057
雌雄を決する、と言っても一度は互角で戦った仲だ。その上今の私は万全、ペナルティが解除されている状態である。当然、午前中よりもフュンフの攻撃は楽に捌けた。
「随分余裕そうだな……!」
右の突きを剣で弾き、左の切り上げを飛び退いて避ける。追撃に上から振られた剣は、こちらも二刀で受けた。
刃渡りの長い剣での二刀流は、動作に制限がある。小回りが利かないと言った方がいいか。剣の可動範囲が被る為、次の動きを考えて振らなければ無駄な時間が生まれる。
一秒のタイムラグもない、流れるような連撃に繋げるには、剣の動きに沿って体を動かすことが大事だ。
例えば、
「ッ……」
右手で逆袈裟に刀を振った勢いを殺さず、軸足を使って体を捻る。その軌道を追うように左の直剣も振り上げ、その間に刀は再度下段から切り上げを放った。
連続した金属音が響き、フュンフは後退しつつも苦しげに剣で受ける。そこへ持ち上がった刀と直剣を横に揃え、振り下ろした。再度辛うじて受けたものの地面が軋みを上げて、石畳がかすかに砕ける。
「クソがっ!」
「言葉遣いが汚いぞ」
連続した攻撃に防御に回るしか無くなって、膂力の差が顕著に出た。彼女は私の攻撃を受けきれていない。剣で留めてはいるが、少なくとも腕や関節にダメージは入っている。
私は今、自動で発動するバフが三種――その中の一つはダメージを受ける事が条件なので、実質二つのステータスバフのみで戦っている。フュンフは恐らく、[剣士]から[剣豪]までで取得出来るバフスキルは殆ど使っているはずだ。
恐らく長い物で30分、短ければ15秒間隔のそれを、スキルのリキャストタイムが上がる度に回し続けている。
もしゲームのように簡易的にステータスを表示するUIがあれば、彼女のHPバーの下には無数のアイコンが並んでいたことだろう。
「もう分かっただろ、私とお前では力に差がありすぎる」
「うるさい! 勝負はこれからだ……!」
攻撃を弾かれて、逆に後退ったフュンフにそう語りかける。返事は相変わらず辛辣だが彼女の顔には焦燥が滲み、内心ではこの勝負がどれだけ不利かを悟っていた。当たり前だ、自分の実力は自分が一番分かっている。彼女が私の強さを見誤るはずがない。
だが、それでも向かってくる。
ここで少し、私はフュンフのことが分からなくなった。
「どうして一対一に拘る? 勝てないのは分かってるんだろ」
「……その、なんでも分かったような態度がムカつくからだよ!」
彼女は飛び込みざまに、左右から交差するように剣を叩きつける。それを止めて押し返し、剣を剣で絡め取った。
「ッ……その顔だ、俺がムカつくのは。まるで、私は他人の気持ちが理解できます、みたいな顔をしてんじゃねえよ! 同情心を抱いて人助け? 他人の不幸に共感する素振りをして、優しい正義の味方面するような人間じゃないだろお前は!」
「……なんだと?」
その叫びにぞわり、と背筋に鳥肌が立つ。
私のしていることを、浅ましい行為のように非難されて――粘ついた感情が生まれた。これは怒りか、もしくは羞恥心か。どちらにせよ、余り受け入れ難いものだ。
「日和見の態度で、中立気取りしてるのもムカつく。自分からは敵対せず、悪いことをしたら咎めますよってか? 反吐が出るわ!」
「別にそんな事は言ってないだろ!」
「行動が結果として出てんだよ! 偉そうな態度で人を見下しやがって、神様にでもなったつもりか!?」
「いい加減にしろ! 言わせておけば……私はただ、人道に則った正しい事をしているだけで――」
「それが上から目線って言ってるんだが? そもそも、お前にとって正しいことが、俺や他の連中の正しさと同じだと思うなよ。お前の正義が全人類の正義だと思ってるのなら、今ここでその考えを改めさせてやる」
互いに足を止め、唾を飛ばし合いながら叫ぶ。まるで子供の喧嘩だと、そう分かっていても反論せざるを得なかった。
