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碧眼の花と緋の刃  作者: 伊太利ひなぎく
第1章

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第13話 前編《兆しと警告①》


─聖暦5607年8月─


うだるような暑さの午後。

軍中央司令本部の片隅で、まるで踊るようにぎこちなく動いては止まる車が1台あった。


その車内にあったのは、オロオロとしながら運転席に座るソニアの姿だった。

夏期休暇の初日、彼女は早速ユリウスから車両運転について手解きを受けていたのである。


「ソニア、先にクラッチを踏め」

「すみません……」

「よし。じゃあ、次はそこを左折してみろ」

「はい。えっと、ウインカーは──」


ソニアがレバーに触れた瞬間、思わぬことにワイパーが高速で動き出す。


「あ、あれ?」


慌てて目を大きく見開くソニア。

焦りからか、心臓がバクバク鳴っているのがよくわかった。


(何でっ……!?ど、どうすれば──)


焦るソニアの前に助手席からユリウスの腕が伸びてきて、レバーを操作する。

ワイパーの動きが止まり、ソニアはホッと一息つく。

そんな彼女に、ユリウスはため息まじりに声をかけた。


「お前な……ウインカーは逆だ」

「あっ……す、すみません……」


小さく縮こまってしまうソニアをやれやれと見つめるユリウス。


(まあ、初日だからな……)


そう考えつつも、ソニアの不器用さを意外に思う。


「ソニアは工学部だろう?車両の基礎構造程度は、把握しているんじゃないのか?」

「大体は理解してるんですけど、実際やってみるのとは全然違うといいますか……」


ソニアは苦笑いしつつ頬を掻いた。


(理論的には理解しているし、もっと簡単にできると思ってたのに……)


内心そう悔しく思うソニア。

そんな彼女に、ユリウスもつられて苦笑いしてしまう。


「とりあえず、当面は車両操作に慣れるところからだな」

「……すみません」


ソニアは頭を下げつつ、シュンとした様子で肩で息をついた。


「私、運転適性がないんでしょうか……」


ポツリと呟いたソニアの言葉に、後部座席のシュテファンがやや身を乗り出して、素早くフォローを入れる。


「そんなことないですよ?初日で車が動いてるって時点ですごいと思います。僕なんて、エンストに次ぐエンストでしたから」

「……そういうものなんですか?」


不安気にそう言うソニアに、シュテファンはニッコリと笑いかけた。


「そういうものですよ。ね、クロイツァー大尉?」


シュテファンからそう話を振られたユリウスは、軽く眉を上げて考え込む。


「……子供の頃から軽く運転していたからか、その辺りで苦労した記憶はないな」


その言葉に、シュテファンは一瞬顔を引きつらせる。


「えっ、どういうことですか?大尉、ひょっとして昔は結構ヤンチャしてた感じです……?」


思わずユリウスに疑いの目を向けるシュテファン。

その視線を受けたユリウスは、苦笑いしながら口を開く。


「そんなわけがあるか。母方の祖父母が農業を営んでいてな。子供の頃、その手伝いで作業用の車両をたまに触っていただけだ」


少し懐かしさを感じつつ、そう説明するユリウス。


(あの頃は、車に触れられるのは特別なことのように思えていたが……今では当たり前になってしまったな。車も一般に普及してきたし、何より軍属ともなれば致し方ないことなんだろう。昔は、ただ楽しかっただけのものだったんだが……)


