060
浅黄菜心――ファールは立ち尽くしていた。
「……何だよ今の、おかしくね?」
地面に残った破壊の跡を見て、唇を噛みしめる。
半壊した建物は、彼女がどれだけの勢いで蹴り飛ばされたかを如実に示していた。これを自分が受けていたら、と想像してゾッとする。
動ける動けないではなく、動いたら死ぬと思ったから立ち尽くしていた。そしてそれは恐らく正しい。もし仮に動いていた場合、セトの転移を初見で受けたファールは避けることも受けることも叶わず、死んでいただろう。
如何に不老で現地民よりも強いプレイヤーとは言え、ファールの体は人間の物だ。特殊な治癒スキルを持っていない限り、致命傷を負えば早々と回復はしない。
今しがた二回もその致命傷になり得る攻撃を諸に受け、未だ生きているフランが特別なだけである。それも、ファールを含むこの場にいる全員を慮った行動を取らせたばかりに受けた攻撃だが。
「……クソ」
あの時間がなければ、フランがセトに不意打ちを許すことはなかっただろう。それだけ彼女は強く、そして戦い慣れしている。
後ろを見れば、黒堂と呼ばれていた魔獣がルークを守るように立っている。賢い事に、この場で一番弱い存在を守れと言われ、それを理解して飼い主の安否よりも護衛対象を優先しているのだ。
(……わたしよりも強い、アレも殆どわたしに向けて言ったんだもんな)
召喚獣の黒堂がルークを守っているとして、自衛しなければならないのはたった一人。フランはそのファールがPvPに籠もりきりでレイドボスとは殆ど戦った事がなかったことを知っており、注意するの為に気を散らした。
つまり、足を引っ張ったのだ。
ファールはその事を悔しく思うと同時に、狙われたのが自分でなかったことに安堵していた。そしてその考えが最低な事に心が乱れ、思わず舌打ちが漏れる。
「せめて。武器だけでも……」
落ちているフランの武器を拾い上げると、破壊の痕跡へ向かった。素手で戦っている彼女に得物を届けるだけでも力になるべく、恐怖を押し殺しながら走る。
その最中、絶叫が耳朶へと響いた。フランのものではない、若い男の声だ。ファールが声の方向へ目を向けると、そこではセトによる帝都民の虐殺が行われていた。しかし、それよりも視界の隅に映った光景に目が釘付けになる。
「……ッ」
そこには悍ましい幾本もの腕に絡め取られ、身動きを取れなくされたフランの姿があった。
彼女は長い銀の髪を地面に散らし、苦悶を顔に浮かべながら呆然としている。意識が半分無いのか、うわ言まで呟いていた。
――――あのフゥが
ゲームのみでだが、ファールはフランの強さを知っていた。限りなくリアルに近い仮想現実空間で数多の強者を下してきた彼女を見ている。
本人に武術の心得があったり、スポーツ経験があって運動能力が突出しているわけではない。なれど、二十歳を半ばまで超えて尚卓越した動体視力と反射神経は、上位プレイヤーにすらチートを疑われるほどだった。
だが何より彼女の恐ろしいところは、常軌を逸した反復練習の量にある。
語ればキリが無いが、とにかく彼女は自分が満足行く結果が出せるまで、延々と同じ作業を繰り返し続けるのだ。その積み重ねが剣道有段者の上位プレイヤーを、赤子と戯れるが如く負かす強さに繋がっている。
そんな人間を現実の殺し合い――戦わねば生き残れない世界に放り込めば、順当に強くなるに決まっていた。事実ファールは話の冒頭を聞いた瞬間に、内容の殆どを察していた。如何にして全ての魔物を効率よく殺せるようになるかの話だと。
元々時代や環境が違えば、もっと上の世界で活躍していた人材だとファールは勝手に思っていた。明確な目的がある場合、掛かる労力と時間を一切鑑みず直進する様はある種病気に近い。
ゆえに彼女が強靭な肉体と武器を手に入れて尚、敗北したという現実は受け入れ難かった。
「うっ……」
そして、もう一度立ち上がろうとする姿は、更に信じられないものだった。その真紅の瞳は未だ闘志で満ちている。間違ってもこの後逃げ出す者の目ではない。
