第6話 前編《師弟の距離①》
月曜日の朝、ソニアは小さく深呼吸し、ユリウスの執務室前で拳を握りしめた。
(結局、あの後は全てクロイツァー大尉とベルクマン准尉にお任せしてしまったから…きちんと謝罪しておかないと)
そう思いつつその場で待機していると、向こうの方からユリウスが歩いてくるのが見える。
ソニアはサッと姿勢を正すと、ユリウスに一礼した。
そんなソニアに気付いたユリウスは目を丸くする。
「…シュミット?」
「大尉、おはようございます」
「ああ…とりあえず入れ」
ユリウスは何事かと思いつつソニアを執務室内に招き入れると、早速彼女に声をかける。
「こんな早くからどうした?何かトラブルか?」
「いえ、土曜日の件につきまして謝罪に参りました」
ソニアの言葉にユリウスが首を傾げると、ソニアは彼に深々と頭を下げた。
「当事者にもかかわらず、現場を離れる形となってしまい申し訳ございませんでした」
「お前な…その件について謝罪する必要はない。補講もあった以上は仕方がないだろう?きちんと間に合ったんだろうな?」
ユリウスの問いにソニアがコクリと頷くと、「それなら良し」とユリウスはソニアの頭にポンと手を乗せる。
少しホッとした様子の彼女と共に、休憩スペース内へと移動したユリウス。
ソニアをソファに腰掛けさせると、飲み物を用意しようと給湯スペースに足を運ぶ。
「あの…コーヒーでしたら私が淹れますよ?」
「いいからシュミットは座っていろ」
「でも、私は学生の立場なわけですし…」
申し訳なさそうな表情のソニアに、ユリウスは小さくため息をつく。
「…それなら、少し手を貸してくれ」
「はい」
ソニアはパッと立ち上がるとユリウスの元に駆け寄り、2人は並んでコーヒーと紅茶を用意した。
揃ってソファに座り直すと、それぞれカップに口をつけて一息つく。
じっと湯気の立つ紅茶のカップを見つめていたソニアは、ふとユリウスを見上げた。
「そういえば…あの後、何か問題はございませんでしたか?」
「いや…犯人もお前が既に確保していたしな。とりあえず、『被害者は助かった』ということだけ伝えておこう」
その言葉に、ソニアはホッと胸を撫で下ろす。
(良かった…。重傷そうに見えたけど、無事だったのね)
そう思いつつ、ふと疑問を口にする。
「それにしても…通り魔事件なんて、珍しいですよね」
「確かに、ここ半世紀ほどは、比較的治安の良い状態が全国的に続いているからな…」
「流石に、軍が出張るような事態になったりはしませんよね…?」
ソニアが恐る恐るそう尋ねると、ユリウスは少し考え込む。
「基本的に、通り魔は事件扱いゆえに警察の管轄だからな…。だが、取り調べで政治犯だと判断された場合に限っては、軍も関わらざるを得なくなるだろう」
「政治犯…」
ソニアが少し不安そうにポツリとそう呟くと、ユリウスは彼女の背を軽くポンと叩く。
「…そう心配するな。フリードリヒの話では、その可能性は極めて低いらしいからな」
「あ、そうなんですね……ん?」
ソニアはふと疑問を抱き、首を傾げた。
「シュミット、どうした?」
「いえ…ローデ少尉のお兄さまと親しくなられたのですか?今、お名前で呼んでいらっしゃったような…」
ソニアがそう尋ねると、ユリウスは少しバツの悪そうな顔で頭を掻いた。
「実は…話してみると、お互い立場が似ているせいか歳が近いせいか、思いのほか気が合ってな」
「なるほど、そうだったんですか…」
そう呟きながら、ソニアはフリードリヒのことを思い返す。
(外見はローデ少尉とよく似ていらしたけど…雰囲気は、何となく大尉と似ていたような気がするわね)
そう考えつつ、じっとユリウスを見つめるソニア。
彼女の様子にユリウスは小首を傾げる。
「…どうした?」
「いえ、その…初対面ですぐ仲良くなれるなんて、皆さん社交的なのだなと。私はそもそも、友人の作り方すらよくわかっていませんし…」
少し寂しそうに苦笑いでそう言うソニアの表情に、ユリウスはチクリと胸が痛んだ。
「とはいえ…シュミットも流石に1人も友人がいない、というわけじゃないだろう?」
「1人はいます。…おそらく、ですけど」
「お前な…『おそらく』とは何なんだ…」
ユリウスの言葉に、ソニアは手の中のカップをキュッと握りしめる。
「その…『仲良くしよう』とは言われたのですが、友人になろうと言われたわけではないので…」
ソニアは、入学式の際のアンナとの会話を思い返しつつそう述べる。
(私は、アンナのことを友人だと思ってるつもりだけど…でも…)
俯くソニアの頭の上に、ユリウスの大きな手がそっと撫でるように置かれた。
少し驚いたソニアは、ふと顔を上げてユリウスと視線を合わせる。
「…一般的に、その言葉は『友人になろう』と同義だ。そいつとは、定期的に交流があるのか?」
