海へ行く時
海へ行こうと、彼女が言い出した。
僕としては、行ってもいいし、いかなくてもいい。
そのくらいの気分だった。
「行きたくないの?」
返答が遅いことで、そう察したのかもしれない。
それとも、正直、面倒臭いと顔に出てしまったのだろうか。
彼女は提案が素直に受け入れられないに、少し寂しそうで、哀しそうだった。
そういう顔はずるい。
行くしかなくなる。
「どっちの車でいく?」
イエスかノーの代わりに、行く前提で手段の話をする。
僕らはそれぞれ一台ずつ軽自動車を持ち、アパートの前の駐車場に止めている。
都会に住んでいた頃は、電車移動で車必要なかったが、田舎に来ると生活するのに必要だった。
「それじゃあ、私の車で行こう」
本当にどちらでも良かったのだが、自分が誘ったのだから運転して当たり前だと思っているのだろう。
彼女は妙に律儀なのだ。
あと、僕があまり運転が得意ではないことも、彼女は当然知っている。
海に到着するまで、僕らのアパートから2時間あまり西へ向かう必要があり、長時間の運転だと助手席に乗っていて不安になるのだろう。
ドライブデートにはちょうど良い。
そうして、僕らは準備もそこそこ、海へ向かって出発した。
なんでもない平日の午前中。
彼女は本来なら仕事のはずだが、出勤時間になっても家にいた。
昨日の夜から何やら様子がおかしかった。
絶対に何か嫌なことがあったのだろうが、理由は聞かないでおく。
海に向かっているうちに、そのうち話してくれるだろう。
「お腹空いたかも……」
運転席に乗りこんだ彼女が呟く。
コンビニに寄ってサンドイッチとおにぎりを買い、食べながら向かう。
西側の海を目指し、大きな山を迂回するようにうねった道を進む。
山を登る道もあるのだが、軽自動車だと坂道が心もとない。
途中、車と数台すれ違う。
朝に釣りにでも行った人だろうか。
街中へと向かう道を僕ら逆走している、
こちらの車線には車は少ない。
彼女の運転も好調。
膝上までのスカートで運転する姿は可愛らしくも、格好よくもある。
僕よりも運転が上手だ。
その走りが自信に満ちてている。
ただ、僕には車のうまいの定義がなんだかわからない。
ただ単にスピードの出し過ぎなような気もしている。
信号も少ないのも手伝って、順調に海へ向かって車を走らせていた。
無言で。
おにぎりもサンドイッチも無言で食する。
彼女がここまで一切、何も言わないとは、予想外だった。
言葉数が多いとは言わないが、いつもは大体、彼女のから話をし出す。
僕はなんて、声をかけていいのかわからない。
「いい天気だよね」
なんて妙な緊張から、なんて掠れた声で言う羽目になった。
なんてつまらない一言だと、自分でも思う。
「そうでもないよ。曇りでしょ」
言われてみれば確かにそうだ。
考えなしに言ったことを後悔する。
普段は冷静そうなんて、言われるが何にも考えていないだけだ。
それを利用するときもあるけれども。
どれだけ周囲が見えていないことか。
不意に、けたたましいエンジンを鳴らした車が後ろから迫ってきた。
バックミラーを見ると、真っ赤なスポーツカー。
対向車線へ飛びすとそのまま抜き去っていった。
一体、法定速度の何十キロオーバーなのだろう。
「すごいね」
車の中で、初めて彼女自ら発信した言葉。
「うん。すごいよ。ほんと」
僕らは感心する。
ほとんど同時に、頷いていた。
不快だが、ある意味、救われたと思ってもいい。
なんとか、何気ない会話をすることができ、少しだけ、雰囲気が和んだ気がした。
しかし、良い車に乗っているだけで、あんなに偉そうな運転が出来るなんて。
自信があるのだろう。
僕が歪んでいるだろうか。
そんなものは、お前の力ではない。
