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碧眼の花と緋の刃  作者: 伊太利ひなぎく
第1章

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第16話 前編《断崖のふたり①》


翌日、遠征訓練2日目の早朝。

ソニアはアンナと共に、ゴソゴソと荷物の最終チェックをしていた。


「ソニア、忘れ物しないようにね〜」

「わかってるわよ……アンナも必要な物、ちゃんと詰めたの?」

「大丈夫大丈夫!昨日、3回も確認したもーん」


そう言ってニッと笑うアンナに、ソニアもつられてフッと笑ってしまう。

とその時、薄い吊り布の仕切りの向こうからユリウスの声が聞こえてきた。


「ソニア、ベーゼ、支度は済んだか?」


その声にソニアたちは急いで荷物を背負い、仕切り布を開ける。


「すみません、お待たせしました」

「いや、問題ない。ヴェルナーもまだだしな……」


ユリウスは少し呆れた表情を浮かべ、ヴェルナーに視線を向ける。

ソニアとアンナもそちらに目をやると、ギルベルトにアレコレと言われながら支度をしているヴェルナーの姿があった。

そんな彼の様子に、ソニアはふと口を開く。


「研修官になるって、大変なんですね」

「あのな……ソニアも来年無事卒業できたら、幹部候補としての配属になるんだぞ?3年目以降、1度はああなるんだからな」

「……」


その言葉に思わず無言になってしまうソニア。


(当たり前だけど、学生を指導するってことは、中途半端じゃ許されないものね。私、きちんと先生役をできるようになるのかしら……?)


そう不安に思う彼女の心境を察したユリウスは、苦笑いで口を開いた。


「お前のことは、研修官配置前に俺がきちんと指導してやる。安心しろ」


ソニアは一瞬目を丸くするも、すぐにフッと微笑んでユリウスを見つめる。


「ありがとうございます、クロイツァー大尉」


そう言うソニアの頭を軽く撫でるユリウス。

そんな2人の様子を、アンナは微笑ましく思いつつじっと見守るのだった。


しばらくしてヴェルナーの支度が整うと、7人は揃ってプレハブ小屋の外へ出た。


「よし……俺らは東側の担当か。んじゃ、大尉たちとはまた3日後にな」


ギルベルトはヴェルナーとシュテファンを連れ、敷地の東側へと向かっていく。

それを見送ったユリウスは、ソニアたち3人に向き直った。


「さて……全員、行程は頭に入っているな?」


その言葉に、ソニアたちは力強く頷く。


「はい、問題ありません」

「あたしも大丈夫です!」

「俺も同じく。時間ももったいないですし、俺らも行きましょうよ」


ラルフの言葉に頷いたユリウスたちは、4人揃って西側へと歩き始める。

彼らは毎日野営場所を変えつつ、初日と2日目でなるべく遠くまで足を運び、残りの日程で戻って来るという計画を立てていたのだった。


小屋からそれなりに整えられた道をしばらく歩いていくと、4人はやがて山林の中に入る。


(ここから先は、一応隊列を組んだ方が良いな)


そう判断したユリウスは、立ち止まって後ろに視線を向ける。


「……ソニア、俺の後ろに来い」

「あ、はい」


ソニアは素早くユリウスの後ろに移動し、それを確認した彼はアンナに声をかける。


「ベーゼはその後ろだ」

「了解でーす」

「ラルフ、殿(しんがり)を頼めるか?」

「もちろんですよ」


アンナとラルフもそれぞれの位置につき、ユリウスは前に向き直って再び歩き始めた。


小1時間ほど歩いたところで、最後尾を歩くラルフはチラチラと前方を気にする。


(確か、この辺りだって聞いたんだけど……)


そう思いつつ、ぐるりと辺りを見回すも何も見当たらない。


(まあ、100%出るわけでもないか──)


ラルフがそう考えていると、不意に隊列の右側の茂みからガサガサと何かが動く音が聞こえ、思わず足を止めた。

その様子に気付いたユリウスたちも立ち止まり、茂みの方を警戒する。


(教会派の襲撃か?いや、違う……!)


