062
【やはり惜しいな、貴公。それだけの力を持ちながら、弱者の為に生きるというのは】
セトがそんな事を言いながら、黄金の双眸を細めた。
【どうだ? 私と共に来ないか? そうすれば今以上の力を手に入れられるぞ。そして強者による強者の為の、強者だけの世界を作ろう】
「それがお前の理想なんだな」
【ああ、貴公には私の理想とする未来に生きる権利がある】
私はその誘いに対して是非を口にせず、ただ淡々と応答を返す。強い者を尊ぶセトにとっては、さぞ素晴らしき世界なのだろう。
「――――必要がない」
だが、そんな世界生き辛そうで御免こうむる。
「私が生きる権利は、自分で掴み取る。お前に貰うものなんてただの一つも無い」
【残念だ】
そう答えた次の瞬間、セトの姿が消えた。否、私の目の前に現れ、拳を突き出していた。それを半歩ズレてすかし、剣を喉に滑り込ませる。
私の反撃も転移で避けられ、次は後頭部へ蹴りが飛んできた。飛ぶ方向も分かっていた為、即座にしゃがんで躱す。その体勢のまま足払い、セトが地面を蹴って頭上を飛び越した。
そこへ横一文字の斬撃を見舞うが、交差した腕の骨に止められた。筋肉に締められ、身動きを封じられる前に刃を抜く。それからもう一方の直剣を、斬るというよりも打つように叩きつける。
セトは分厚い刃に押され、体勢を崩しながらも受け身を取った。
【固有術式――呪手縋絡】
そのまま術式――固有スキルを発動、足元から白い手が伸びてくる。私はそれに捕まらないよう、前に走った。
「……!」
距離を取られるとまた熱線が飛んでくるので、ここは接近戦を強いた方がいい。
踏み込み、一歩毎にセトとの距離を縮める。最早地面に足が着いている時間の方が短い。だが、それでもこの短時間で、前方からは黒色の熱線が放たれていた。
あれはギミックではない純粋なエネルギーの塊、避けなければ死ぬ。脹脛にありったけの力を籠め、石畳が割れる程の勢いで蹴った。
「――ッ」
直後、転移により強制的に熱線の正面へ立たされる。一瞬の動揺はあったが、焦る時間はない。少しでも生き残る確率が高い方法を見つけ、選び、実行するのだ。
「っ……らああぁぁッ!!」
刃にスキルの力を纏わせ、黒い熱量の塊へと切り込む。それは私へと直撃することなく二又に割け、宙に融けて消えた。
【我が魔力の波動を斬るか、末恐ろしい】
私は熱線を切り裂いて尚、突き進んだ。実は蘇生してから再生が機能していない。止まれば多分、もう二度と今と同じ力は発揮できないだろう。
なればこそ、このまま奴を斬る。
短く息を吸い、軋む体を無理矢理に動かす。吸血鬼とて、可動域の限界を超えた動きをすれば肉体が悲鳴を上げる。アキレス腱は自重をこの速度で動かすだけで切れかかっていた。指の骨は地面を強く掴み、蹴り上げる度にヒビが広がる。
強まる痛みと比例するように、全身には力が漲っていた。スキルの効果もあるだろうが、それ以上の何かがある。胸を中心に広がる熱のようなものの正体が、剣神の加護であることが何となく分かった。
加護の力が血と共に巡る、頭から手指の先――握る剣にまで。
【その炎、まさか破邪の聖炎……!?】
二振りの刀剣は白い聖なる炎を宿し、光り輝いていた。それを見たセトの声がはじめて驚愕に揺らぐ。心地よい、あの背中を押す大きな手が感じられる。
【そこまで、そこまで魅入られていたのか貴公。剣神よ、よもや人界の個にこれほどの加護を授けるとは――――】
嘆くようなセトが両手を合わせ放った黒い波動に、肩を焼かれた。どれだけ気分が良かろうと、体が追いついていない。
「まだっ……!」
次弾を辛うじて避け、三発目の軌道を見て転移の瞬間に斜め前へと飛び退く。後少し――後少しで間合いに入るのに、決定的に届かない。
【だが、如何に神の寵愛があろうと貴公が私に近づける道理はない、諦めろ】
届いたかと思えば、またすぐ後ろへと戻される。強制転移がある限り私はセトに近づけない。まるでこの距離が、奴との力の差だと言わんばかりだ。
が、
「ッ……」
その言葉と共に再び転移でセトと引き離され、私が歯噛みした時――セトの横から黒い影が舞った。
「なこさん!」
【……蛆が】
「刃舞無双連斬ッ!」
月夜に照らされて映ったのは、黒髪の美丈夫。その細腕で抱えられるとは思えない極大の大剣が残像を生み出し、無数の斬撃がセトを襲う。
【戦いに無粋な横槍を入れるとは、万死に値するぞ!】
「がっ……!?」
しかし、セトは怒気を孕んだ声で叫ぶと、その全てを纏めて薙ぎ払った。なこさんが衝撃に血を吐きながら吹き飛ばされ――持っていた特大剣を投げた。
流石に得物を投げるのは予想外だったのか、反応を許さず腕の一本が肩口から切断される。
「今……だ、フウッ!」