良い車を買うのを努力だといえば、努力か。
彼女は惑わされずに、同じペースで運転を続けると、次の信号で真っ赤な車が止まっていた。
「信号は守るんだ」
「そんなもんだよ」
彼らの基準が良くわからない。
信号が青に変わると、エンジンを無意味にふかして、ものすごいスピードで先へと行ってしまった。
それに安心する。
あんな車の近くにいたくなかった。
緑の生い茂った山間を抜けると、一気に視界が開けた。
海沿いの道路と合流し、左折すると、後はひたすら直線だ。
彼女は運転席側の少しだけ、窓を開けた。
潮風が車内に入り込んでくる。
僕は海を見るフリをして、運転する彼女の横顔を眺める。
徐々に彼女の機嫌が良くなっている。
これは関係性の滲み出る雰囲気から、なんとなくわかるものだ。
そのうちに、笑いだすのではにかと思うほどだ。
彼女の機嫌を直すのは、一応の彼氏の僕の役割ではなく、海のような大自然なのだろう。
少しだけ、寂しさを覚える。
大自然に僕みたいな一個人が勝てる訳ない。
そもそも大自然には、勝った負けたの概念すらないのだから、こっちが勝手に勝負だと思っているだけであって、一方的に土俵に上がって、タップダンスを踊っているようなものなんだろう。
目的地へ到着すると、先の駐車場に一台車が止まっていた。
さっき豪快に抜いていった赤い車だった。
凄く、嫌な気持ちになった。
そこそこ大きな駐車場には、僕らの車しか止まっていない。
車を降りると、海が一面に広がっていた。
雲はなくなり、遥か上空に、太陽が浮かんでいる。
波に日光が反射し、たまに眩しい。
遠くに水平線が見える。
感受性に乏しい僕ですら、素直に綺麗だと思える。
彼女は、靴を脱ぎ捨てると、一直線に海へと向って歩いて行く。
少しの岩肌や砂浜、スカートなんて関係ない。
僕は完全に置いてけぼりにされた。
膝下近くまで、海に浸かるとようやく止まった。
このまま入水自殺するでもするんじゃないかと思って、ひやひやした。
波が何度も彼女の柔肌を撫で上げている。
僕も彼女の後を追い、ズボンの裾をまくり上げて、海に入る。
初夏にも関わらず、海水はまだ少しひんやりしている。
潮風が頬を撫でる。
肌寒さはない。
心地よい気温。
波を掻きながら進むも、足が持っていかれそうになりながら、僕はようやく彼女に追いついた。
運動不足な僕は、それだけで少し息が上がってしまった。
でも、何故だかわからないが、それがきっかけになった。
「何があったの?」
ようやく、今日、一番、聞きたかったことを彼女に聞けた。
「……ファックスを使えって怒られたの」
彼女が発した単語に、頭が真っ白になる。
「……ふぁっくす? ふぁっくすって何?」
「わざわざ一回、紙で印刷した後に、紙のデータを読み込ませて、電話回線で送るの」
その説明で辞書に乗せててもいいと思うほど、的確な説明だった。
「ていうか、この世にまだそんな機械あるの?」
「あったんだから、仕方ないでしょ。しかもそれを使えだなんて……」
「もう超古代兵器というレベルだよ。レーザーとか出てもおかしくないと思う」
「そんな会社が効率化や自動化やAIや生産力の向上とか語るんだからね。笑っちゃうよ」
「う、うん。メールとかでデータ送っちゃだめなの?」
「ダメみたい。ファックスで送るのが、うちの会社の決まりだって、課長に言われたの」
下らな過ぎる。
この世はどうして、こんなに下らないのだろう。
どうして、そんな奴らが偉そうにしているのだろう。
僕はそんな世界が死ぬほど嫌いだった。
早く滅びればいい。
なんて、本気で思ってしまう。
彼女をそんな下らない世界から救いたい。
だから、僕らはこうして海へ来た。