「いいか? お前のやっていることは、価値観と正義感の押し売りだ。人殺しが良くない? そんなもの、時代、場所、集団によって違うに決まってるだろ。でなけりゃ侵略者も戦争も起きてねぇんだよ!」
「そんなこと分かってる、ただ、人間は倫理観を持つ生き物なんだ。社会があるのなら、殺し合いは最も忌避すべきもので、お前がしようとしているのは――大多数の人間にとっての悪事だぞ」
「同じく知ってるさ、俺はその上でお前を殺そうとしてる。お前だってあの場所で飽きるほど命を奪ったよな? 今更何をほざいてるんだ、ここは日本じゃない」
日本じゃない、ここは異世界だ。殺し殺されるのが日常の世界で生き延びた私は、それを誰よりも知っている。だからこそ、不必要に命を奪う行為は認めがたいと言っているわけで――
「どうした、返す言葉もないか?」
「……」
フュンフには、私を殺すだけの理由がある。
いや、偽物本物と言わなくなった今は少し事情が違うのかも知れないが、少なくとも彼女は私の在り方に怒りを抱いている。それは考え方が異なるからで、彼女の行動の妥当性に対して、私は納得させられるだけの理由でもって咎められていないからだ。
「お前は、誰かに望まれてそうしていると思っているんだろ。自分行動の正当性を証明したいから、他者の気持ちを勝手に決めつけている」
「……なんでだ」
「もし本当に俺の気持ちが分かるなら、そんなことは言わない。相手の内心を都合よく解釈して、同情心から救いの手を差し伸べるわけがない。何故かって? 俺は、別にお前に助けてもらいたいとは思っていないからだ」
そんなはずはない。だってお前は、私のクローンだ。限りなく同じ考えを持って、同じように行動する人間だぞ。気持ちが分からないなんてこと、ない。
『フラン、こればかりはあやつの言う通りであろう。あの時何があったかは知らぬが、今の貴様は正義感に囚われすぎているぞ』
「良いこと言うじゃん師匠。そうだぜ、おかしいのはお前だ」
師匠はあの時、私が神様に出会ったことを知らないからそんなことが言えるんだ。私はあそこで誓った、この生命がある限り善く生きると。
だから、人を助けるのは当たり前で、それを咎められることはおかしい。
おかしいはずなのに、反論ができなかった。
「だから、そんな綺麗事を言ってないで素直に――」
そう言いかけたフュンフへと飛び、その体を押さえつける。舌戦で負けたからと、暴力で押さえつけることの愚かさは分かっていたが、どうしようもなかった。
「くっ……はは、随分な怒りようだな」
「黙れ」
左の剣も取り上げ、腕を捻り上げる。苦痛に顔を歪めるフュンフは、それでも笑っていた。
「素直になったお前に、一つ良い事を教えてやる」
「……」
「あの後俺もよく考えたんだ、お前を殺したい理由って奴を」
――クローンだから、本物を殺してアイデンティティを確立する
あの時は少なくともそうだったが、今の彼女はどこか違った。狂っているように見えて冷静で、既に私と大きな差異が出来ている。
「さっきも言ったけどな、俺はお前の偽善者ぶった態度が気に入らない。お前は誓いの意味を履き違えて、責任逃れをしている。伊藤春樹とは、そんな人間だったか?」
「……200年あれば人は変わる」
「いいや違う、逆だ。お前はなにも変わってない。中途半端で、その場凌ぎしかできない、どうしようもないクズだ。その半端こそがお前の罪だ、本当に誓いを守るというのなら――有無を言わすな」
その言葉を最後に、フュンフの表情が変わった。
まるで諭すように、悪意も怒りもない真っ直ぐな目で私を見ている。何故、自分が組み伏せている相手にこんな目を向けられているのか分からないが、視線を外すことができなかった。
「愚直さが俺の、お前の取り柄だ。何人の意思も介入させず、行動を成せ。一度やると決めたのなら、最後まで責任を持て。それと、善意の見返りを求めるな。そんなことの為に、俺たちはあの時誓いを立てたわけじゃない」