「あ、はい…。一昨日の外出前にも、服選びに付き合ってもらいました」
その言葉に、ユリウスはフッと安心したように微笑む。
「…であれば、そいつはシュミットの友人という扱いで問題ないだろうな。同級生か?」
「いえ…入学式の時に知り合ったので、学年は異なります」
ソニアの答えに、ユリウスは(なるほど…)と腕を組んだ。
(第1学年の学生となれば、シュミットの同級生たちと比べてこいつとも年齢が近い。同世代の人間と接することを学ぶ、良い機会にもなるだろうな)
そう判断したユリウスは、ソニアに向き直る。
「…せっかく、向こうから申し出があったんだ。あまり勘繰らずに仲良くしてやれ」
「はい、そうさせていただきます」
ソニアは少しホッとしたようにそう答え、その様子をユリウスは微笑ましく思う。
そのままソニアと他愛のない話をしつつコーヒーに口を付けていたユリウスは、ふとあることを思い出してソニアに声をかけた。
「シュミット、1つ頼みがあるんだが…俺とフリードリヒの友人関係については、ヴェルナーには内密にしておいてもらえるか?」
「えっ…?構いませんが…一応、理由をお伺いしてもよろしいですか?」
その言葉に、ユリウスは少し考え込んでから小さくため息をつきつつ口を開く。
「…ヴェルナーは、どうもフリードリヒにコンプレックスを持っているらしい」
「コンプレックス…ですか?」
そう首を傾げるソニアに、ユリウスは小さく頷いて続ける。
「…フリードリヒは、警察のキャリア組の中でもかなりの出世株でな。次期副署長候補の筆頭なんだそうだ」
「えっ!?副署長…ですか!?」
ソニアは思わず驚きの声を上げてしまう。
(見た感じは大尉より2、3歳歳上に見えたから…多分、まだギリギリ20代よね?そんな年齢で、副署長の最有力候補だなんて…)
そう感心するソニアに、ユリウスは気まずそうに口を開く。
「ヴェルナーも出来が悪いわけじゃないんだが…いかんせん、フリードリヒが優秀過ぎる。あいつ曰く『ヴェルナーは、俺の話を聞くのも嫌がるかもしれん』だそうだ」
「なるほど…そういうことであれば、私はこの件に関しては黙っておきますね」
「すまないな…」
ユリウスはそう言いつつ、話題を変えようとソニアの左腕に視線を向けた。
「…で、バングルの調子はどうだ?」
「今のところは問題ございません」
「そうか…」
ユリウスはそう言うと、確認のためにソニアの翠色の目をじっと見つめた。
「…魔術の効果はきちんと維持されているようだな。これなら、今後の魔術訓練講義に支障が出ることはなさそうだが…一応、定期的に魔術はかけ直しておけ」
「はい、承知いたしました」
ソニアはそう答えると「そういえば…」とゴソゴソと鞄を漁る。
何事かと首を傾げるユリウスに、ソニアは取り出した紙切れ1枚を差し出した。
「大尉、これを」
「ん?何だ?」
そう言ってユリウスが紙切れを受け取ると、そこには『借用書』と書かれており、思わず苦笑いしてしまう。
「お前な…わざわざ作ってきたのか?」
「はい。大尉の仰っていた通り無効ではありますが、返済の意思があることの証明にはなると思いましたので…。本配属後、即座に返済開始させていただきます」
はっきりと宣言するソニアに、ユリウスは思わずやれやれと息をついた。
(相変わらず、融通の効かないやつだな…)
そう思いながら、ユリウスはため息まじりに口を開く。
「…わかった、シュミットの好きなようにしてくれ」
「ありがとうございます」
ソニアはそう言いつつサッと一礼すると、ちらりと入り口の方へと視線を向ける。
「准尉は、まだいらっしゃらないのでしょうか?一言謝罪をしたかったのですが…」
「…あいつは今日、始業時間ギリギリになるはずだ。お前は1時限目から講義があるだろう?待っていたら遅刻するぞ」
「では、後ほど改めて謝罪に参ります」
淡々とそう述べるソニアに、ユリウスは再度ため息をつく。
「…俺から伝えておくから、お前はきちんと講義に集中しろ。わかったな?」
「承知いたしました。お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
「ああ…。とりあえず、お前はそろそろ学生棟に戻れ」
「はい。では、失礼させていただきます」
ソニアはユリウスに一礼すると執務室を後にし、1時限目の魔術訓練講義へと向かうのだった。
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講義室に辿り着いたソニアが扉を開いて中に入ると、室内にいた学生たちが一斉に彼女に顔を向けた。
その冷たい視線に、ソニアは思わず俯いてしまう。
(ただこういう視線を向けられるのって、地味にダメージがあるのよね…)
そう思いつつ、毎回のことながらも少し胸を抉られる。
