第5話 後編《小さな選択②》
どのバングルを選ぶべきなのかと、アレコレ議論を続けているソニアとユリウス。
そんな2人を遠目から眺めていたギルベルトだったが、30分も経つといい加減に痺れを切らした。
「なあ…まだ決まんねぇのか?」
「あっ、申し訳ございません…」
そう謝罪したソニアは少し焦ってテーブルの上に視線を戻し、ユリウスが初めに選んだ細身のバングルをスッと指差した。
「クロイツァー大尉、これにしようと思うのですが…いかがでしょうか?」
「…それがベストだろうな」
ユリウスは店主に声をかけてソニアの選んだバングルを購入することを告げると、店主はそのバングルを手に取りソニアに差し出す。
「きちんと機能するか、1度確かめておくと良い」
「承知いたしました。ありがとうございます」
ソニアはそう言ってバングルを受け取ると、一瞬動きを止めた。
そんな彼女の様子に、ユリウスは首を傾げる。
「シュミット?」
「あ、いえ…どちらの腕に着けるものなのかと思いまして…」
そう言いながら左右の腕を交互に見るソニアに、ギルベルトは思わず苦笑いしてしまう。
「別に、どっちでも構わねぇだろ…ま、利き腕と逆の方が邪魔にはなんねぇと思うぞ?」
「なるほど…確かに仰る通りですね」
ソニアはバングルを左腕に装着すると、店主に向き直った。
「どう使用するのでしょうか?」
「詳しい説明は省くが──」
店主はソニアに大まかな使用方法を説明し、ソニアはその通りに1度幻影魔術を発動する。
ソニアはそのまま魔術コントロールを解除するも、見事に幻影魔術は発動されたままになっていた。
ユリウスはその光景に思わず目を丸くする。
「…驚いたな。本当に魔術の効果を維持できるのか…」
「途中で解除したい時は、解除魔術をバングルに発動すれば効果は切れる」
「はい、承知いたしました」
ソニアが店主の説明通りにバングルに向けて解除魔術を発動すると、幻影魔術の痕跡は綺麗さっぱり消え去った。
その様子をじっと見守っていたギルベルトは、ソニアのそばに歩み寄ると、軽くバングルを確認してから口を開く。
「とりあえずは、問題ねぇっぽいな」
そう言いつつ、ギルベルトは店主に声をかける。
「買うのに何かしらの手続きは必要か?」
「…ベルクマンの紹介なら別に構わんよ。ただ、念のためお前のサインだけもらっておくぞ」
「あいよ」
そう言ったギルベルトは、ユリウスに顔を向ける。
「ユリウス。俺はちょいと外すから、嬢ちゃんとここで待っててくれ」
「ああ、わかった」
ユリウスがそう答えると、ギルベルトは店主と共に一旦店の奥へと姿を消した。
ソニアとユリウスは、店内を見て回りながら2人の戻りを待つ。
ソニアが何気なく手近にあった装飾品を手に取ると、ユリウスは彼女に声をかける。
「…欲しい物があれば、ついでに買ったらどうだ?」
「いえ、欲しい物は特に…」
手に取った装飾品を棚に戻しつつ、ソニアはユリウスの方へと振り返った。
「大尉は何も買われないのですか?」
「俺には、こういったものを贈るような相手はいないからな…」
そう言いつつ、ユリウスは近くに置かれていた女性向けの装飾品に目を向ける。
そんな彼の様子を、ソニアはじっと見つめた。
(大尉って顔も整っているし、安定した仕事に就いていらっしゃるし、世間的に見ればいわゆる好条件の部類に入ると思うのだけど…)
ソニアは不思議に思いながら首を傾げ、ユリウスは何事かと彼女に声をかける。
「シュミット、どうした?」
「…少し、意外に思ったもので」
ユリウスはその言葉にどう返すべきか悩んでしまう。
(まあ、シュミットになら…)
そう判断し、自分の考えを述べることにする。
「軍人という仕事柄、自分の身がいつどうなるかわからないだろう?万が一、遺された側は辛い思いをするだろうしな。…だから、俺はそういう特別な相手を作るつもりはないんだ」
はっきりと言い切ったユリウスは、ソニアに目を向けた。
彼女は相変わらずの無表情で、ユリウスをじっと見つめている。
そんな彼女の様子に、ユリウスは少し後悔した。
(やはり、話さない方が良かったかもしれないな…)
そう思いながら、足元を見つめて小さく息をつく。