そんなことを考えていると、納得したような表情のシュテファンが、腕を組みつつ口を開いた。


「なるほど、そういうことですか。確かに、農業用車両の操作ができるなら、普通車両なんてお手のものですよね」


そう言ったシュテファンは、ふとソニアに目を向ける。

彼女は少し驚いたように目を丸くしており、シュテファンは思わず声をかけた。


「ソニアさん、どうかされました?」

「あ、いえ……ちょっと意外だったので。大尉のそういうお話って、初めて伺いました」


その言葉に、シュテファンも顎に手を当てて口を開く。


「言われてみれば、僕もそうかもしれません」

「まあ、普段はこういう話をするような機会もないしな……」


そう言いつつ、前方に向き直ったユリウスはソニアに声をかける。


「今はそんなことよりも、ソニアの運転技術向上が先だ。ソニア。そこを左折したら、あの木の辺りまで直進しろ」

「はい」


ソニアはユリウスの指示に従い、もたつきつつも車を運転するのだった。



───────

────

──


夕方になり、ソニアはユリウスとシュテファンと共にようやく車を降りる。


「今日はここまでにしておくか」

「はい。ありがとうございました……」


シュンと俯くソニアの頭に、軽く手を乗せるユリウス。

ふと顔を上げた彼女に声をかけた。


「あまり気落ちするな。今日1日で、発進動作はスムーズになっただろう?」

「それはそうですけど──」


ため息まじりにそう答えるソニアに、シュテファンがすかさずフォローを入れる。


「明日は、また何か1つできるようになれば良いんですよ。焦らずいきましょう」

「……はい、頑張ります」


ソニアが力無くそう答えたその時、背後から「ソニアー!」と彼女を呼ぶ声が聞こえてくる。

3人がくるりと振り返ると、夕陽を背にアンナが手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。


「お待たせ!教習初日、どうだった?」

「えっと……」


言いづらそうに下を向いてしまうソニア。

そんな彼女の様子に大体の状況を察したアンナは、フッと笑って声をかける。


「まあ、初めてなんだからさ。上手くいかなくても当然でしょ?あんたは覚えが早いんだし、すぐに上達するって!」

「……ありがとう、アンナ」

「どういたしまして!それよりさぁ──」


明るい声で話を続けるアンナに、ソニアの表情にも僅かに明るさが戻る。

ユリウスとシュテファンは、そんなソニアたちの様子を微笑ましく思った。

仲良さげに会話をする2人を見守りながら、シュテファンはコッソリとユリウスに声をかける。


「ベーゼさんに先にきちんと話をしておいたのは、大正解でしたね」

「そうだな」


そう話す2人は、夏期休暇直前のことを思い返す。


夏期休暇開始の1週間ほど前、アンナに簡単に事情を説明しつつ遠征訓練での協力を頼んだソニア。

その翌日、なんとアンナがユリウスの執務室まで突撃してきたのだ。

予期せぬ彼女の来訪には、ソニアも驚きのあまり思わず席から立ち上がったほどだった。


アンナは挨拶もそこそこにユリウスに詰め寄り、その剣幕に、彼はソニアの瞳の色のことも含め、事の一部始終を全て話さざるを得なかったのだ。


一通りの話を聞いたアンナは協力を快諾。

更には、ソニアの寮への送り迎えや寮内での警戒までも申し出てきた──という経緯があった。


「まさか、学生からあんな風に詰められることになるとはな……」


小さく息をつくユリウスの様子に、シュテファンは思わずクスクスと笑ってしまう。


(確かに、あそこまで大尉をガンガン問い詰められる人って、他にいなさそうだなぁ……)