そう考えながら素早く身構えるユリウス。

その刹那、地鳴りのような足音が耳を打ち、茂みが爆発するように割れた。


茂みを割って現れたのは、漆黒の毛並みに覆われた巨大な()()だった。

ソニアが視線を向けた瞬間、()()は猛然と地面を蹴って彼女に突進してくる。


「……っ!?」


驚きながらもソニアは素早くそれを避け、体勢を整えつつ後ろを振り返る。

飛び出してきた()()にアンナは顔を青くして口を開く。


「こ、こんなところに()、ですか!?」

「……しかも、かなり大きいね」


ラルフは平静を装いつつそう告げるが、内心かなりの焦りを感じていた。


(ちょっと大袈裟に怪我してみせて、大尉に責任を負わせる、くらいの軽い計画だったのに、このサイズは流石に想定外だ……!こんなのから1発でも食らったら、怪我どころか致命傷になりかねない……)


そう考えるラルフの背に冷や汗が伝う。


今度は熊はアンナの方に視線を向け、思わず立ちすくんでしまう彼女の腕をラルフが強く引く。

と同時にラルフは素早く炎魔術を熊に向けて放ち、怯んだ隙にアンナと共に熊から距離を取った。


熊を挟んで反対側のユリウスは、ちらりと隣のソニアに目を向ける。


(この状況、ソニアとベーゼがパニックになっていないだけありがたいと思うべきか……)


そう考えつつも、僅かに手を震わせているソニアの様子に気付くユリウス。

目の前の熊を冷静に観察しながら、どう動くべきなのか瞬時に思考を巡らせる。


(少なくとも、体長3メートルはあるな。俺とラルフだけで対処するのは、明らかに無理だ。退避を最優先するべきなんだろうが……)


そう考えつつ、ユリウスは素早く周りを確認する。


(足場も見通しも良くない上に、何よりこいつとの距離が近過ぎる。となると、まずは俺が囮になって、ソニアを向こう側(ラルフの方)に移動させるべきか?)


そう判断したユリウスが動こうとした瞬間、熊は再びソニアの方へと突進していく。


熊の急な動きに驚いてしまい、身体が動かないソニア。

ユリウスは思わず彼女の名前を叫んだ。


「ソニア!」


その声にソニアはハッと我に返って地面を蹴り、熊の直撃を避けた。

が、今度は突進で薙ぎ倒された木々が彼女に襲いかかり、何とか避けようと後ろに下がる。

しかし、重心をかけた右足は地面につくことなく、ソニアの身体はぐらりと後ろに傾いた。


「えっ……?」


何が起こったのかわからず、混乱するソニア。

すぐに自分が足を踏み外したことに気付くも、なすすべなくそのまま崖から落ちていく。


(私、このまま死ぬの……?)


そう考えてギュッと目を閉じたその瞬間、頭上から何かが覆いかぶさってくるような気配がして、温かいものに包まれる──

その感触を最後に、ソニアの意識は途切れた。



───────

────

──


「うっ……」


身体に痛みを感じつつも、ゆっくりと目を開いたソニア。


(私……生きてる?一体、どういう状況なの?)


そう考えながら身体を起こそうとした。

が、何かが上に乗っており、身動きが取れない。


「重っ……」


何とか乗ったものをずらして起き上がったソニアは、自身の置かれた状況に瞬時に顔を青くした。


「大、尉……?」


彼女の上に乗っていたのは、ぐったりとしてピクリとも動かない状態のユリウスだった。

ソニアは慌てて彼に声をかける。


「クロイツァー大尉っ!」


しかし、ユリウスからの反応はない。

ソニアは動揺しながらも、揺り起こそうと彼の身体に触れたところで手を止める。

伸ばした自分の腕に目をやると、ところどころにべったりと赤い血が付いていた。


(これ、私の血じゃないわ……ということは、まさか!)