(…俺の考えが、周りからズレていることは重々承知している。実際、ヴェルナーから何故恋人を作らないのかと問われることもよくあるし、軍内にも既婚者は多いからな。ただ、俺は相手のことを考えるとどうしてもそういう気にはなれない…)
そうユリウスが考えていると、ソニアの声がふと耳に入ってきた。
「…そういう考え方もあるのですね。非常に参考になります」
その言葉にユリウスは驚いたように顔を上げる。
「シュミットは、俺の考えが間違っていると思わないのか…?」
そう問われたソニアは、フルフルと首を横に振った。
「いえ…大尉のお考えは特に間違ってはいないかと。実際、そういう境遇の方が過去に何人もいらっしゃったのも事実ではありませんか?」
自分の考えを肯定するようなソニアの返答は意外なもので、ユリウスはつい目を丸くしてしまう。
そんなユリウスを余所に、ソニアは更に続ける。
「ただ、私なりの意見を述べるとすれば…『自分の身がいつどうなるかわからない』というのは、生きている人全てに当てはまるのではないでしょうか?」
ソニアの言わんとすることを理解できず、ユリウスは首を傾げた。
「どういうことだ…?」
「…普通に生きていたとしても、確率の差はあれど同じではありませんか?例を挙げると…仕事に行く最中に事故に遭うかもしれない。寝ている時に急病で死ぬかもしれない…。無事に明日を迎えられる保証は、どこの誰にもないと思うんです」
ソニアはユリウスの失礼にならないよう言葉を選びつつも、はっきりと自分の意見を述べる。
「…私は、大尉のお考えが間違っているとは思いません。ですが『自分の身がいつどうなるかわからない』という理由で、深い人間関係を築くことを避けてしまうのは少し勿体ないような気はいたします。人付き合いの苦手な私が言えたことではありませんが…」
ソニアの言葉に、ユリウスは図らずもハッと気付かされる。
そんなユリウスの様子に、ソニアは少し不安に思ってしまう。
(上官の意見には、逆らわない方が良かったかしら…)
そう思い立つと、スッとユリウスに頭を下げた。
「学生の分際で偉そうなことを申し上げてしまい、申し訳ございませんでした」
そんなソニアの謝罪に、ユリウスは小さく首を横に振る。
「お前、16の割に人生を達観し過ぎじゃないか?…だが、確かにお前の言う通りかもしれないな」
ユリウスはフッと笑うと、ソニアの頭にポンッと手を置く。
「謝る必要は無いぞ、シュミット。それに、上官相手にはっきりと自分の意見を言えるのは悪くない傾向だ」
「そうでしょうか?」
ソニアがそう首を傾げると、不意にギルベルトの声が聞こえてきた。
「悪ぃ、待たせたな」
ソニアたちがその声の方へと振り返ると、ギルベルトと店主が店の奥から戻って来るのが目に入る。
「…サインとやらは済んだのか?」
「ああ、何の問題もねぇよ。…さて、後は会計だな」
ギルベルトがそう言うと、店主はソニアに1枚の紙を手渡す。
そこには請求書と書かれており、何気なく金額の欄に目をやるとソニアはつい声を上げてしまう。
「えっ…?」
見間違いかとソニアは再度1の位から金額を数え直すが、残念ながら見間違いではないようだった。
「嘘…」
ソニアはポツリとそう口にしつつ頭をフル回転させる。
手元の請求書には、98,000マルクと書かれていた。
(10万近くするなんて…ローンも組めないのに、こんな金額どうやって払えば良いの…?でも、これがないと単位の取得が──)
内心焦るソニアの横からスッと手が伸び、彼女の手から請求書を取り上げた。
ソニアがパッと顔を上げると、ユリウスがまじまじと請求書を眺めているのが目に入る。
「…これは、学生には払いづらい金額だな」
そう言うとユリウスはポケットから財布を取り出し、中から高額紙幣を何枚か抜き取ると店主に手渡した。
「これで会計を頼む」
「大尉、いけません…!」
そう言って止めようとするソニアをユリウスは制し、店主は会計のために再度店の奥に入っていく。
それを見送ったユリウスは、ソニアに向かって口を開いた。
「…お前が払える金額じゃないんだろう?」
「それは大尉の仰る通りですが…でも、流石にこのような高額の物を──」