自然と耳に入ってくる彼女の言葉は、ストンと胸に落ちた。
「お前はさ、いろんな人の優しさに恩返しがしたくて、自分の在り方を決めたんだろ。だったら、もう少し視野を広く持て。助けるにも、色々とやり方ってものがある」
「……なんで、そんな事を」
「俺は今のお前が気に入らない、だから直すべきところを懇切丁寧に教えてやったんだ。皮肉にもそのお陰で本物への憧れも冷めたんだわ。もう別にどっちが本物か、とかは正直どうでもいい。ぶっちゃけ、もう詰みだしな。これ以上抵抗する気もねーよ」
「……そうか」
完全に戦意の失せた彼女を見て、私は押さえつけていた体を離した。これなら、もう襲いかかって来ることもないだろう。後は殺さずに連れ出して、そこでじっくりと説得を試みればいいと、そう思った途端。
「ッ!?」
彼女の琥珀色の瞳の爬虫類のような瞳孔が細まり、首筋に痛みと熱が走る。
「ふははっ! 油断したなこの間抜けが!」
「お……まえっ!」
仰け反った私の目には、フュンフの握る短剣が見えた。袖かなにかに仕込んでいたのか、とにかく抜かったことに違いはない。
「戦いは最後まで気を抜くな、最初に教わったことだろ?」
「くっ……」
傷は直ぐに再生したものの、一瞬の隙でフュンフは私の元から離れてしまった。落ちていた剣も拾われ、私が立ち上がる頃には完全に元の構図に戻っていた。
「言ったろ、俺とお前は相容れない。どうやっても殺し合う以外に選択肢はないんだよ!」
そう言う彼女の顔は、先程とは打って変わって嗜虐的な笑みを浮かべている。やはり、本当に殺すしかないのだろうか。
「さあ、第二ラウンドを始め――――」
歯噛みし、じわじわと背筋を這い回る諦観に私が追い詰められていると、言葉を最後まで言い切ることなく、フュンフの横腹から手が生えた。
「あっ、え? な、んだ、これ……」
困惑した表情で胸元を見下ろすフュンフは、口の端から血を垂らす。太い腕が肉を突き破るようにして、鮮血を滴らせながら蠢いている。その光景に思わず私は呆然とし、段々と顕になる"何か"を見つめるしかできない。
「やめ、やめろ――嘘だ、待ってお願い、なんで、違う、こんな筈じゃ……ああぁぁぁッ!!!!?」
周囲に血飛沫が跳ね、フュンフの体が仰のいたまま静止した。
腕は更にもう一本増えて、左右の肋骨の側面から対になるように生えている。その掌には目玉が埋め込まれており、元々あった二本と合わせて四つの瞳が不規則に動いていた。
そしてその肉体を泥が覆い、小柄なフュンフの二周り程大きい肉体が形成されていく。筋肉質な腕に太い首、身長も恐らく20cm程伸びた。
「なんだ……何が起きた……?!」
腐卵臭にも似た匂いが周囲に立ち込め、重たい液体跳ねる音が部屋に響く。黒堂は警戒するように唸り声を上げ、雑魚を処理し終わったなこさんもフュンフ? に切っ先を向けていた。
不測の事態だ、こんなことは全くもって想定に無い。
背筋に走るピリピリとした感覚は、明らかに拙いことに対する本能的な反応。恐らく、あの魔王城での戦いと同じくらい、悍ましい事が起きている。
そして、だらりと弛緩したままのフュンフの体の、首から上が徐に元の位置へと戻った。ただ、その白目は黒く染まり、琥珀色の瞳には明らかな邪悪の意思が宿っていた。髪もより深い灰色に変化して、泥で出来た悪魔の面からは絶え間なく泥が零れ落ちている。
【――――漸くだ】
囁くような声が、彼女と彼女でない誰かの声が二つ重なって、聖堂の空気を微かに震わせた。小さな弧を描いているだけなのにその口は、どうしようもなく悍ましい。
"何か"と私は目が合い、その瞬間に全身から血の気が失せた。計り知れない深い奈落のような暗黒が、瞳の奥に広がっている。
【我が名は《セト》。カラドの司教、朽ちぬ永遠なる存在なり。平伏せよ、人類よ】
まるで、絶望という概念が形を為したような、純粋な邪悪がそこにはあった。