ソニアは急いでユリウスの身体を仰向けにする。

彼の側頭部には切創が見られ、まだそこから鮮血が流れている。

服にも血が滲んでおり、他にも負傷している箇所があるのは明らかだった。


「う、嘘……嫌っ!大尉、起きてくださいっ……!」


挿絵(By みてみん)


ソニアはユリウスをそっと揺すりながら何度も彼を呼ぶが、やはり返事はない。

荒くなる呼吸を抑えきれず、震える手で口元を押さえる。


「私、何すれば……どうすればいいの……っ?」


簡易的ではあるものの、軍大学で応急救護について学んでいたはずのソニア。

が、想定外の状況に混乱してしまった彼女は、自分が今何をすべきなのかすらも判断がつかなくなっていたのだ。


ソニアは青い顔をしながら、ただじっとユリウスを見つめる。

目を覚まさない彼の様子に、なすすべなくぎゅっと手を握りしめた。

その時──


『まず怪我の具合は置いといて、冷静になることが1番大事なんだよね〜』


目の前で言われたかのように、ソニアの頭の中に以前アンナから聞いた言葉がこだました。

それはまるで、パニック寸前の自分に向けられた魔法のようだった。


ハッと顔を上げたソニアは何度か深呼吸をする。


(冷静になることが、1番大切……)


そして恐る恐るユリウスの胸元に耳を付けつつ、右手を彼の口元へと運んだ。

鼓動の音と、手に当たる吐息にソニアはホッと息をつく。


「良かった、生きてる……」


ポツリとそう呟くソニア。


「ちょっと失礼しますね」


丁寧に断りを入れると、ユリウスの上衣を軽く脱がせて負傷箇所を確認し始める。

幸い深い傷はなく、ソニアは荷物に入れていた救急袋を素早く開いた。


(アンナの言う通り、各自で袋を持っておいて正解だったわ)


そう思いながら、消毒液や包帯等を取り出して応急処置を施す。


(とりあえずはこんなものよね。後は、大尉の意識が戻るまで、なるべく安全な所で過ごさないと……)


キョロキョロと辺りを見回すが、近くにテントを張れそうな場所はない。

上を見上げると木々の隙間から曇り空が見え、湿った空気の匂いが鼻をつく。


(少なくとも、雨風を凌げる場所を見つけるべきだわ)


そう判断したソニアは何とかユリウスを左肩に担ぐ。

少し彼を引き摺る形になりつつも、そのままゆっくりと歩き始めた。


休み休み30分ほど歩き続けていると、ポツポツと雨粒が落ちてくる。

ソニアは必死に周りを見渡すが、生い茂った木々が見えるだけ。

更に焦りのせいか斜面で足を滑らせ、ユリウスと共に1メートル弱下へと落ちてしまう。


「痛っ……」


立ち上がろうとしたソニアは、右足首に強い痛みを感じる。

が、(今はそれどころじゃない……!)と斜面を見上げた。


「この角度と高さ、大尉を抱えて登るのは無理ね」


そう判断したソニアはくるりと後ろを振り返る。

すると、少し先に大きな穴の空いた岩壁があるのが目に入った。

ソニアは急いでユリウスを抱えながら横穴へと向かう。

そっと横穴を覗くと、中には少し広めの空間が広がっていた。


「私たち2人くらいなら、何とか入れそうだわ」


中に足を踏み入れたソニアは、素早く地面や壁を確認する。


(獣の臭いもないし、何かが住んでいそうな気配も痕跡もない……しばらくは、ここで休んでも大丈夫そうかしら?)


ソニアは一旦ユリウスを地面に寝かせると、素早く簡易的な寝床を作って彼をそこに移動させる。

その場で光魔術を展開させると、ソニアはユリウスの怪我を再確認しつつ綺麗な包帯を巻き直した。

濡れた彼の上衣を干しながら、次に何すべきかと顎に手を当てる。


(怪我の手当はこれで良いとして、他に必要なものは──)


そう考えながら、ソニアは荷物の中から空き容器やボトルの数々を取り出す。

それらを両手に抱えて立ち上がると、右足に激痛が走った。


「……っ!」


痛みに顔を歪めつつも、フルフルと首を横に振るソニア。


(今は、痛みなんかを気にしてる場合じゃないのよ……!)