そこまで言ったソニアの言葉を、ユリウスは素早く遮る。
「これは、シュミットの単位取得のため、そして今後無用なトラブルを避けるために必要な物だ。お前の将来に対する投資とでも思えば、随分と安いと思うぞ?」
そう言われたソニアは、少し俯いて考え込んでからユリウスを見上げる。
「…であれば、後ほど借用書を作成いたします」
「いや、別に返してもらう必要もない──」
「いけません。父からもよく『金銭の貸し借りをするなら、取り決めはきちんとしておきなさい』と言いつけられております」
ソニアの言葉に、ユリウスは困ったように頭を掻いた。
「そうしたいなら構わないが…ただ、未成年のお前が借用書にサインしたところで無効だぞ?」
「あっ…」
ユリウスの言葉にソニアはハッと表情を変える。
(言われてみればその通りだわ…)
どうすべきなのかと再び考え込むソニア。
そんな彼女の様子にユリウスはフッと笑うと、少し屈んでソニアと目線を合わせる。
「…どうしてもと言うなら、卒業後働き始めてから返してもらえれば良い。わかったな?」
「ですが、そうなると後2年は──」
「今、シュミットがすべきなのは金稼ぎではなく、軍大学を卒業することだろう?別に2年待つくらい、どうということもないからな」
ユリウスの言葉に、ソニアは少し考え込んでから小さく頷く。
「…承知いたしました。ありがとうございます、大尉」
ソニアはユリウスにペコリと頭を下げた。
そんな2人の様子を静かに見守っていたギルベルトは、思わず小さく吹き出してしまう。
その様子にユリウスは首を傾げる。
「ギルベルト?」
「いや、鬼教官も自分の弟子には随分と優しいんだと思ってよ。ユリウスも丸くなったもんだな」
ニヤッと笑ってそう告げるギルベルトの言葉に、ユリウスは頰を描きながら口を開く。
「…昔、お前も似たようなことをしていただろう?師弟関係ともなれば、珍しいことでもないんじゃないか?」
「あー…そういやそんなこともあったか…」
ギルベルトはそう言いつつ、納得したような表情を浮かべた。
(なるほどな。ユリウスは、俺のやってきたことを参考にしてんのか…)
ギルベルトはフッと小さく笑みを浮かべると、話をするソニアとユリウスを見守るのだった。
その後、会計処理を終えた3人は店を後にすると、中心街へと戻る。
並んで街中を歩く中、ギルベルトがふと口を開いた。
「んで?これからどうするよ?」
「俺は特に予定はないが…シュミットは午後から補講だったな?」
ユリウスに視線を向けられたソニアは、小さく首を縦に振る。
「はい。とはいえ、まだ時間には余裕がございます」
「んじゃ、その辺の店で休憩がてら茶でも飲むとすっか」
そう言ってスタスタと先を歩くギルベルトの後に、ソニアとユリウスは並んで続く。
しばらくそのまま歩いていると、ソニアの少し前を歩いていた中年くらいの男性が突然ぐらりと倒れていくのが目に入り、ソニアは思わず足を止めた。
そんな彼女の様子に気付いたユリウスとギルベルトも足を止め、くるりと振り返る。
「シュミット、どうした?」
「今、人が倒れて──」
そう言いかけたソニアの目に、倒れた男性の向こう側で、赤い液体に塗れた何かが見えた。
(あれって…ひょっとしてナイフ…!?)
瞬時にそう判断したソニアが顔を上げると、そのナイフを持った男と目が合ってしまう。
その刹那、ソニアは心臓がドクンと一際強く打つのを感じた。
世界がスローモーションになり、街のざわめきがまるで遠ざかるように薄れていく。
陽光を反射して、銀色のナイフがギラリと鋭い光を放った。
空気が張り詰め、息を呑む間もなく、男は迷いなくこちらに突っ込んでくる。
(えっ…私!?)
男の腕がナイフを振りかざし、その刃先が視界いっぱいに迫る。
思わず全身が硬直し、死が目の前に迫るような感覚が身体中に広がっていく。
「シュミット!」
「嬢ちゃん!」
ユリウスとギルベルトの声とともに、ソニアは一瞬だけ、その刃が風を裂く音を聞いた気がした。
(あ…私、このまま…)
ソニアが目を瞑ろうとしたその瞬間、考えるよりも先に、体が勝手に動いた。
何度も個別指導で教わった動きと同じように、素早く身を翻して刃をかわす。
(えっ…?)
