかよ」
口調の変化に、修練師長はハッとした。
「治安を乱した、誰も信じてくれない、で? その間アンタ何してたんだよ。人に指示出すでもなく、職権を譲るでもなく。歳でも身体が動かなくても頭はまだ使えんだろうがよ」
赤銅色の左眼が煌めき、ギラリと師長を刺した。
「失敗に挫けて、立ち上がれなくなったとしても、アンタここのカシラだろうが、カシラにまでなれたんだろうがよ! 魔物が出たなら、いいかげん立ち上がれよ。出来ねぇなら辞めて譲れ、それがアンタの最低限の仕事だろうが」
師長は呆然と男を見た。
窓の外が明るくなってきた。
「…だが、この罪の重みが…」
「おかしいと思わねぇのか? 悪ガキどもが平気なのにテメェが動けねぇのが。ずっと寝てんのに、なんで頭を使わねぇ」
師長はしばし呆然とした。
朝日が空と、窓にいる男の白い髪を赤銅に染める。
師長が呟いた。
「そうか…その怠慢が、真の罪業か…」
その自省の言葉は、カンクロをも鋭く刺した。昔、ガラを同じように評した人物を思い出す。
『結局、アイツの言った通りかよ……』
☆
窓の男は、重くなった身体を立ち上げた。
「俺ぁ言いたいこと言ったから帰る。あとは好きにしな。もし呪いをかけられたら、用語集三十五を唱えりゃいい、それで大体解ける。じゃあな」
「上層部だけが閲覧できる、禁書収蔵庫がありましてね」
師長がぼんやりと語り出した。
「あ?」
「その中に、勇者カンクロがここに立ち寄ったという記録があります。カルカナデ旧教に擦り寄ろうとした黒い歴史、と封紙に書かれていました」
「…へえ」
「宿を借りにきたカンクロ一行は、本人だけ入れず門の前で野宿した、その時の門番の証言が興味深いものでした。勇者というより修練師のような孤独と厳格さがあり、北方民らしく旧語で祈ったといいます。しかし当時導入したばかりの無線通信機のことを話すと、赤銅色の隻眼を輝かせて実に楽しそうに、詳しい使い方を教えてくれたそうです」
「……一から十まで悪党らしかねぇな。そりゃあ嘘だろ」
「後に魔王とわかった同行者のタタラも、記録ではガラに泊まったとされていたので、すべてが虚偽とされ封じられました。しかし」
窓の男を見る。
「きっと、あれも本当のことだったのでしょうね」
「どうだか。それが何だい」
「なぜかな、ふと思い出して…そういえば君は昨日、門に『通信機』があると言いましたね。君も通信機の類は好きなのですか」
「……物覚えいいじゃねぇか。頭は元気なようで何よりだ。じゃ」
窓から人影が消えた。
師長は久しぶりに、自力で上半身を起こしてみた。
起こせた。
弱った足で何とか窓まで行き、旧語で祈りを捧げた。