第12話 前編《休暇の影①》
─聖暦5607年7月─
部隊実習の時間、ソニアたちは全員揃って中庭で基礎訓練に勤しんでいた。
眩しい陽射しが降り注ぐ中、ソニアとシュテファンは互いに向かい合い、頭を下げる。
「ソニアさん、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、クリューガーさん」
それを確認したユリウスはパンっと手を叩く。
「よし、ではもう一度始め!」
その合図と共に、2人は動いた。
じり……と足を引きずるように、お互い間合いを測る。
ソニアは上体を低く保ったまま、右足を半歩だけ前へ。
緊張のせいか疲労のせいか、指先がかすかに震えてしまう。
対するシュテファンも、両腕をやや前に構えたまま左に体を傾ける。
狙っているのは、ソニアの軸足──だが、目線がわずかに泳いでしまう。
互いに、もう集中力の限界が近付いているのがよくわかった。
汗が首筋を伝い、顎の先からポタリと地面に落ちる。
容赦ない夏の陽光の照り返しで、周囲の石畳はまるで熱を持った板のようだった。
先に、シュテファンが1歩踏み込む。
わずかに溜めを作った直後、掌底を突き出した。
ソニアはそれを見切って、上体を捻るようにして回避する──が、避けきれずに腕がかすめる。
僅かに体勢を崩すも、すぐに踏みとどまって重心を戻した。
次の瞬間、ソニアの反撃の一手──反転しながら内回しの蹴りを放つが、力の加減が甘く、バランスも不安定だ。
それでも一撃一撃に、彼女の真剣さがにじむ。
お互い技は未熟だが、どの動きも必死さと集中に満ちていた。
シュテファンが思わず息をつき、ソニアも肩で呼吸しながら距離を取り直す。
お互いの頬にはうっすらと赤みが差していた。
汗は髪を湿らせ、額を伝って止まらない。
そんな2人の攻防を、ユリウスはただ黙って見つめていた。
腕を組み、微動だにせず──その目だけが、2人の動きを追い続けている。
休憩がてら木陰で涼んでいたヴェルナーは、そんな3人を眺めながら呟いた。
「ソニアちゃん、何気に体力あんなー……もうかれこれ1時間弱、ほぼ休憩なしにぶっ続けじゃないっすか」
「若さゆえ、かな?いや、でも俺16の時にあんなに動けてた気がしないなぁ……」
そう言うラルフが自身の若かりし頃に思いを馳せていると、少し疲れた表情のギルベルトが苦笑いする。
「若ぇのが元気なのは良いけどよ、50のおっさんにはちとキツイんだよなぁ……」
「まあ、俺らは持ち回りで休憩しながらなんでまだマシですけど……これ、いつまで続くんですかね?」
「多分、嬢ちゃんがバテるまでか、大尉の気が済むまでだな……」
ラルフの疑問にギルベルトがそう答えると、ヴェルナーは「マジかよ……」と深く肩で息をついた。
手合わせをするソニアたちを、そのまま3人でぼんやりと眺める。
ふとギルベルトがヴェルナーに声をかけた。
「……ヴェルナー、次お前の番だぞ。そろそろ準備しとけよ」
「うへー、俺もう無理……ベルクマン准尉、代わってくださいよー」
「いや、俺さっき手合わせしてきたばっかなんだけどな……」
ギルベルトがそう答えると、ヴェルナーはラルフに視線を向ける。
「じゃあ……サヴォイア曹長、頼むっす」
「えぇ?俺も、もうちょっと休憩したいんだけどなぁ……無理なら、クロイツァー大尉に直談判して来なよ」
「……」
ヴェルナーが無言でソニアたちの方に目を向けると、ソニアとシュテファンが互いに礼をしているのが見えた。
振り向いたユリウスと目が合い、ブンブンと激しく首を横に振るヴェルナー。
そんな彼の反応にユリウスはやれやれとため息をつき、ソニアたちを連れて3人の方へと戻って来た。
「何だヴェルナー、もうバテたのか?」
「いや、全員限界っすけど!?」
それを聞いたユリウスは、その場に腰を下ろしながら呆れ気味に口を開く。
「仕方がないな……とりあえず、一旦休憩にするか」
「じゃあ私、水持ってきますね」
ソニアはそう言うと足早に給水所に向かい、全員分のボトルに水を汲んで戻ると、各自に配る。
それぞれボトルを受け取るや否や、即座に口をつけた。
「あー、生き返るー……」
気の抜けた声でため息まじりにそう言うヴェルナー。
そんな彼をユリウスは軽く睨みつける。
「お前な……1番動いていない奴が何を言っているんだ?」
「いや、これでも散々動きまくったと思うんすけど…」
そんなヴェルナーに呆れつつ、ユリウスはソニアとシュテファンにタオルを手渡した。
「使え」
「「ありがとうございます」」
揃って滝のような汗を拭うソニアとシュテファン。
(今日は寮に戻ったら、いの一番にシャワーね……)