どうして心折れずにいられるのか、浅黄菜心には分からなかった。自分なぞ、見ただけで敗北を悟っているというのに。負ければ死ぬのは確実な状況で、一度負けた相手に立ち向かう精神が理解できない。立ち上がるな、とすら思った。
――――やっと見つけたこの世界での寄辺を、失ってしまうかもしれない。
ただ、それだけが彼女の頭の中にはあった。
◇
腕を焼き尽くすと、私が纏っていた白炎は消えた。何だったのかは分からないが、ともかくこれで自由に動ける。早く武器を拾ってセトを止めなければ。
そう思って辺りを見回した私は、すぐ横で立っているなこさんを見つけた。その手には[泡沫胡蝶]と[ダルチタンソード]が握られ、私を見ている。もしかして拾ってきてくれたのだろうかと、そう思っていたのだが――――
「フゥ、逃げよう」
なこさんはそう言って刀剣をその場に落とし、私の手を取った。
「駄目だ、セトをどうにかしないといけない」
「そんな事言ってる場合!? 死ぬかも知れないんだよ!」
「分かってるよ」
「分かってないッ! 折角会えたのに、フゥが死んだらわたしはまた一人……」
端正なその顔は今にも泣きそうで、縋るような目を向けている。なこさんがずっとギルメンを探していたのは知っているし、頼れる相手もいないこの世界がどれだけ辛かったかも聞いた。
けれど、それを知っていながら彼女の頼みを断る。酷い奴だと思われても、仕方ないかもしれない。
「それでも、私は戦わなくちゃならない。そういう生き方をするって決めたから、覚悟も出来てる。なこさんには悪いけど、こればかりは譲れないんだ」
「なんで!? 別に逃げてもいいじゃん! あんなの他のプレイヤーが倒してくれるって!」
それもそうかも知れない。外界には私よりもレベルの高いプレイヤーがいるだろう。それが複数人で掛かれば、流石のセトでも敗北の可能性はある。
だけど、そこに至るまでの被害と犠牲を考えれば、ここで殺すべきだ。
「……本気なんだ」
私の意志が変わらない事を悟ったのか、なこさんは握った手を離して唇を引き結ぶ。そうして視線を私から、静かにこちらの様子を伺うセトへと移した。
その横顔は恐怖を帯び、握りしめた拳は震えてる。
「ごめんね、それと――ありがとう」
「ッ」
ただ漸く見つけた知人に縋っているだけかもしれない。他のギルメンでも同じように言ったかもしれないけど、それでも私のことを想ってくれる人がいるのは幸せだ。心配して、一緒に逃げようと言ってくれるなんて恵まれている。
けれど、そんな優しい人を守りたいからこそ私は戦うんだ。
【別れの挨拶は済んだか】
「……律儀に待っててくれたのか?」
【弱者に通す道理は無いが、貴公は強者だ】
セトは屍の中で四本の腕を組み、そう言った。その言葉を聞きながら、足元の剣を拾い上げる。奴の周囲には血の海が広がり、先程までいた半分以上の人間が殺されていた。
助けられなかった事に言い訳はしない。助けようとして出来なかったのは、全部私の力不足が原因だ。だからこの先ずっと、死んでしまった人の命の重みを背負って生きよう。誰かの救世主になるというのは、そういうことだから。
それと、待ってくれているのなら都合がいい。
スキルツリーの画面を開いて、[剣姫]にポイントを振ってしまう。取れたのは半分ほどだが、殆どが通常派生の[羅刹剣豪]と似たような構成をしていた。
「天歩、纏力、剛身、背水、羅刹天衝、追撃、連撃、極鋭の剣――――」
八つのバフスキルを発動し、肉体がより戦いの為に研ぎ澄まされていく。今の私は膂力と体幹が鬼神の如く高まり、受けた傷を力に変える。剣は一度に三を切り裂き、そして三度追撃を見舞う。
正真正銘これが本気で全力。
肉体の負担を考えず、ただ相手を斬ることだけを目的とした最強の私だ。レイドボスとタイマン張るならまだ心許ないほどだが、やるしかない。
「さあ、第三ラウンドを始めよう」