3/8 音声記録③
《数秒の沈黙。》
『……帰って来た母さんは、当日に俺の部屋に来た』
《困惑の混じった吐息。》
『誰にも見つからないように、だけどな。実家で頭が冷えて、俺に謝るために帰って来たんだと。蔑ろにしてごめんって、平謝りされた。母さんの偽物かと思ったくらいだよ』
《魔力の揺らぎで少しノイズが混じる。》
『……兄貴とヒルドの件は、あんたの仕業か?』
『……なに?』
『兄貴を唆したとか、ヒルドに何か吹き込んだとか、そういう話だよ。目的のために、婚約を破棄させたのか、婚約破棄が起こったから、目的を設定したのか、どっちなのかって話だ』
『……ふん。残念だったな、私はオートスの一件には関わっていない。お前からすればそれが最後の希望だったのだろうが、あれはあの二人の意志によって行われた裏切りだ』
《小さい笑い声。》
『……そっか、よかった』
『……そこは、絶望するところではないのか?』
『これ以上、あんたに失望したくない。だから、よかった』
《押されていた壁が戻る音、数秒の沈黙。》
『……不義が、嫌いだ』
『……え?』
『不貞が嫌いだ、昔からな。より正確に先程の質問に答えるならば、オートスがやらかしたから、私は今回のことを思いついた。お前の恨みを絶やさないことと並列して、清算させる準備を進めていた』
《苛立ったように頭を掻く音。》
『あんな奴がテアマット家を継ぐというのが、どうしても看過できなかった。私が守って来た、私が託され、私が託した家が、どうしようもなく穢れると思った』
『……じゃあ、何でさっさと兄貴の不義を告発しなかったんだ。アッセクア家に情報を持ち込むんじゃなく、公の場で晒すなりなんなりすれば、今頃兄貴はこの家から追い出されてたはずなのに』
『失望したからだ。アップリテルにも、テアマットにも。お前に日記を書かせ始めたのは、侍女では知ることが難しい現状を逐一知るためだった。三日と続かない可能性も加味して、実際には色々と手を打ってはいたが、結局一番上手く行ったのは日記だった』
《躊躇いがちな笑い声。》
『ストールアは、私が不義を嫌っていることを知っていて、長男の不祥事を隠すことを選んだ。それを私に報告したのは、その上での許可取りのようなつもりだったのかもしれないが、そんなもの関係ない。私は、息子にそんな的外れな誠実さを教えた覚えはない』
『……今から俺が家を継ぐのは無茶だ。だから父さんは、兄貴のやらかしを隠した。これから先のテアマットを、守るために』
『そんな形で存続するならば潰れてしまった方がましだ! 誠実も正当も契約も守れない人間が、長きに渡り家を守っていけるはずがない! 貴族社会で不貞が誤魔化されがちなのは、そんなことをする人間は大抵、何もせずとも消えていくことが分かっているからだ!』
《十数秒の沈黙、考え込むような雰囲気。》
『……違うかどうかの判断は、俺には難しいな。日記に書いてたことは概ね本当だよ。怒ってないし、悲しくない。あの日俺がペンを壊したのは、疑われたからだ。冤罪を掛けられそうになったから。自分のことしか考えてない、視野が狭い奴の怒りだ』
『それだって、あの二人がしでかさなければ生まれるはずのなかった嫌疑だ』
『だから、俺は初めから何も持ってなかったんだって。頼れる兄貴も、賢い婚約者もいなかった。ついでに教えておくけど、ヘルデちゃんは無事婚約が決まったよ。家を継ぐことになって、いい感じだった幼馴染みとどうなるってところだったけど、婿入りしてくれることになったって、こないだ報告に来てくれた』
《小さい笑い声、覚悟を決めて息を吸う音。》
『……おじいちゃん』
《落ち着いた雰囲気。》
『もう、兄貴に関わるのはやめた方がいい』
《息を呑む音。》
『何に金が必要なのかはわからないけど、もう充分だろ。アッセクア家にある俺の日記の写しを破棄してもらうよう、ドロア嬢に話はつけてある。だから、もうやめた方がいい』
『……お前は、どうするつもりだ』
『日記に書いたろ? 探索者にでもなるさ。幸い、おじいちゃんから魔法の才能受け継いでるみたいだし』
《数秒の沈黙、数回の足音、衣擦れの音、金属が擦れる音。》
『……懐中時計?』
『……念のための餞別だ。困ったことがあったら、これを思い出せ。まあ、信用するかどうかはお前次第だがな……』
『……おじいちゃん』
『――ありがとう、トーマ。すまなかったな』
《魔力の揺らぎによるノイズ、人が倒れる音。》
『……誰だかは知らないが』
《魔力の放出による録音機本体の軋む音。》
『トーマに手を出せば、殺す』
《数回の足音、破壊音、音声記録終了。》




