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AAOでは、複数キャラの作成が推奨されている。特定のステータスに特化した育成をしてしまうと、他のクラスで遊び辛いからだ。だから、大抵のプレイヤーは最低でも物理と魔法特化の二キャラは作る。
とはいえVRという性質上、一つのクラスを満足に扱えるようになるまでは、実際に体を動かすのと変わらない時間が掛かる。一日で剣道の段位が取れないのと同じだ。有志による統計では、平均180時間ほどの練習で殆どのプレイヤーは過不足無くゲームを遊べるようになるらしい。
ゆえに一つのクラス、一つのキャラだけに集中して遊ぶ者もいる。私は対人戦の研究の為に色々手を出したが、なこさんやンゴちゃんなんかは一点集中型だった。
「――――私と契約して、魔法少女になってよ」
「そのタイプの契約だとアタシ、死ぬくね?」
この世界においては複数キャラなんて仕様はない。この体一つで生きねばならず、ステータスの振り直しなんて特殊なアイテムや誓約がなければ不可能。
だがしかし、クラスを変更すること自体はできる。現地人はどうかは知らないが、少なくともプレイヤーはUIのメニューからタッチ一つで[剣士]にも[魔法使い]にもなれるのだ。
その場合、レベルと覚醒の段階に応じてステータスが変動する。具体例として、80レベルの[騎士]が[魔法使い]へとクラスチェンジすると、初期クラスのレベル上限である50レベル相当のステータスになってしまう。
まあ、それも現状では大した問題ではない。
「私と契約して、魔法少女になってよ」
「フゥさん? 話聞いてる?」
「私と――」
「決められた返答で答えないとループする系の会話かよ、初期のVRゲームみたいだなおい」
「冗談はさておこう」
「あ、うん。それで、取り敢えず理由を教えてくれる?」
確かに詳しい説明を省いて急にそんなこと言われても決めかねる。世の魔法少女たちは、謎の二頭身マスコットに勧誘されてよく頷けるものだ。
「ストストマシマシマゾステロアドアド、これで分かるだろ?」
「ああ~……そゆことねぇ」
説明の代わりに私が謎の呪文を呟くと、なこさんは得心が行ったように頷いた。
これはどっかの世紀末ロボゲーのオーダーにも見えるが、このゲームで用いられている略語である。具体的にどういうものかと言えば、バフの重ねがけを一行に纏めたものだ。
[ストレングスアップ][マッシブファイト][血傷の暴性][オーバーステロイド][アドレナリン・ストリーム]という五つのバフを、それぞれ最大効果まで掛けることを意味する。
このストストマシマシマゾステロアドアドは最初の覚醒までしかなく、レベルの上限が80だった時代に流行った。STR振りのキャラビルドをした前衛にこれを掛けると、初期パッチのボス程度ならワンパンで沈む。文字通り力こそパワー、パワーこそ正義を地で行く最強の脳筋ファイターが生み出せるのだ。
上記の内[血傷の暴性]以外は、[魔法使い]の覚醒クラス[呪術師]で覚えることができる。覚醒条件も、呪術書を持っていることだけ。その簡単さゆえに他の覚醒クラスと比較してステータスは低いが、代わりに序盤から強力なバフスキルを多く覚えることで、TA勢には親しまれていた。
「けど、それってそもそも呪術書が必要でしょ?」
「じゅじゅちゅ……呪術書ならアテがある」
「いま噛んだ?」
「噛んでない」
私が噛んだかどうかはさておき、実は一冊だけすぐ近くに呪術書があることを知っている。この土地がゲームと同じルグリアなら、地下の水路に隠されているはずだ。
まずはそこへ行って、呪術書を手に入れる。それからなこさんをすぐに[呪術師]へと覚醒させ、スキルポイントをバフスキルへと全振り。即席のバッファーが完成、という寸法だ。
「でもなんでまた、バッファーなんて欲しくなったの?」
「少しでも勝つ確率を上げるためだね。出来るだけ有利な状況で戦いたいんだ、あくまで私は殺すつもりはないから」
「あ……やっぱりあのクローンと戦うんだ。二人共同じ実力なら、バファーいる方が勝つもんねぇ」
「それは少し違うかな」
私のその意味深な発言に、なこさんは「どゆこと?」と首を傾げた。
「遺伝子って分裂すると劣化するだろう? それと似たような感じなんだ」
クローンとオリジナルは力が拮抗していると思いがちだが――実情は少し違う。