ソニアは一瞬驚きつつも、すぐに冷静さを取り戻してすれ違いざまに男の腕をがっしりと掴む。
触れた瞬間、男の筋肉が緊張して硬直するのがはっきりと伝わる。
ソニアは息を止め、全力で重心を崩し、男の体を宙に浮かせた。
ドスン!と鈍い音とともに、男は地面に叩きつけられ、ナイフがカラン、と乾いた音を立てて転がる。
気絶している男を見下ろしたソニアは、急に身体の力が抜けてストンとその場に座り込む。
ドッと汗が噴き出し、心臓がうるさいくらいにバクバクと鳴っていた。
「シュミット、大丈夫か!?」
「あ…は、はい…」
駆け寄ったユリウスは、ソニアの身体が震えていることに気付いて、素早く彼女のすぐ横に座り込む。
そんなユリウスに、ギルベルトは少し焦ったように声をかけた。
「俺は、向こうの状況確認して、警察と医者呼んでくるわ。ユリウス、嬢ちゃんとそいつのことは任せた」
「ああ、わかった」
ギルベルトはその場を離れると被害者男性の方へと駆け寄っていき、状態を確認しつつ周りの市民たちに指示を出す。
ユリウスは気絶している男を念の為に縛り上げ、その様子を呆然と眺めているソニアに怪我がないかを素早く確認した。
「…大丈夫そうだな。全く、お前は無茶を…」
「す、すみません…」
そう声を震わせるソニアの背を、ユリウスはそっと撫でる。
少しして、多少落ち着いた様子のソニアはユリウスに頭を下げた。
「以前、大尉から武器を持った相手への対処法を教わっていたおかげで助かりました。ありがとうございます」
「無事だったから良かったが…正直、肝が冷えたぞ」
ユリウスはため息まじりにそう言いつつ、くしゃっとソニアの頭を撫でる。
「…だが、よくやった。流石は俺の弟子だな」
そう言われたソニアは何となく気恥ずかしくなってしまい、それを悟られないよう努めて冷静に口を開いた。
「今後も、大尉の弟子の名に恥じぬよう精進いたします」
ソニアがはっきりとそう告げると、ユリウスは満足気にフッと笑うのだった。
しばらくして警察や現場近くに住む医者たちが到着し、ソニアたちは警察官から待機するように指示を受ける。
隅の方で並んで待っていると、現場の方から警察の制服に身を包んだ1人の男性が3人の方へと歩いて来るのが見えた。
ソニアは思わずその警察官の顔をじっと見つめてしまい、彼は不思議そうに首を傾げる。
「…顔に何か付いているか?」
「あ、いえ…知り合いに似ていると思ったもので」
「知り合い…?」
そう言うギルベルトに、ソニアは言葉を続ける。
「その…ローデ少尉と似ていらっしゃいませんか…?」
その言葉にユリウスとギルベルトも警察官の顔をじっと見やり、警察官はフッと笑って口を開く。
「…ということは、君たちは軍の人間なのか」
「えっ?つーことは…マジでヴェルナーの親戚なのか?」
ギルベルトが驚いたようにそう言うと、警察官は小さく首を縦に振る。
「俺はフリードリヒ・ローデ。中央警察の警察官で、階級は警部…そして、ヴェルナーの兄だ」
思わぬ事実に、ソニアたち3人は顔を見合わせた。
「ヴェルナーに兄弟がいたとは…初耳だな」
ユリウスの言葉に、ソニアもうんうんと頷いて同意する。
そんな彼らの様子に、フリードリヒは苦笑いで口を開く。
「あいつは、あまり俺のことを余所で話そうとしないからな…とりあえず、君たちにはこの事件のことについて話を聞きたい。協力願えるか?」
フリードリヒの言葉に、ソニアたちはコクリと頷くのだった。
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「…なるほど。シュミットも襲い掛かられた1人だったのだな」
顎に手を当てつつそう言うフリードリヒに、ソニアは小さく頷く。
「はい。幸い護身術を習っておりましたので、難を逃れました」
「あの通り魔も、嬢ちゃんを狙ったのが運の尽きだったな」
そう話すギルベルトに、ユリウスはその通りだと同意する。
そんな話を聞きながら調書を取っていたフリードリヒは、一通りを書き終えるとちらりと現場の方へと視線を向けた。
「…向こうはまだ時間がかかりそうだな」
そう言ったフリードリヒに、ユリウスが声をかける。
「まだ聞きたいことはあるか?もし無いようなら、シュミットを本部まで帰したい」
「できれば、現場検証が終わるまでは残っていてもらいたいところなのだが…何か予定があるのか?」
「軍大学の補講がございます」
ソニアがそう答えると、フリードリヒは少し考え込んでから口を開く。
「ふむ…それなら引き止めるわけにもいくまい。ただ、2人は残ってもらえるか?」
「おう、俺は構わねぇぜ。ユリウスも特に予定はねぇだろ?」
「ああ。…シュミット、向こうまで1人で戻れるか?」
「問題ございません」
そう即答するソニアの肩に、ユリウスはポンッと手を置いた。
「なら、お前はこのまま戻って補講を受けてこい。ここは俺とギルベルトに任せておけ」
「ですが──」
「補講落としたら、後が大変だろ。嬢ちゃんの最優先事項は、単位だぜ?」
「…ありがとうございます。では、私は失礼させていただきます」
ソニアはそう言って、ユリウスたちにペコリと頭を下げる。
「…また週明けにな。気を付けろよ、シュミット」
「はい、承知いたしました」
ソニアは一礼すると、そのまま中央本部へと向かって行く。
それを見送ったユリウスとギルベルトは、フリードリヒから聴取を受け続けるのだった。




