3/8 記憶
俺の部屋に誰かがいる。
俺ではない誰かがいて、日記を勝手に読んでいる。
本来俺はこの時間、ここにいてはおかしい存在だ。明日卒業する先輩たちを祝福するため、今後のご多幸をお祈り申し上げるため、学園にいなくてはならない。
だが、それよりも優先すべき問題がここにはあって、それが結果として、最終的に、兄貴のためになると、俺はそう信じる。
俺は部屋の扉を開き、中にいる人間に声を掛ける。そうすることが当たり前であるかのように、糾弾ではなくいつも通りのように、ただ、その背中に。
「やっぱり、お前だったか」
俺のその言葉に反応して頭が持ち上がる。
それでも振り向きはしないのは、俺が明確に誰と言及していないからか、あるいは、事ここに至っては、もはや顔を合わせる必要すらないと判断しているからか。
「前から、俺の日記を誰かが読んでること自体にはなんとなく気付いてた。でも、その犯人は警戒心が強くて、現場を押さえることが出来なかった。だから、俺が絶対にいなくなるはずの今日、こうして部屋に戻って来た」
俺の部屋に鍵は掛かっていない。
鍵自体は付いているが、部屋の掃除やらに入る度に鍵を開け閉めするのは面倒だろうと、基本的にうちの一家は誰も部屋に鍵を掛けないのだ。
それは、この家で働いている侍従の皆なら誰でも知っている。
「迂闊だったな、エフィ」
そこにいたのは長年この家で働いてくれている侍女、エフィ・アルケルドで、そこでようやく、そいつは振り向いた。
この家で一番紅茶を入れるのが上手かったそいつの両手は、見間違えようもなく開かれた俺の日記を持っていて、俺の視線が日記に向いたのを察するのと同時に、溜め息を吐きながらそれを丁寧に机の上に置いた。
溜め息を吐きたいのはこちらだが、とりあえずは刺激することを避けるのが最優先事項であり、できればこのまましばらく話を続けたい。
「……なぜ、私だと?」
「そこには大した理由はないな。もし誰かが俺の日記を読んでると仮定した場合、俺の部屋に入る頻度が一番高いお前が一番疑わしかったってだけだ」
「……日記は、きちんと元の場所に戻していたはずだったんですけどねえ」
そう言いながら部屋を見回す奴だが、別に監視用の魔道具などは設置されていない。
言うならばただの勘だ。
我が家の情報が漏れたなら従者からかもしれない、それがより詳しい情報ならば俺の日記を見たからかもしれない、言ってしまえばそういう不確かな感覚が根拠。
根拠というには説得力に乏しいが、家族の誰もアッセクア家に情報を流していないのなら、この感覚、あるいは勘は、そこまで的外れなものではないという確信もあった。
そして実際、それは事実であり、現実だった。
「アッセクア家に情報を流して、その対価は金か? 『深刻社』さえ乗っ取れれば、お前に渡す金なんて端金みたいなもんだろうしな」
「端金とは言っても、私からすれば十分な大金ですよ。ここでこれから先も働き続けるよりも、余程割のいい仕事でした。しかも一回で済むって言うんですから、嫌な笑いも止まりませんよ」
「……給料に不満があったなら言ってほしかったな」
「給料に不満はありませんでしたよ。ただ、もっと欲しかった。それだけです」
こいつはまだ何かを隠している。
その何かの正体に俺は限りなく肉薄しているはずで、しかしこいつが自らその秘密を公開することはあり得ないと断言できる。
もし俺の考えが正しければ、日記とか情報漏洩とか、そんなものがどうでもよくなるほどの爆弾をこいつは未だに秘めているのだから。
それを如何にして白状させるか、あるいは自爆する方向にもっていくか。ある程度の計画は練ってきたが、上手く行く気配など欠片も感じられない。
隙が無い。
果てのない老獪さ。
「……一応、お前のことを怪しいと思うに至った理由はいくつかある」
「ふむ……、話し足りないのならお聞きしますが、時間稼ぎのつもりならば無駄ですよ?」
「どうかな。……日頃から気遣いの利くお前が、俺にヒルドの好きだった銘柄の紅茶を出しただろ? うっかりとして納得してたけど、あれは俺にストレスを与えるためだったんじゃないのか?」
「……何故そんなことをする必要が?」
半笑いのような表情で肩を竦めながら俺に問いかけるこいつは、露骨な白々しさを纏っている。誤魔化すつもりが無い、というより、暴かれることを楽しんでいるかのような、露悪的な嘲笑。
こいつの罪を挙げるほど、踊らされた俺の愚かさも際立つ、みたいな考えなのか。それとも、暴かれた先に何かがあるのか。
わからない。
「俺を家族から隔絶するためだろ。具体的に言うなら、兄貴と母さんからだ」
「…………」
「侍従の皆を、励ますという名目で俺の部屋に集まるよう仕向けたのもお前だし、皆が兄貴の陰口を言っていないこともない、とか俺に吹き込んだのもお前だ。そうやってお前は、俺を兄貴から確実に着実に隔絶していった。兄貴の敵である侍従の皆が俺の味方である、ということを刷り込む形で」
「なるほど、確かにそうも取れますね」
「俺が登校を拒否しているって父さんに報告したのもお前だろ? 父さんを俺の味方に付けて、テアマット家を二分した。そうすれば母さんが実家に戻り、お前が今以上に自由に動きやすくなるのがわかってたからだ」
追い詰められた犯人のように、悔しそうな顔の一つでも浮かべていれば、俺だってこんな根拠も何もあやふやな推理をこうも自信満々に語ったりしない。そんなことできない。
だが、この推理はある程度の説得力を持ってしまっていたし、俺が集めた証拠や証言の数々はその裏付けをしてくれていた。
だから。俺はこの推理が現実であると信じて語る必要がある。
否定もせず、にやにやと厭らしい笑みを浮かべながらこちらを見ている奴から、真実を引き出すために。
「母さんが実家に戻ったとき、真っ先に俺に報告しに来たのも、父さんがいなくなった時、俺が当主の代行なんじゃないかって言ってきたのも、両方ともお前だ。お前は俺の精神を安定させないために、言い換えれば、日記を書かせるために色々と工作してたわけだ」
「そしてその日記を私が見る。なんとも綺麗な循環ですね。見事に一周していて完結している」
「完結してないだろ。お前はその情報をアッセクア家に持ち込み、対価を得ていた。行き止まりで得をするのはどこまでもお前らだし、損をするのはうちで不変だ。ふざけんな」
この辺りはドロア嬢に話を聞いている。
現当主である父親の部屋に忍び込んでもらったところ、整理された机に似つかわしくない、走り書きの記された紙があったという。
その文章の写しを読ませてもらったところ、俺の日記を限りなく簡略化したものだというのが俺にはわかった。俺の要素を極限まで省いた、必要な情報だけを抽出した、もはや日記ではない何か。
こいつが求めていたのは、それだけだったのだ。日々の記憶を、感情を整理するために、俺の頭から出力された日記。
「『日記こそが毎日の出来事を忘れないようにする一番の方法』、そう言って俺に日記を書かせるよう誘導したのは、始めから金を得るためか? それとも途中から気遣いが金遣いに変わったのか?」
「…………」
「忘れさせないために、俺を精神的に追い詰めるために、優しい振りしてたのか? そういえば、ヒルドが俺のことを好きだったとか、そういういらない報告もされたな」
目の前の顔から、笑顔が消える。
眼光が鋭くなり、殺意が発せられる。
それでも、俺は――。
「――憶えてるよな、おじいちゃん」




