056
隠しエリア《淀みの学院アレンティア》は、ルグリア人の原点とも言える場所である。
古代の民の子孫、その内の一部が神秘の術を生み出した。拝領した神の眷属の遺灰を用いて、魔術の触媒を作ったのだ。それこそがアレンティアであり、学長ヘドリックは水路の下へとその学び舎を隠した。
墓暴きに始まり、人道を逸れた研究をしていたことから、歴史上でもアレンティアの学徒たちは異端とされている。今のルグリア人が可愛く思える程度には、彼らの思想は歪み、淀んでいたのだ――――
ストーリー的に言えばこんな感じで、時代はルグリアという国が出来る数百年前まで遡る。
ゲーム的なことを言えば、よくある学校の廃墟をモチーフにしたダンジョンだ。水路を抜けた先では古き悍ましい学び舎が出迎え、今なお尽きぬ欲に残留し続ける学徒たちの成れの果てがプレイヤーを歓迎してくれる。
出現するエネミーは意思を持った本や変異した学徒たち。学院に張り巡らされた様々な仕掛けを解いて先に進む、至ってスタンダードなダンジョンだ。
「経験値っ、寄越せ!」
迫る皮と骨だけの学徒を蹴り飛ばし、その体を袈裟斬りに斬った。剣に伝わる感触は軽い。骨もまるで乾いた枝のように容易く折れる。
学徒は[Lv.70]前後なので魔法だけに気をつけていれば、今の私には特に苦戦する要素はない。それにミイラや骨と化した学徒の動きは遅く、一度魔法を撃つと隙だらけになる。物理防御力も低いため、まだ二次覚醒で止まっているなこさんでも一撃で倒せてしまう。
そんな風に敵がレベルの割に弱いダンジョンは、往々にしてギミックが難しいのだが――生憎と私はゲームで一度攻略済みだ。
「ここをこうして……と」
本棚の前に立っていた学徒を斬り伏せ、その先の赤い背表紙の本を手で押す。すると直後に、上へと続く階段が踊り場から分かたれて回転、別の道へと繋がった。
「すっげぇ……なんだこの仕掛け……」
「ハリポタじゃん」
このように別々の階段を動かして繋げたり、本棚の高さを変えて道を作ったりするギミックを攻略して先へと進む。とは言え、今はあまり時間を掛けてはいられない。
「ダンジョン攻略の時間だオラァ!」
階段を上った先にある扉は、本来ここから右の道へと行って仕掛けを解除しなければ開かないが、私はそれを強引に蹴破った。人外の膂力をぶつけられた木製の扉は、留め具の部分が弾けて地面を転がる。
ここはゲームではないのだから、素直にギミックを解かずに扉を破壊してしまえばいい。現実では何をするにも自由なのだから。
「よし、先に進むぞ」
「そ、そうだな……」
そんな私を見て、心做しか二人が引いているようにも見えるが――気の所為だろう。
して、呪術書があるのは、最奥とは違う分岐の突き当りだ。今回はボス部屋まで行かずにそこで引き返す。ここからの道のりで言えば、現在地が2Fだとすると目的地はB3。上って降りてを繰り返して、下へと向かうことになる。
「しっかし凄い蔵書量だな、これを持ち帰れば帝国の」
「半分くらいは禁書の類いだ、読むだけで発狂するぞ」
―――という設定だったはず。
「マジか……」
すこしからかいを籠めた私の言葉にルークは顔を引き攣らせ、壁めいた本の山の間から目を逸らした。更に言うと、学院に置かれている本は全て古代文字で書かれている。ルークにはそもそも文章の意味を理解することすらできないので――恐らく発狂はしない。
私はこの世界の言語なら全て読み解けているので怪しい。自分のSAN値がそれほど低いとは思わないが、フュンフが発狂した実例があるせいで、実のところルークより内心ではビクビクしている。
◇
ダンジョンを進むこと暫く、更に地下へと潜り座標的にはB2まで辿り着いた。
上階が普通の校舎だとすると、その下はさしずめ実験室とでも言うべきか。幾つものベッドと医療用の道具が散乱しており、より不気味さが増している。
呪術書はこの奥、正規ルートから外れた階段の先。そこまではさして遠くもないし、難解なギミックがあるわけでもない。普通に歩いていれば辿り着く場所なのだが、一つだけ気がかりがある。
道中のギミックが幾つか、私達が解く前に解除されていた箇所があった。真新しい足跡はなかったので、つい最近開かれたものではない可能性がある。もしかすると、既に他のプレイヤーが探索した後なのかもしれない。