そう考えつつ、シュテファンは口を開く。


「本当に凄い勢いでしたよね……まあでも、それだけソニアさんとベーゼさんが仲良しだってことじゃありません?」

「それもそうか」


そんなユリウスたちに、明るく声をかけるアンナ。


「今日はもうこれで終わりな感じですか?それなら、このままソニアのことお預かりしちゃいますけど……」

「ああ、よろしく頼む」


ユリウスの返答に、アンナはビシッと一礼した。


「了解です!じゃ、ソニアはあたしが責任持って寮まで連れて帰りますね〜」


アンナはそう言うと、「行くよ、ソニア」とそのままソニアの手を引いて寮の方へと歩き始める。

手を引かれるソニアは、少し慌てた様子で振り返ってユリウスたちにサッと一礼した。


「あ、えっと……ありがとうございました。明日もよろしくお願いいたします」

「ああ、また明日な」

「お疲れ様でした」


ソニアたちの姿が見えなくなるまで見送ったユリウスとシュテファンは、車の方へと向き直る。


「とりあえず、車両庫に返却しないとな」

「ですね。僕が返しておきましょうか?」


シュテファンの提案に、首を横に振るユリウス。


「いや、俺の名前で借りている以上は俺が処理する。シュテファンは、先に執務室に戻っていてくれて構わない」

「お付き合いしますよ。ついでですから」


そう話しつつ、ユリウスたちは再び車に乗り込む。

車両庫までゆっくりと車を走らせていると、ユリウスがポツリと口を開いた。


「……わざわざ俺たちに付き合ってもらってすまないな」

「いえ、構いませんよ。その分の仕事も、きちんと調整していただいてますし」


シュテファンはそう言ってフッと笑い、ユリウスは何事かと首を傾げる。


「何だ?」

「いえ……大尉って、本当にソニアさんのことを色々きちんと考えていらっしゃるんだなぁと」

「まあ、車両の運転はできるようになってもらった方が──」

「あ、そっちじゃなくて……」


ユリウスの言葉を遮り、ニコニコと続けるシュテファン。


「『車内で2人きりにならないように』なんて、大尉が配慮されるとは思ってなかったので。普段だって、個別指導の時はお2人だけじゃないですか」


そう言われたユリウスは、「ああ、そういうことか……」と口を開く。


「訓練所ならまだしも、車内は密室に等しい状況だ。後から外野にあれこれ言われるのも、面倒だからな」


照れ隠しのつもりか、片手で頬を掻くユリウス。

ちらりとシュテファンに目を向けつつ、言葉を続ける。


「それに……俺よりも、シュテファンの方がフォローに向いているだろう?」

「えぇ?僕もそこまで気の利いたことは言えませんよ?まあ、ソニアさんに対してという部分に限っては、経験則な面もありますけど……」

「経験則?」


シュテファンの言葉に、思わず首を傾げるユリウス。

そんな彼の様子に、シュテファンはふと眉を上げた。


(そういえば、大尉には話したことなかったっけな……)


そう思い返しつつ、ユリウスに向き直って話を切り出す。


「実は僕、ちょうどソニアさんと同い年の妹がいるんですよ。なので、あのくらいの歳の女の子が物事に対してどう考えるのか、どう感じるのか──何となくですけど、理解できると言いますか……」


シュテファンの説明に、ユリウスは少し目を見開く。


「お前、妹がいたのか?」

「はい。反抗期真っ最中で、色々大変なんです……本音を言えば、ソニアさんくらいの落ち着きがあって欲しいんですけどね」


その言葉に、ユリウスは小さくため息をついた。


「あのな、俺たちは慣れのせいか何とも思わないが……そもそも、ソニアのあの落ち着き具合は歳不相応なんだぞ?」


そう言われたシュテファンは、ハッと気まずそうな表情を浮かべる。


「あっ……ソニアさん、昔から相当苦労してるんですもんね。すっかり頭から抜けてました……」

「その辺りはむしろ忘れてやった方が、ソニアは気が楽かもな」


そう言いつつ、ユリウスは納得したような表情でチラリとシュテファンに目を向ける。


「だが、今の話で合点がいった。シュテファンの面倒見の良さは、そういうことだったのか」

「いやいや……大尉だって、面倒見は良いじゃないですか」


クスクスと笑うシュテファンに、ユリウスは首を傾げる。


「……そうか?」

「そうですよ。僕も、入隊当初からほぼずっとお世話になってますし……何より、ソニアさんみたいな訳ありの子にここまでできる人って、なかなかいないと思います」


ニコニコ笑ってそう言うシュテファンに、ユリウスは何となく照れ臭さを感じる。


(こういう人だからこそ、心から信頼できて……この人に命を預けられるんだけどね)