そう自身を奮い立たせ、痛む足を引きずりながら横穴の外に出る。


雨はいつの間にか本降りになっており、ソニアはこれ幸いと抱えたボトル類を外に並べた。


「これで、飲料水は一応確保できるわね」


雨空を見上げながら、ホッと息をつく。


(最悪、氷魔術でも使えば良いんだろうけど……この非常事態下では、なるべく魔力も体力も温存しておきたいもの)


ソニアはそう考えながら横穴の中に戻ろうとし、ふと足を止めた。


(この環境に、この天気──何かがここに入ってきてもおかしくないわ)


そう考えたソニアは、横穴の入り口から距離を取るべく少し後ろに下がる。

そして、左腕のバングルに解除魔術をかけると、彼女の瞳の色は翠から碧へと色を変えた。


「よし。次は……」


ソニアは横穴に向けて左手をかざすと、入り口を覆うように幻影魔術をバングル経由で展開させた。

ゆらりと魔術の展開範囲が揺らいだかと思うと、まるで元からそこに何もなかったかのように入り口は見えなくなり、周りの風景と溶け込んでいく。


「これで、しばらくは大丈夫でしょうね」


それから、横穴の出入りに問題ないことを確認したソニア。

そのまま中に戻るとユリウスのすぐそばに腰を下ろし、外の様子を警戒しながら彼の様子を見守るのだった。



───────

────

──


「ソニア!大尉っ……!」


時は少し遡り、アンナはソニアたちが落ちていった崖の方に向かって叫んでいた。

当然返事はなく、彼女は顔を青くする。


ラルフはもう一度熊に向けて炎魔術を放つと、アンナの手を引いて崖とは反対側に走り出した。


「ちょっ……!サヴォイア曹長!ソニアたちが——」

「今は、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」


そう言いつつ、プレハブ小屋の方へと向かうラルフ。


(まさか、ソニアちゃんが落ちるなんて……かなりまずい状況だ!)


走りながら、チラリと後ろを振り返る。

遠くから、熊が後を追ってきているのが目に入った。


(今はひとまず、(これ)から逃げることを優先しないと……!)


そう考えながら、アンナと共に山林を走り抜ける。


「待ってくださいよ!ソニアたち、どうするんですか!?」

「俺ら2人で、あれに対処できると思う?」


冷静にそう言い放つラルフの言葉に、返す言葉のないアンナは黙り込んでしまう。


(曹長の言ってることは正しいけど……でも──)


そう考え込むアンナに、ラルフは声をかける。


「一旦、ベルクマン准尉たちと合流しよう。今必要なのは人数だよ」

「……わかりました!」


そのまま2人は熊を振り切ると、プレハブ小屋を通り越して東側へと向かっていく。

しばらく走っていると、遠くの方にシュテファンの後ろ姿が見え、アンナは思わず叫んだ。


「クリューガーさぁぁんっ!!」


その声に、シュテファンはハッと立ち止まって振り返る。

慌てた様子のアンナたちの姿に、ただ事ではないと即座に判断した。


「ローデ少尉、ベルクマン准尉!」


シュテファンの声に、ギルベルトとヴェルナーも足を止めて振り返る。


「え?サヴォイア曹長と……アンナちゃん?」

「おいおい……お前ら、大尉と嬢ちゃんはどうしたよ?」

「そ、それが!ソニアたちが──」


アンナは顔を青くしながら何が起きたか説明しようとするが、混乱していて上手く言葉が出ない。

そんな彼女を落ち着けようと、シュテファンは声をかけた。


「ベーゼさん、一旦深呼吸してください。初めから順番に、ゆっくり話してくれれば大丈夫ですから」

「は、はい……」


アンナは数回深呼吸すると、少し落ち着いた様子でポツポツと事の一部始終を話し始める。

ラルフも補足を入れつつ説明を終えると、ギルベルトは難しい顔で腕を組んだ。


「ラルフ、地図持ってるか?」

「あ、はい」


ラルフが荷物から地図を取り出して広げると、ギルベルトたちは揃ってそれを覗き込む。


「2人が落ちたのはどの辺だ?」

「えっと……多分、この辺りだと思います」


アンナが示した箇所を見て、ヴェルナーは思わず声を上げた。


「マジかよ。こんな高さ、まともに落ちたら……!」


そう言いつつ、ギルベルトに顔を向ける。


「准尉、すぐに現場まで行った方が良いんじゃないっすか?」

「僕も同感です。もし大怪我でもしてたら、早く対処しないと!」

「だな。その熊も何とかしねぇとだし……お前ら、行くぞ」


ギルベルトの言葉に4人は揃って「はい!」と返事をし、すぐにソニアたちと逸れた現場へと向かうのだった。

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