「ここだ」
そんな心配をしつつも、時折襲ってくる学徒を蹴散らして大きな階段を発見。そこを降りる――のではなく、その隣に続く細い横道へと逸れる。
ランタンに照らされた道の先に、これみよがしに置かれている銅像を見つけた。どこか仰々しい表情で宙を睨む、老齢の男性――ヘドリックの像である。この顔は無性に殴ってやりたい気持ちが湧いてくるのが不思議だ。
そしてその背後には、像を押し入れてくれと言わんばかりに隙間が丁度空いている。
「んしょ……」
像を一瞬両手で押すと、力を入れずとも重苦しい音を立てて動きはじめた。引き摺るように後ろへと下がったその下から階段が現れ、何かが嵌る音がして像の動きが止まる。
「行くぞ」
緊張しているのか、無言で頷く二人を一瞥してから階段へと足を掛けた。最初は天井が低いので頭をぶつけないように気をつけながら、暗闇の――私には程々に明るい――空間を進む。そこから二十段ほど降りた頃だろうか、階段の終わりが見えた。
一番に私が階段を降りきると、ランタンを持ったルークが隣にやってくる。その光が照らした先には、学院だというのに何故か聖堂めいた広い空間が広がっていた。
「なんだよここ……帝都の地下にこんな場所があったなんて……」
帝国――つまりルグリア人は神を信仰しない。その理由は多々あるが、知識こそが最も尊い物であるという教えが最も大きいだろう。そんな国の下に、その人種の祖となる人々が作り上げた学院の奥深くに、なぜ聖堂があるのかは不明だ。
一体彼らは、ここで何をしていたのだろう。神に類するなにかと、繋がりでも持とうとしていたのだろうか? ここに[月の夢]という名の呪術書があることから、満更間違いでもない気はする。
しかし、そんな考察をしている暇はないようだ。
部屋の奥、祭壇が置かれている場所の手前。そこに一人分の影が揺らめく。私がその姿を確認すると同時に、背後に気配が幾つも現れた。
「奇襲か……」
「おい、囲まれちまうぞ!」
天井から――あるいは私達が降りてきた階段から、青白い肌の異形達が覚束ない足取りでやってくる。人のような怪物、怪物のような人が唸り声を上げて私を睨む。
「――――随分と遅かったな」
そして私に似ていながら、どこか掠れた低い女の声が部屋に響いた。
「罠を張っていた、ということか」
「ご明察」
カツン、とヒールの音を立てて、暗闇から抜け出て来たのは灰色の少女――フュンフ。その目は琥珀に輝き、何処か危うい雰囲気を漂わせている。唯一先程見た姿と違うのは、長かった髪が肩口まで切られている部分だ。
まるで対立の宣告のように、私と違う部分を意図して作ったようにも見える。
「どうせお前のことだから、ここに来るとは思ってたよ」
「……」
その言葉に、私は少しだけ自分の浅慮さを呪った。私が思いつくことならば、彼女が気づかないはずがない。こうして先回りをし、待ち構えることだって可能だろう。
気付かれないように実験体も温存していた所を見るに、意外とフュンフは冷静だ。落ち着いて、淡々と私と戦う為の備えをしていた。
「フゥ、雑魚は任せろ」
「頼むよ、私はあいつの相手だ」
恐らく、こうなることも彼女の予定通り。実験体はあくまで一対一で邪魔が入らないよう、私以外の相手を引き付けておく囮だろう。まっこと憎たらしいが、彼女の想定に乗る以外に選択肢はない。
「黒堂」
腕輪から召喚した魔獣、ベヒモスの黒堂が黒い竜巻と共に姿を現した。
「グルル……」
「よしよし、久しぶりだなぁ……」
100年前と変わらない姿で私の前に立つ黒堂は、甘えるように喉を鳴らして鼻先を擦りつけてくる。随分と一人にさせてしまったが、昔のようにちゃんと私を主人だと認識しているようだ。
「早速で悪いけど、お前は敵からそこの人間を守ってくれ」
「ガウッ」
なこさんを信用していないわけではないが、非戦闘員のルークは絶対死守。ここで殺させることこそが、フュンフにとっての勝ちで、私にとっても負けである。なればこそ、守り手は一匹でも多いほうがいい。そして私が黒堂を攻めに回せないことまで、彼女は恐らく想定済みだ。
「やろうか、今度こそ決着だ」
「上等だ、俺が勝つに決まってるだろうがな」
ただ、それでも負ける気は毛頭ない。