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「えっ、目覚めたのですか? それはよかったですが、どうやって」
「よくわからないのだ」
それは演技ではなく本心だった。
ハタタカは、朝イチで医師に面会していた。もう感染症ではないとわかったので、普通に扉を叩いた。
「でもまだ動けないので、離れの人たちに呪文を唱えに行ってほしいって頼まれたのだ」
「呪文?…はぁ、わかりました」
医師は胡散臭そうな顔をした。ハタタカも半信半疑だった。だが、コレを唱える練習をしてたら、ゲンゴロの顔色が良くなった。旧語を知ってる人にはきっと効く。
ハタタカは部屋に入り、朝の挨拶をしてから、教典の一節を大声で唱えた。
「てら・みーな・なん・てとら、
てら・かるか・なと・ねとら、
てら・まるな・なか・めとら!」
激烈に効いた。
全員起き上がった。頭を下げたり、敬意を込めて手のひらをかざしたり、泣き出す者もいた。
ハタタカ以上に、医師が驚いた。
「えっ⁈ 勇者様、今の呪文は?」
「よくわからないけど、ゲンゴロがたぶんココが効くぞって教えてくれたのだ」
これも本当だった。ただ、ゲンゴロは教典に書いてある場所と各単語の発音は教えてくれたが、意味を教えてくれなかった。「勇者様が言えば、きっと効くぜ」って笑ってた。いいのだ、あとで3号に聞くから。
何人かが、ハタタカの前に跪いて何か唱えた。
「ご、ごめんなさいなのだ、私は旧語わからないのだ」
彼らは微笑んで、それぞれテマリ現語で勇者に感謝と祝福を述べた。
☆
「なまじ旧語がわかったせいで呪いにかかるとは…」
「『ワーノン・オードッ・ワードォム』で『悪しき民よ滅べ』なんという恐ろしい言葉か」
「それに対して『用語集』三十五とは…面白い方ですね、勇者様の付き人さん」
「滅べという命令に『決めるのはあなた、道を指すのみの私、歩くのはあなた』で、運命に対する我々の自主性を想起させて解呪する、という発想がすごいな…」
「いやでも、だったら新世界談話4の『我らは指し示すだけ、道を決めるのは貴方方』の方が良くないか?」
「旧語の呪いゆえ、旧語であることが必要なのでは」
「ですが、我々は新教徒ゆえ…」
あつく医師に礼を言って、ケガの大したことなかった修練師たちは、ハタタカと共に離れを後にした。呪いから解放された反動か、彼らは饒舌だった。ハタタカもその会話でようやく色々わかった。
でも、解けた途端に呪いの言葉も普通に言えちゃうことにハタタカは驚いた。ここにゲンゴロがいなくてよかった。
修練師たちは、ハタタカにも重ねて礼を言って、ハタタカの付き人にも感謝を述べて、彼らの勤めに戻っていった。
☆
「勇者様⁈」
コノワだ。
「おはようございますのだ」
「おはようございます。なにしてるんですか、こんな朝から」
「え…えと、ゲンゴロが目を覚まして、呪いに効く一節がわかったから、離れに伝えに行ってくれって…」
「できれば、お世話係の私に先に一言言って欲しかったですけど」
イヤミを言われる。
「ごめんなさいなのだ。すぐに何とかしたかったのだ」
勇者は頭を下げた。
「善行ゆえ仕方ありません。ですが、私にも面目があります。気をつけてください。では行きましょうか」
「えっ? コノワさんも来るのだ?」
「私も詳しく聞きたいですので」
「う…私が話すのだ。用語集の三十五なのだ」
「朝食の準備が要るかどうかも確認する必要があります」
どうしよう。
「失礼、おはようございます」
コノワが勇者の部屋に入ると、付き人が寝台で布団をかぶっていた。黒頭巾も頭に被って寝ているようだ。感心する。
昨日、途中からスイスイ動いたりはしたが、所詮は下賤のもの。そうそう動けるようにはなれまい。
「あなたは従者でしょう、あるじに働かせて恥ずかしくないのですか?」
返事がない。
「げ、ゲンゴロ、また気を失ってしまったのだ…」
「先程起きたのでは?」
「そうだけど…北の民のゲンゴロにあの呪いは強すぎるから、その…不安定なのだ」
なんと世話が焼ける下男だろう。
「仕方ありませんね。朝食はどうしますか?」
「起きたらすぐ食べさせたいのだ」
「わかりました。食前の勤めの後、二人分お運びいたします」
コノワは、何かあれば必ず自分を通すように釘を刺して部屋を出た。
ハタタカは、ゲンゴロの布団を覗き込んだ。中に毛糸の上着とシーツが丸まっている
「こんなもの、どこから持ってきたのだ…?」
「そこのタンスに入ってたぜ」
窓からゲンゴロが入ってきて言った。