シュテファンはユリウスを眺めつつ、密かにそう思うのだった。



───────

────

──


しばらくの後、車両の返却を済ませて執務室に戻って来たユリウスとシュテファン。

その姿に気付いたギルベルトが、ユリウスに声をかけた。


「大尉、お客さんだぞ」


そう言ってギルベルトは休憩スペースの方を指差す。

ユリウスがそちらに視線を向けると、窓越しにルイーゼの姿が目に入った。

ユリウスは素早く休憩スペースに向かい、サッと一礼する。


「お疲れ様です、ザクセン中佐」

「ああ……何かあったのか?」

「と言いますと……?」


そう首を傾げるユリウスに苦笑いするルイーゼは、執務室の方を顎で指す。


「ローデ少尉が、暗い顔で仕事をしていたものでな。てっきりトラブルかと思っていたのだが……」


その言葉に小さくため息をつくユリウス。


「……少尉のあれは、単にソニアの不在によるものです」


その言葉に、ルイーゼは納得したように「ああ……」と口にした。


「なるほどな。シュミットが休み故に、受け持ちの仕事が増えたということ──」

「いえ、そうではなくて……彼の()()と言いますか……」


気まずそうなユリウスの言葉で、全てを察したルイーゼは思わずやれやれと肩で息をつく。


「……単なる部隊内での女子成分不足か。心配して損したぞ」

「申し訳ございません……」


そう謝罪しつつ、ユリウスはルイーゼに向き直る。


「それで、ご用件は何でしょうか?」

「明後日から1週間、第1学年の免許合宿で不在にするのでな。念のための報告だ。大尉たちだけで問題なさそうか?」


その言葉に静かに頷くユリウス。

そんな彼の様子にルイーゼはフッと笑った。


「それなら良し。くれぐれも、シュヴァイガー大佐には気をつけるのだぞ?本部内でも休みの隊員が増える以上は、どうしても手薄になるからな……」

「はい、肝に銘じます」


はっきりとそう返答するユリウス。


(休暇期間は、当然ながら本部の方も人が減る。その分、人目につかないタイミングというのは必ず増えてしまうからな……)


そう考えるユリウスに、ルイーゼは少し心配そうな目を向ける。


「お前たちも、持ち回りで休暇を取るのだろう?手は足りるか?」


ルイーゼの問いかけに、ユリウスは頭の中で全員の夏期休暇の予定を思い返す。


(なるべく各人の日程が被らないよう、できる限りの調整はした。それに、俺とメーゲンブルク中将、ギルベルトの休暇期間は完全にずらしてある以上、余程のことがない限りは問題にならないはずだ)


そう考えつつ、ユリウスはルイーゼに向き直る。


「今のところ、問題ないように調整はしております」

「そうか……万が一、手が足りないようなら声をかけろ。私もどうにかして協力すると約束しよう」

「ありがとうございます、心強いです」


そう言うユリウスにルイーゼは「礼は不要だ」と声をかけつつ、ソファに深く腰掛け直した。


「……それで?例の遠征訓練の方はどうなのだ?全て整ったのか?」

「はい。日程の調整もつきましたし、遠征地及び車両の使用許可も下りました。後は人員の最終調整です」


ユリウスの説明に、ルイーゼは顎に手を当てて考え込む。


「ふむ……であれば、特に問題はないか。大尉たちが不在の間は、私の方でも大佐の動向を気にかけておこう」

「お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします」


申し訳なさそうにそう頭を下げるユリウス。

そんな彼の肩を、ルイーゼはポンと軽く叩く。


「気にするな。大尉は、シュミットの身の安全のことを第1に考えていれば良い」

「承知いたしました」


ユリウスの返答にフッと笑ったルイーゼは、そのままスッと立ち上がる。


「さて……あまり長居するのも良くないからな。私はこの辺りで失礼させてもらおう」

「はい。お力添えありがとうございました」


そう言ってサッと一礼するユリウス。

ルイーゼも答礼すると、そのまま執務室を後にした。

それを見送ったユリウスは、ギルベルトに声をかける。


「ギルベルト、今日の業務報告はお前も付き合ってくれ」

「あいよ。んじゃ、さっさと仕事終わらせるとすっかな」


そんな会話をする2人を一瞥してから、手元の書類に視線を戻すラルフ。


(……この程度なら、わざわざ報告も必要ないかな。大佐も気にしないだろうし)


そう判断すると、そのまま黙々と事務仕事を進めていくのだった。

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