物書隧道(三十と一夜の短篇第72回)
パソコン画面のなか、視界を掠めた文字を認識するよりはやく、男の胸にチリリと痛みが走る。
『ご報告です!』
なろうのお気に入りユーザーの活動報告の欄に表示されている、短いながらも何かを予感させるタイトルをはっきりと読み取った彼は「見るな、見るな」と騒ぐ心を無視してクリックした。
「……ああ」
こぼれた声にこもる感情は複雑すぎて、彼自身も言語化できなかった。物書きの端くれを名乗っているくせに情けない、と自嘲しながら彼は書かれた文字に目を走らせる。
『このたび、拙作が書籍化します! 小説を書き始めて三年、今日まで頑張ってこられたのはみなさんのおかげ』
それ以上を読み進めることは彼にはできなかった。
やみくもにスクロールした先にちらほらと見えるお祝いの言葉が彼を苛む。
書籍化報告をしているユーザーは登録初期に彼の作品に感想を伝えてくれた読者だった。その縁でサイトの使い方をあれこれと教えた相手だった。小説の書き方も知らない初心者だからと頼られるままにあれこれ手解きをしたのは、彼にはほんのすこし前のように感じられたけれど。
「もう、三年か……」
彼は椅子の背もたれに身体をあずけて天井を見上げる。実際は体に力が入らず、背もたれに支えられてどうにか倒れずにいるだけだ。
先を越された。
彼の胸を占めるのはその想いばかり。他者に倣ってコメント欄にお祝いのメッセージを書くべきだと訴える気持ちは彼のなかにあるのに、身体が動かない。
先月もひとり、彼のなろう作家仲間が漫画原作デビューを果たした。プロデビューするつもりなんてなかったのに、というコメントを思い出したのを皮切りに、書籍化や受賞、漫画原作採用された作家たちの名前が彼の脳裏に次々と浮かんで溢れていく。
作家になる、と公言して書いている者が夢を叶えたとき彼は「良かったな、俺も今に追いつくぞ」と伝えながら焦りに焼かれていた。
書くのが楽しくて書いているうちに書籍化の話が来た、という者に彼は「うらやましいな」と伝えながら歯を食いしばった。
公募に送るのが好きなんだ、と言っていた者の受賞報告を聞いて彼は「おめでとう」と伝えながら拳を握りしめ眠れぬ夜を過ごしていた。
俺は小説を書き始めて何年経っただろう。
過去を振り返った彼はぞっとした。
三年や五年ではない。小説を書き、作家になることを意識し始めてからの年数は両手の指では足りないほどに過ぎていた。
それなのに、誰も彼もが彼の先を行く。
小説の書き方すらおぼつかなかった者が彼の最高ブックマーク数をやすやすと追い抜くのはいつものこと。地道に描き続けている作家のお気に入り登録者が増えて、気づけば書籍化の打診をもらっているなんてことを何度も目にした。
彼はそのたびにおめでとうと祝い、さすがだと褒め、俺もいつかはと己を鼓舞した。
そうして書き続けてきたけれど。
「俺だって書籍化してえよ……!」
悔しさは積もり積もって彼の喉を塞ぎにかかっている。
苦しさに負けてたまるものかと気力だけで書き続けている。
それなのに。
なろうのサイトには書籍化の報告とお祝いの言葉が溢れ、SNSは受賞に喜ぶ声とお祝いのコメントに満ちている。
努力と成果と喜びと寿ぎに満ち満ちた美しい世界に、彼の名はない。
「才能が欲しい……」
ぐずぐずと泣きだした彼が目を離した先の画面のなか、SNSのなかを流れていくコメントがひとつ。
『小説を書こうと思うひとは大勢いても、実際に書くひとはそのなかのひと握り。さらに完結まで書けるのはもっと少なくて、それを何度も続けられるのはもう特殊技能の域だよね』
『つまり小説書いてるやつはみんな才能がある!』
数多のつぶやきに押し流されていったコメントに男は気づかず、ただ拳を握りしめて泣いていた。
この作品はフィクションです。
手が回らないので感想欄閉じてますが、作者は元気です!
元気に公募原稿書いてます!