「言い方は悪いけど、フュンフの能力は私の劣化だよ。その分他のステが高い可能性もあるけど、少なくとも剣での勝負は私に分が有るからね」
――――だから、これは私ができるだけ彼女を傷つけないよう、力の差を広げる為にしていることだ
この世界では記憶や自我というものは魂に焼き付けられるものであり、フュンフは私から切り取った魂の一部を埋め込まれた。つまり、彼女の記憶やステータスは、確かに私を模して作られている。
しかし、あくまで純粋な培養ではなく、胎児という素体を用いた複製だ。私と素体の魂が入り混じっているわけで、本物とは差異が生まれる。
「もし、フュンフの元になった子の才能や素質がステータスに反映されてるなら、当然算出される数字も違うわけだから。そもそも、全てにおいて同じ人間なんて存在しないよ」
「ほーん、そういうもんなんだねぇ」
だから、本質的なことを言えば、彼女はクローンではない。あくまで成長の途上で私の因子と記憶を埋め込まれた別の人間――混血の[吸血鬼]だ。それも私と同等の思考力を有している彼女なら、理解出来たはずなんだけどなぁ。
どうにも、なにかからくりがあるような気がする。こう、フュンフ自体の思考以外に、憎悪や負の感情を煽るような要因が――
「あ……泥?」
そう言えば、彼女の皮膚の上には乾いた灰色の泥が付着していた。
泥と言えば、《朽ちぬ者》が思い浮かぶ。トロンの神話にも、まだ人間だった頃の彼の二つ名である《泥沼》という単語が頻出していた。泥とは悪神の代名詞であり、また彼の眷属が纏う神気のようなものでもあるのかもしれない。
それをフュンフが纏っていたということは、彼女も汚泥に穢された可能性がある。
しかしどこで? まさかあの時、ヘルヘイムでなにかされたのか? 称号の部分には確かにトロンに執着されている、的なことが書かれていたけど……それなら、私はどうして無事なんだ?
「フゥ? どしたの、そんな顔して……」
「なんでもないさ、少し考え事をしてただけだよ」
「むぅ……」
何故かなこさんが露骨に不満げな顔になった気がするが、それよりもだ。トロンか、もしくはその眷属が私に執着しているとすれば、何故今殺しに来ないのかも気になる。
あんな強大な力を持っているなら、今すぐにでもこの場をヘルヘイムのように焼き尽くしてしまえばいい。そうしないというのは何かの企みか、もしくはしたくても出来ない状況にあるのか……。
「……なんかさ、変わったよね。いや、200年も経てば当たり前かもしれないけど、本当にフゥはフゥになっちゃったみたい」
「え?」
「っぽくないなって。ほら、口調とか、ロールプレイしてた時のキャラまんまって感じじゃん? 普段話してたフゥはもっと中の人の性格が出てたって言うか、今のフゥは――ちょっと雰囲気違うよ」
なこさんのその言葉に、私は思わず一瞬思考が止まった。
いつだったか、女性らしく振る舞うようになった時期があったはずだ。それから、私は自然に私であろうとしてきて今に至る。しかし、それはあくまでもフランチェスカというキャラを演じる――伊藤春樹という人格が根底にあった。
「ああ……」
――――私……いや、"俺"は元の人間性を取り戻しただけだ
ふと、彼女が言った言葉が脳裏を過る。
まるで私に人間味がないような、そんな言い方だった。私がそう捉えただけかもしれないが、なこさんにも似たようなことを言われて――ゾッとした。
私はいつの間にか変わってしまったんだろうか。あの環境で変わらずにいられた自信はないけど、伊藤春樹であることを捨てたつもりも無かった。
「そうだな……」
自分を形成する大事なものを、どこかに落としてしまったのかも知れない。その何かが分からないから、きっともう手遅れなんだろう。私はフランチェスカで、それ以外の何者でもなくなってしまって。もしかしなくても、フュンフの方がよっぽど本来の私らしいのか。
昔の私なら、きっと目の前に憎悪の対象がいれば殴りかかるくらいはしていた。フュンフの気持ちが分かるのなら、あの場でジャックを庇うこともしなかっただろう。
今の私は自己の感情や個人の確執よりも、広義的な善悪を判断基準に行動している。それが正しいと思っているし、どれだけ恨み辛みがあろうとも短絡的に人を殺していいとは思えない。
けれど、それが私らしいと言えるかどうかは、また別の問題だ。
そう考えると、在りようが歪なのは私の方なのか?
速スト……?範サブ……?うっ!頭が……