050
わたしがゲーム世界に転移してからおよそ50年。幸いにしてある程度ゲームのシステムが適用されているらしく、それでレベルを上げたり仕事をこなしたりと――なんとか生き延びている。
この数十年の間、どうやっても男として振る舞わなくてはいけず、RP用に作った性格や口調が非常に役に立った。お陰で時々頭の中でも一人称"俺"使うようになって、少し困っている。
ある程度生活が安定してからこの世界の事を調べてみた結果、鍛錬値などの内部数値も健在。身の安全を確保する為に上げたレベルも、時期を見てリセットポーションを使って鍛え直している。それでもまだ、本来の強さには程遠いけど。
クラス覚醒しないとレベルの上限が取り払われないから、未だにレベル80で止まっている状態だ。
それから現地の情報も集めた結果、わたしが転移した時代はゲームのストーリ的に言うと過去であることも知った。今が丁度ストーリが始まった直後で、本編に絡む事件もなく世界は平和そのものだ。
当時低かった魔物のレベルも本編に合わせるように上がっていき、今ではゲームと同じレベル帯になっている。ヘイゼル平原の魔物も、本来は平均10レベル程度なのがエリアで一番強い魔物でさえレベル3とかだったからなぁ。
世界情勢も概ねゲームと変わらず、唯一ルグリアが帝国になっているのだけは差異だろう。
そしてわたしが50年掛けて行っていたのはそれだけではない。同じように転移してきたプレイヤーがいないか、ずっと探しており――結論から先に言うと、わたし以外にもプレイヤーはいた。
時代も場所も全く違うが、世界のあちこちの歴史書に見知った名前があった。ある者は英雄として崇められ、ある者は稀代の大悪党として名を轟かせている。そんな彼らは一貫して《超越者》という呼称で認識されていた。
老いることなく、凄まじい力を持った存在。神の寵愛を受けた、生まれながら特別な人間。どうやら他のプレイヤーはゲーム知識を活用して、あちこちで活躍していたらしい。
わたしも転移して来たあの日から外見年齢は一切変わっていないが、彼らほど目立った事はしてこなかった。現実世界での全てを失ったことに対する、どうしようもない気持ちの整理がつかなかったのもある。生活を安定させるのに余裕がなかったのもある。
ただ、なによりどれだけ探しても、こちらの世界にいる可能性があるわたしにとって唯一の寄辺――ギルドの仲間を、フゥを見つけられなかったからだ。
目立てばそれだけあちらが見つける可能性が高くなると思った。一時期はそのつもりで冒険者として、少しだけ有名にもなった。そんなわたしの心を折ったのはうちのギルドマスター、りゅうせーさんが200年前に死んでいたことを知った時だ。
人魔大戦の英雄《勇者リュウセイ》――《オノロ群島》を超えた先にある《エフィールド大陸》のルグリア王国。そこで彼は人々を守る為に戦場を駆け、戦死したのだと。
後に帝国となったその国ではじめて彼の死を知った時、リアルの顔も知らない人の死にわたしは泣いた。あの人の良いマスターのことだから、ゲーム世界に転移しても人助けしてそうだと思ったけど――本当にそれで死んだら元も子もない。
失意の底にいたわたしだったが、そんな時とある話を聞いた。
――――イルウェトから奇妙なものが出土した
懇意にしている情報屋によれば、それは[吸血鬼]の心臓だという。
イルウェトはわたしが転移してくるよりも前、50年ほど前まではりゅうせーさん絡みの誰かが張った[完全結界]で遮られていたエリアだ。加えて[吸血鬼]という単語を聞いてわたしは動き、その正体を確かめることにした。
もしかしたらフゥかもしれない、そんな気持ちでいっぱいだった。
実際帝国に潜入してみて、国の研究部が心臓を元の姿へと復元させる方法を発見したのを知る。それに反対する派閥が、心臓を持って逃げ出すという情報も。
わたしは反対派閥――今にして思えばグルであったのだが、彼らとコンタクトを取って、作戦決行の当日に雇われとして逃走の幇助をすることになった。結果として、そう――結果として彼女に良く似た別の誰かとは会えたが、それはわたしの知るフゥではなかった。
喜び勇んで久しぶりに、はじめて生身で剣を交えたわたしが言うのだから間違いはない。本当に良く似ているけどわたしの事を忘れていたし、わたしの第六感にも似た感覚が告げていた。
本物はきっとまだあの研究所にいる。そう思ってそっくりさんに付いて行ったらその先でも色々あった。研究所から街へと飛び出した謎の化け物を倒していると、遠目に見覚えのある後ろ姿を見つけたのだ。それも二人分、フゥによく似た灰髪の少女と、銀髪の少女が口論をしていた。
ただ、灰髪の方が何か吐き捨てて去っていったのを見ただけで、銀髪の方は後ろ姿しか見ていない。それでもわたしは直感した、あれこそが本物だと。
「――――なこさん?」
途中ルークを助けたりと寄り道をしつつ、後をつけて忍び込んだ建物の中でわたしが見たのは、確かに本物のフゥだった。
なこという愛称でわたしを呼ぶのは彼女しかいない。その凛とした涼やかな声は、ゲームでも幾度となく聞いたが、現実だとより自然と柔らかな聞き心地だ。何時間でも聞いていられるかもしれない。
フゥはその可愛らしい顔全体で驚きを表現して、信じられないと言った目でわたしを見ている。
心臓が早鐘のように打って、会ったら言おうと思っていた言葉も頭から抜け落ちてしまった。二人のお約束でもある、アイサツの前のアンブッシュは室内だから流石にアレだし――こういう時ってどうすればいいんだっけ?