ありがとうの言葉を言う時間すら無駄にするのが惜しくて、私はなこさんの声を聞くと同時に走った。今、セトの意識はなこさんに向いている。そして三本残った腕の内の一本は、彼女の攻撃を払うのに使った。
飛び込むなら今しかない、これを逃せば勝機を失う。
幾千の戦いを経験して来た私の本能がそう告げている、この瞬間が分水嶺だ。
深く、深く踏み込み、下から抉るように剣の間合いに届かせる。セトがこちらを向く、その腕の瞳が私を超えて背後へと狙いを据えた。
【な――】
なれど、強制転移が発動することはなかった。代わりに掌の眼球へと一発の銃弾が撃ち込まれ、その泥の体が乾いてひび割れていく。
「っしゃあ! どんなもんだ!」
「効いたッ……! ネビル、キミの遺した秘密兵器はちゃんと意味があったぞ!」
その軌道の先では、拳銃を構えて雄叫びを上げるルークと――不思議な刻印のされた弾を握るジャックの姿が見えた。
そうか、彼らも戦ってくれていたのか。
無性にむず痒い感覚に襲われるが、悪くない。私は一人で戦っていたわけではなかったんだ。
【おのれ……だが、羽虫に噛まれた所で私の有利は揺らがんぞ!】
残った右の腕は二本。
片方は私を、もう一方は転移先を悟らせぬように明後日の方向を向く。
【おっ……!? なに!?】
否、そうではない。
明後日の方向を向いたかと思われた腕が、私へ向けられた腕を掴んで捩じ切った。一瞬何が起きたか分からなかったが、驚愕するセトの顔の右半分が一瞬愉悦に歪む。
――――ざまあみやがれ
声には出なかったものの、確かにその口はそう言った。
【まさか、まだ死んでいないとでも言うのかッ……!?】
そうだ、彼女がただで体を乗っ取られるはずがない。虎視眈々と、セトが最も嫌がるタイミングを、最も効果的な場面を狙って息を潜めていたのだ。
――――お膳立てはしたぞ、これで仕留め残ったら殺すからな
そんな声が聞こえた気がして、思わず笑みが溢れる。
一瞬とて全ての腕の制御を失っただけではなく、セトは予想外の闖入者に面食らっていた。よもや、雑魚と見くびった相手と、自分が乗っ取った体の持ち主に手を噛まれるとは思っていなかったのだろう。
お陰で今なら入る、完璧な一撃が。
一際強く剣が白炎を纏い、闇夜に眩い軌跡を残して風を切る。体の周囲を根源のエネルギーが吹き荒れ、その奔流に大地が跳ねて砕けた石畳が宙を舞った。
これはスキルの予備動作だ、はじめて使うのに何故か分かる。
邪悪を焼き尽くし、深淵を光で満たす正の力。本来吸血鬼が最も嫌う太陽の力を以て、闇を祓う聖の力。肉体の内側から、限界まで熱されたマグマのような勢いで力が噴き上げてくる。
「煌刃天照」
燃える、輝く、解き放たれる。
コマ送りになった世界で、赤熱した刃がセトの肉体を焼き溶かしながら、肩口から切り裂くのが見えた。自分が振り下ろした剣が、悪しき存在の身を滅ぼしていく。その白い炎は瞬く間に全身に巡り、残滓が天高く舞い上がる。
【お、おおぉぉぉぉおおおッ!!!】
炎に巻かれたセトの絶叫が響き渡る。夜の中に在る白い空間の中で、シルエットだけが踊るように苦しみ藻掻いていた。
そうして暫く、徐に膝を着いたセトが私を見たような気がした。目が合ったわけではないが、確かにその意識が私に向いていたのだ。
【終わり方は不満だが……良き、闘争であった。次があれば、何人の邪魔も入らぬ場所で、武を以て語り合おうぞ】
セトはそう言い切ると、糸の切れた人形のように倒れ込む。
「……何度だって私はお前を倒す、というか二度と来んなボケ」
今回は本気ではなかった、そうでなければセトはあんなお遊びめいたこともしていない。私に斬られるような隙が生まれることもなかっただろう。
だが、油断だろうとお遊びだろうとも奴に私は勝った。
聖炎が勢いを弱め、中から意識を失った少女の姿が顕になる。その体から既に邪悪の気配は消え去り、元の彼女に戻っていた。
「フュンフ!」
駆け寄り、体を抱き起こす。酷く冷たくなってはいるが、微かに脈はあった。
「……馬鹿、誰が助けろって言ったよ。加減したろ、このお人好しが」
「ああ、生きてるんだな……! 良かった……」
弱々しく目を開いてそう悪態を吐くフュンフの姿に、思わず安堵のため息が漏れる。
「ぐるじい」
「あっごめん」
感極まって無意識に籠めていた力を抜くと、フュンフは目を伏せて私に体重を預けた。そうせざるを得ないのだろうが、敵意もない状態で触れられるのがなんとなく嬉しい。
「……ま、ちょっとはマシな顔になったみたいだし、それに免じて許してやる」
彼女の中で私のことがちゃんと消化出来たのかは分からない。それでも多分前よりも少しだけ、関係は悪くなくなっている。
今はただ、それだけで充分だった。