(でも、下手に反応してしまったら、後でもっと嫌な思いをする羽目になるから…)
何とか無表情を保つソニアは、講義室内の隅の方にあった空きスペースへと素早く移動した。
周りの学生たちは、ヒソヒソと声をひそめて、チラチラとソニアの方を見ながら何かを話している。
その様子に、とてつもない居心地の悪さを感じつつも講義開始の時間を待つソニア。
時間の5分ほど前になると指導教官が講義室にやってきて、ソニア含め学生たちは揃って素早く一礼する。
指導教官であるハインツは、学生たちをぐるりと見渡してから口を開いた。
「…全員揃っているようだな。少し早いが講義を開始しよう」
「「「よろしくお願いします!」」」
学生たちがそう答えると、ハインツは満足気にうんうんと頷き、学生たちに指示を出す。
「今日は魔術コントロールを中心とする。各自、的の前に移動の後、ウォーミングアップがてら何度か撃ってみなさい」
ソニアもその指示に従って講義室の隅の方の的の前に立つと、炎魔術を展開させて的に向け何発か火球を放った。
放った火球は全て的の中心に当たり、ソニアの横で魔術展開をさせていた学生は目を丸くしてその様子を凝視する。
ソニアは続いて氷魔術を鏃のような形態でいくつか展開させた。
再度的に向けて連続で放つと、その氷の塊も全て的の中心付近に刺さる。
(1つの魔術に集中できるというだけで、随分と変わるものね…)
そう考えながら、ソニアは制服の袖で隠したバングルの方にちらりと目を向けた。
そんな彼女の様子をじっと眺めていたハインツは、彼女の方へと歩み寄る。
「…君」
「はい」
ソニアがそう返答すると、ハインツは怪訝な表情を浮かべつつソニアを上から下までじっと観察する。
「急にコントロール力が上がったようだな。まさかとは思うが…何かしらの不正はしていないかね?」
その言葉にハッとするソニア。
(いきなりこれは、流石に怪しまれるわよね…迂闊だったわ)
そう後悔しながらも、ハインツの探るような視線を受けて背筋に冷や汗が伝う。
(大尉から『シュヴァイガー大佐のことは要警戒』と言われている以上、素直にバングルのことを話すのも悪手…。どう誤魔化す…?もし、少しでも言葉を間違ったら…)
ソニアは心臓をバクバクさせつつ、必死に頭の中で言い訳の辻褄を合わせる。
「いえ…そのようなことはしておりません。先日、クロイツァー大尉より集中講義を賜りましたので、その結果かと存じます」
「それにしては、随分な成長ぶりだと思うがね…」
ハインツは、明らかにソニアに疑いの目を向けている。
(何とかして早々に言いくるめてしまわないと、長引くほど言い訳が苦しくなるわ…)
そう判断したソニアは脳をフル回転させた。
「…大尉が学生に厳しいということは、大佐もご存知なのではありませんか?」
「ふむ…確かに彼なら、たとえ自分の弟子であろうが学生の扱いを変えることはなさそうだな」
「そういうことです。『私がコントロール力を身につけるまで、ただひたすらに指導を受けた』というだけなのですが…」
そこまで言ったソニアは、ハインツの反応を伺う。
彼は怪訝な表情のままじっとソニアのことを見つめており、その視線を少し不快に思った。
(でも、ここで視線を逸らせたら、余計に怪しまれるかも…)
そう判断したソニアは、まっすぐにハインツを見つめ返す。
そんな彼女の様子に、ハインツは小さくため息をついた。
「なるほどな…まあ良い、とりあえずはそういうことにしておくとしよう」
ハインツはやれやれとそう答えると、ソニアから視線を外す。
それから、講義室の反対側にある的の方を指差して口を開いた。
「とりあえず、君は一旦向こうの中級者レーンに移動しなさい」
「…承知いたしました」
ソニアはサッと一礼すると、指示通りに中級者向けのレーンに素早く移動する。
周りの学生たちはそんなソニアをじろじろと眺めており、ソニアは学生たちからの視線に耐えつつ講義に臨むのだった。
その後魔術訓練の講義が終了し、ソニアは次の教育課程の講義に向かうべく講義室を後にしようとする。
出入り口の扉に手をかけたところで、背後からハインツの声が聞こえてきた。
「君、待ちなさい」
その言葉にドキッとしたソニアは足を止めると、平静を装いつつくるりと振り返ってハインツと向き直る。
「何かご用でしょうか?」
「…本当に、大尉から講義を受けただけなのかね?」
「はい。いくつかアドバイスをいただき、本日の講義ではそれを全て実行するように心がけておりました」
ソニアは、ボロが出ないよう一貫して同じような主張を繰り返す。
その様子にハインツは深くため息をついた。
「君は、随分と頑なだな…。まあ良い、行きなさい」
「…失礼いたします」
ソニアはサッとハインツに一礼すると、急いで講義室を後にして次の講義へと向かうのだった。