そう考えるソニアは、あまりの暑さにパタパタと顔を手で仰ぐ。
そんなソニアの様子をヴェルナーはじっと見つめた。
「ソニアちゃん、髪もあるし余計暑そうだよなー」
「否定はしませんね。一応まとめてますけど、それでもやっぱり蒸れますし……」
「女性は大変ですね……切ったりしないんですか?」
シュテファンの問いかけに、ソニアは思わず苦笑いしてしまう。
「昔、ショートヘアにしたことがあるんです。でも、髪質なのかある程度の長さ以下になるとハネがすごくて……そこから何となく伸ばしっぱなしなんですよね」
「ふーん……」
ヴェルナーはそう呟くと、ソニアを見つめたままニッと笑った。
「ソニアちゃんの髪下ろしたとこ、見てみたいなーなんて」
「えっ?」
ヴェルナーのいきなりの発言に思わず声を上げてしまうソニア。
(ちょうど結び直したいと思ってたし……まあいっか)
そう思いながら、低めの位置でまとめていたお団子ヘアを解く。
下ろした髪を手櫛で適当に整えていると、何やら言葉の出ない様子でソニアを見つめるヴェルナーの姿に気が付いた。
「……ローデ少尉?」
「あ、ごめん。思いのほか可愛かったから──」
そう言いかけるヴェルナーの頭に、ギルベルトの手刀が綺麗に決まる。
「痛ってー!!」と声を上げるヴェルナー。
そんな彼を、ギルベルトは叱りつける。
「お前な、嬢ちゃんにそういう軽いこと言ってんじゃねぇぞ?」
「す、すんません……でも、可愛いのは事実じゃないっすか……」
言い訳するヴェルナーを、ソニアは苦笑いで見つめる。
ふと視線を感じて顔を上げると、彼女をじっと見ていたユリウスと目が合った。
「えっと……大尉?」
「……髪は、いつも通りまとめておけ」
そう言ったユリウスは、思わずソニアから視線を逸らす。
(何を見惚れているんだ、俺は……)
密かにそんな自問をするユリウスの様子にソニアは首を傾げながら、素直に髪をまとめなおした。
「それにしても、今日はいつにも増して暑いですね」
「もう夏だからね……」
そう言うラルフの言葉に、ギルベルトは思い出したように口を開く。
「そういや……軍大学の夏期休暇、再来週からだったよな。大尉、色々まとまったのか?」
そう問われたユリウスは、一瞬ソニアに視線を向けてからコクリと頷いた。
「各所に根回しは済んだからな。特に問題ないはずだ」
「大尉はそう仰いますけど、ソニアさんのご実家は大丈夫なんですか?せっかく4週間もお休みなのに、娘さんが帰って来ないなんて……」
心配そうな視線をソニアに向けつつそう言うシュテファン。
その言葉に、ユリウスは半月ほど前のことを思い返すのだった。
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──
──半月前、ユリウスの執務室
ルイーゼからハインツに関する話を聞いてから数日が経ったその日、ユリウスとギルベルトは今後どう行動すべきなのかを引き続き話し込んでいた。
「とりあえず、ラルフとシュテファンにも早めに話を通しておくべきだろうな……」
「だな。それに、嬢ちゃんもうすぐ夏期休暇だろ?そこをどうすんのかも、きっちり考えた方が良いんじゃねぇか?」
その言葉にユリウスはハッと表情を変え、その様子にギルベルトは苦笑いしてしまう。
「……忘れてたって顔だな。ったく、嬢ちゃんのスケジュールはきっちり把握しとけ」
「すまない。あまりにも色々重なっていて……夏期休暇のことは完全に失念していた」
ユリウスはバツが悪そうにそう言うと、「実家に帰る学生がほとんどだろうが……」とポツリと呟く。
それに反応したギルベルトは、ため息まじりに口を開いた。
「嬢ちゃんに関しては、流石に帰らせるリスクがデカ過ぎるぜ。外はどこに教会関係者が潜んでいるかわからねぇ──いや、潜む必要もねぇ環境だからな。本部にいた方が、接触の可能性は格段に減るはずだ」
その言葉にユリウスは納得しつつ、どうすべきなのか考え込む。
(ギルベルトの言うことももっともだろう。自分たちの目が届きやすい軍敷地内にいてもらう方が、何かあった際の初動速度も全く違うからな……ただ、問題があるとすれば──)
ユリウスはふと視線を上げて、ギルベルトに声をかける。
「ソニアが寮に残る理由は、何が1番自然に見える?」
「やっぱそこがネックだよなぁ……」
そう言ってため息をつくギルベルトは、どうしたものかと頭を抱える。
(長期休暇中の学生は、一度は実家に顔出すのが普通だ。ずっと寮に残ってるような奴は天涯孤独って連中が大半って状況で、嬢ちゃんが寮に残ってればほぼ100%怪しまれちまう。何かしらの理由付けが必要なのは確かだが……)
