ドッデとナァーデ(上)
勇者一行の今夜の宿、旅館の最上階。
ハタタカは、部屋の一角をそっと覗き込んだ。
家庭教師ロボット擬人3号は、前の持ち主に魔改造された結果、下半身の代わりに車椅子に組み込まれた大容量の人工頭脳と記録媒体を接続されていた。その工程で、擬人に備わっている「禁止発言コード」も外され、いろんな言葉を発言することが可能になっている。
いま3号は、その能力をフル活用して、下男のゲンゴロ……百年前の勇者カンクロ……を叱りつけていた。
古の勇者は腕を組み、お小言なんてどこ吹く風といった顔で聞いていた。さっき酒場で大暴れした反省は見られない。
3号は辛抱強く言った。
「いいですか、百年前とは違うのです。今は『ドッデ』は差別的な言葉だから使わないのです。言ったら怒って手を出されるのは当然です」
「はん、ドッデはナシでもナァーデはアリか、百年経っても中の民は狡っこくて何よりだぁ」
「『ナァーデ』も差別的な言葉だから使わないのです」
ドッデは中の民を、ナァーデは北の民を、それぞれ侮辱した言葉だ。今は使わないのが公共のマナーとされている。
ただ先程、勇者たちが聞き込みに行った居酒屋では、暴力と喧騒の中でその二つの言葉も飛び交った。
「何度も説明してますよね、今は使ってはいけない言葉が沢山ありますと。目立つ行動は控えて頂きたいとも、重ねてお伝えしました。なぜ町の人を不用意にドッデ呼ばわりしてしまうのです?」
「そりゃ向こうが俺んことナァーデって言やあ、こっちもドッデ言うさ。それとも卑しいナァーデは黙って高貴なテルテの民様にやられてろってかぃ?」
3号はため息をつきたかったが、あいにくそんな機能はついてなかった。
3号は仕方なく戦法を変えた。
「記録によれば、貴方はかつてテルテ南部貴族のサマーヨ家にお邪魔した時、貴族文法で会話をして、一族から大層顰蹙を買ったそうですね」
百年以上昔の失敗を急に引き合いに出されて、古の勇者は左目をしかめた。
「今その話、関係あんのかよ」
「はい。なぜわざわざ貴族文法で話されたのです?」
「貴族が俺らの話を聞けねぇなら、そいつらの言葉で聞かせるまでだ。寝ねぇで覚えたってのに、とんだ骨折り損だったぜ」
文法を教えてくれた仲間の思い出にカンクロは更に顔をしかめ、頭から振り払った。アイツの記憶は痛みが伴う。
「神には神の言葉、人には人の言葉を使い分ける、テマリ旧教徒らしい発想です。ですが、当時テルテの民は今より明確に、話す者の階級で言葉を分けていました。カルカナデと慣習が違うのです…おそらく当時も言われたでしょうが…」
「ああ言われたよ、何百回とな」
「貴方は暴力を使いがちな欠点はありますが、本来とても頭がいい。相手の仕来たりに合わせられるほどに柔軟で、現代の通信機器もすぐ使えるようになったし、女性や子供、障害者や渡来人への蔑称は、一度注意しただけで使わなくなってくださった。
加えて、貴方はいつもハタタカ様のために働いてくださる」
「……」
カンクロは誉め殺しに気付きはしたが、抵抗は諦めた。どうせ死にやしない。
「であれば、今夜のような騒ぎを起こさない方が良いということも、ご理解いただけると思います」
「……ああ、わかってら。暴れたのは悪かったよ」
「誇りを重んじる北の民だからこそ、自らを貶めるような蔑称の使用も控えて頂きたいです」
「向こうが使わねぇなら使わねぇよ」
自分の立場は弁えてたが、そこまで譲る気はなかった。
3号と入れ替わりに、ハタタカが来た。
「オメェもお説教かぃ」
ハタタカはハンタン(蒸し菓子)を載せた皿をテーブルに置いて椅子に座った。
「コレあげるから落ち着くのだ」
カンクロには、中の民に侮辱されたことより、3号に叱られたことより、子供に気を使われたことが何より堪えた。
「いらねぇ…暴れたのは悪かったよ」
「うん」
「ただ、名誉を汚す馬鹿にゃ、それがどういうことか、わからせとかなきゃならねぇ。許してたらつけ上がる。オメェを笑った奴らはだれも謝らなかったろ」
ハタタカは少し考えた。
「そうだけど、ゲンゴロをバカにした人たちも誰も謝らなかったのだ」
下男は少し返事に窮した。
「謝らねぇんだから、せめて痛え目にあわせてやりてぇだろ」