ああ、やばい、パニックだ。
わたしが黙りこくったまま棒立ちしていると、フゥがソファから立ち上がってこちらへ歩み寄ってくる。
ゆっくり、確かに距離を縮めるような足取りで、彼女が近づいてくる。VRで散々見たけど、実物の存在感凄い。なんというか、美形も極まると威圧感になるというか……フゥって確か中身男だったよね? なんか仕草とか歩き方とか、完璧に女の子じゃん。
けれど、その中にも戦う者の癖みたいな物が見え隠れしている。隙のない動き、一挙手一投足が全部攻撃に繋げられるような体捌き、これは一長一短で身につくようなものじゃない。
曲がりなりにも、それなりに戦いの場に身を置いてきたつもりではある。修羅場だって一度や二度じゃ済まないほど経験してきた。
それでも――だからこそ、彼女の異質さがよく分かる。全身から迸るエネルギーのようなものも、無駄のない動作の一つ一つも全て。こういうのを覇気というんだろうか、とにかく元日本人が纏うような空気じゃない。わたしの知らない間に、一体何があったというのだ。
ある程度近づくと、フゥは上目遣いでわたしを見る。
うっっっわ……めっちゃ可愛い、なんだこれ透明感バグってない? 睫毛なっっっっが、唇ぷるぷるじゃん。肌のキメとか凄いし、何より目のキラキラが凄い。宝石みたいに輝いて、本当に絵に描いたような美少女だ。
「……」
えっ、待って尊い。
TSクソ強系美少女おじさん、普通に推せる。めっちゃフリフリした服着せて、羞恥赤面させたい。ちょっと過激な下着姿で、「……俺、男なんですけど?」って言って欲しい。前々からおじさんのくせに可愛いとは思ってたけど、リアルに降臨すると一層尊みが深いわ。
「えっと、なこさん……じゃない? そのアバターって……」
うわあああぁぁぁぁ!?!? 困り顔も可愛すぎでは?
というか温度、温度よ! この距離感で目の前から伝わってくる美少女の体温。ああ、触りてぇ……。プニプニのほっぺたをつついたり、小ぶりなおっぱいに顔を埋めて匂いを嗅ぎてぇ……。
でも推しは壁のシミになって見守りたいというジレンマ。決して直接やましいことをするべからず、それがファンの鉄則なのだ。ああああああ、でも、でもやっぱフゥが本物になったなら触れたいよぉぉおおぉぉお!!!
無表情のまま内心で悶え狂うわたしの気など知る由もなく、フゥは「あれぇ……もしかして人違い?」なんて小声で呟いて慌てている。
合ってるよ、あなたの知ってるきな子だよ。そう言ってあげたいのは山々なのだが、如何せん声が出ない。もうこれ完全に推しに遭遇した時の感情だ。うん、知っていた。わたしってばあの日戦ってから、ずっとフゥのファンだったからね。
だから、辛うじて絞り出せた言葉を彼女へと耳打ちした。
「……深淵の田沼まさし討伐戦」
「ッ!」
それを聞いたフゥは無言で目を瞠り、「コイツまさか!?」みたいな顔でわたしを見る。
「し、霜リンゴバイヤーの乱……」
そして、彼女もまた同じように、わたしにだけ伝わる言葉を恐る恐る接いだ。ああ、その説はよく覚えているとも、なんならわたしも当事者だったよ。
「法皇大爆殺の巻」
「第一次ショー=グン天誅祭り」
「クラルス・エンヘインの密告」
「聖女ちゃんノーパン事件」
二人にしか分からない単語を言い合い、そしてどちらからとも知れずわたしとフゥは拳を突き合わせた。コツン、と触れた手の感触は本物で、益々彼女が現実にいることを認識させられる。
「久しぶり、フゥ」
ああ、彼女はやはり本物だ。