挿話・たちあがるための(上)
※カンクロの封印が解かれて間もない頃。「挿話・勇者の服は」の続き
「アンタはコレ」
カンクロの目の前に置かれたカップには、礫豆の薄い煮汁が入っていた。絶食明けの食事だ。
「いらねぇよ、どのみち死なねぇ」
擬人の顔に表情はないが、もし今の4号にあれば最高に苦々しい顔をしていただろう。
「アンタなんかどうでもいいの! でもアンタが食べないと、同じ不死身のハタタカ様が『食べない』ことを覚えてしまわれる。ハタタカ様のためにも、アンタには食事を覚えてもらいます!」
なるほど。
魔王を倒して『種』を手に入れれば、不死身の呪いは解ける。その時にメシも食えないガキになってては困る、ということか。もっともだ。
カンクロはため息をついて、カップに右手を振った。
「わぁった、じゃありがたくいただく。ナァカ・ハン」
右手を胸にも軽く振ってから、カップを取る。ハタタカが目を丸くした。
「なんなのだ、それ?」
「…ああ、おめぇら新教徒が言うトコの『いただきます』さ。神様くいもん寄越してくれてありがとよ、ってやつ」
「そうなのか! 私たちとお作法が違うのだな」
「ああ、違う」
百何年ぶりの食事を口に含む。
驚くほど美味かった。旨味が身体中に痺れるように染み渡った。焼け出された時に煮た礫豆を施されたことがあるが、味も何もなかった。あの時とは違う豆なのだろうか。
「何もかも違う」
⭐︎
「ハタタカ様、対魔庁のミシマ様からお電話です。そちらで取りますか」
擬人1号が声をかけた。
「うん、ありがとう」
ハタタカは、テーブルにあったお盆を立てて、どこか押した。
「⁈」
盆ではなかった。
そこに、封印が解けた時にいた役所の人間が映って話し始めた。
『こんにちは勇者様。その後『彼』は落ち着きま…』
「なあああ⁈」
思わず叫んだ。その姿は、古の勇者でも殺し屋でもなく、ただの青年だった。
カンクロは、灯台守の一人息子だった。
場所柄また職業柄、通信機器は『家にあるもの』で、『時には自分も使うもの』だった。無線機も当時出始めていた電話機も、彼は幼いうちから使うことができた。
それは後々、殺し屋になってからも勇者になってからも役に立った。新型が出るたび使い方を覚えた。
擬人は、全く知らないものだったが『人のようなもの』と理解はできた。
風呂も便所も、知らない装置があったり水が勝手に流れたりはしたが、前と同じように使うことができた。
服は、知らないデザインだが着ることはできた。
豆の汁は、昔より美味しく飲めた。
電話は、カンクロが現代に蘇ってはじめて見た『全く知らないものと化した、知ってるはずのもの』だった。変わりすぎて、どう使うか想像もつかない。
それはまるで、昔の面影をなくした故郷を見るかのようで。
「カン……」
ハタタカは大人が、しかも男の人が泣いているところを初めて見て、戸惑った。
古の勇者の左目から、止めどなく涙が溢れている。嗚咽もなく、激情もなく、ただ泣いていた。
これが、百年の時の流れ。
カンクロは新しい服が落ち着かない理由を、やっと理解した。
『勇者様の長期休暇に苦情が出始めています。早めに職務に戻っていただくためのご相談をしたかったのですが…』
画面の向こうでミシマ氏が話し続けている。擬人並に無表情な人間だったが、言葉にうっすらと嘲笑の響きが混じった。
『ひとでなしの殺し屋も、さすがに百年ぶりの世界は堪えますか』
その響きで、青年は我に返った。
小さな勇者が心配そうに見ている。
泣いてる場合かよ、情けねえ。
目元を一拭きして、涙を吹き飛ばす。
今更だが、かつて勇者だった頃の自分を装い、若い勇者に向き直った。
「…すまねぇな、見苦しいもん見せちまって。今どんな状況か教えてくれや。
あと、この『電話』のことも」