ギルベルトは顔を上げると、ユリウスに向き直った。
「なるべく、シンプルな言い訳の方が良いだろうな。下手にあれこれ細工すると、変なところから綻びるかもだからよ」
「シンプルな言い訳、か……」
そう呟いたユリウスは、顎に手を当てて黙り込む。
ギルベルトも腕を組みながら、天井を見上げた。
(とりあえず、この件についてはメーゲンブルク中将も交えて話し合うべきだな)
一旦そう判断するユリウス。
2人は、ソニアも連れて一度ルーファスの元を訪ねようと決めたのだった。
その数日後、ユリウスはソニアとギルベルトと共にルーファスの執務室を訪れた。
「──というわけでして……」
「なるほど、確かに大尉たちの言う通りだな……」
ユリウスの説明に、ため息まじりにそう言うルーファス。
ふと、申し訳なさそうな表情で俯くソニアに気付いて声をかける。
「……ソニア、そんな顔をするな」
「だって……私のせいで、父さんにも迷惑が──」
「馬鹿を言え。可愛い娘の危機に立ち向かわん父親がどこにいる」
キッパリとそう言い切ったルーファスは、ユリウスとギルベルトに向き直った。
「さて、ソニアが寮に残るための言い訳だったな。それなら、1つ良い案がある」
その言葉に、ソニアたち3人は顔を見合わせる。
「伺ってもよろしいですか?」
そう問いかけるユリウスに、ルーファスはニッとユリウスに笑いかけた。
「もちろんだ。大尉、お前がソニアに教習を行うという理由付けをすれば良い」
「教習……?」
そう首を傾げるソニア。
対してギルベルトは、納得したように「確かに良い案かもな……」とソニアに視線を向けつつ呟く。
「嬢ちゃん、まだ16だから免許取れねぇだろ?」
「あ、はい。そうですね」
「入学前に取ってくる連中もいるが……軍大学では、1年が終わった夏に免許取らせんのが慣例なんだよ」
ギルベルトの説明に、ソニアは眉を上げてふとアンナとの会話を思い出す。
(そういえば、アンナが休みの1週目に免許取得合宿があるって言ってたような……)
そう思い返しながら、口を開いた。
「わざわざ軍の方で取らせてもらえるなんて、随分と親切なんですね」
「いや、何かあった時に動けねぇ奴は足手まといになんだろ?だから早々に免許取らせて、最低限車両班として動けるようにすんだよ」
「あ、なるほど……ですが、それとこれとはどういう関係があるのでしょうか?」
ギルベルトの言わんとすることが理解できず、益々首を傾げるソニア。
そんな彼女の反応を、ユリウスは不思議に思う。
(ソニアがここまで察しが悪いのも珍しいな……)
そう考えていたユリウスは、あることに気付いてハッと表情を変えた。
(そうか……こいつ、適用範囲外のことを知らないんだな)
ユリウスはソニアに向き直って口を開く。
「確かにお前の年齢での運転は禁止されている。だが、軍所有地内であれば話は別だ」
ユリウスからの助け舟に、ソニアは「あっ……」と小さく声を上げる。
(つまり、私は免許が取得できない年齢だけど、いざという時のために、大尉から本部の敷地内で予め車両の運転について一通り教わっておけって建前ね)
納得した様子のソニアに、ユリウスは声をかけた。
「ようやくわかったか、そういうことだ。寮に残る理由も、100%とは言えないがそこまで怪しまれることもないだろう」
「なるほど……でも父さん、よくそんなの思いついたわね」
そう話を振られたルーファスは、少し気まずそうに頭を掻く。
「実は、こういう事態でなくとも、大尉にはソニアの教習を頼めんかと考えていたものでな……」
「えっ?」
少し驚いたようにそう声を上げるソニア。
ルーファスは「仕方ないだろう……」と苦笑いで言いつつ続ける。
「お前が18になるのを待っていたら、本配属前後になるからな。正規軍人が車両の運転すらできんなんざ、問題になりかねん」
その言葉に、ソニアたち3人は納得したような表情で顔を見合わせた。
ギルベルトは少し考え込むと、ルーファスに向き直る。
「となると……ザクセン中佐から大尉と嬢ちゃんにその話を振ってもらった、ってことにすんのが良さそうっすか?」
ギルベルトの問いに、ルーファスは腕を組んでソファに腰掛け直す。
「うむ、『俺が部下の弟子を気にかけて』というのも少し不自然な話だからな。学年担当官である中佐が、『ソニアの今後の本配属等を考慮して』という方が自然に見えるだろう」
「では、目撃証言が残るよう、人目のある場所でソニアにその話を振ってもらえないかを中佐に1度相談してみます」
「頼んだぞ、大尉」
その言葉に、ユリウスはコクリと頷くのだった。




