048
私は柔らかいソファに体を預け、小さく疲れたように溜息を吐く。それを見る師匠は当然と言わんばかりで――とにかく私は皇帝を相手に会話したことに心底疲れていた。
「いやぁ、緊張した……」
『貴様は腹芸に向かんな』
師匠の言う通り、私は交渉事に余り向いていない。今回だって早く終わらせたくて仕方なかったし、いつボロが出るかも分からなかったからな。
――――部下にならないか
私はそんな皇帝の言葉を一蹴した。
その後何事も無かったかのように状況の説明を聞いたのは、流石皇帝としか言いようがない。普通あれだけ即断されれば、もう少し動揺するだろうに。
ともかく、逃げ出した実験体はあれで殆ど全部。残るフュンフは下手に対応すると死人が出かねないため、軍隊は専守防衛に努める構えのようだ。私の行動に関しては制限されなかったが、恐らく動くことを期待されている。
まあ……言われずとも、動くつもりではあるし、制限させるつもりもない。
因みに同席した師匠の姿を、その場の誰も気に留めることは無かった。試しに兵士の前で手を振ってもらったが、完全に無反応。どうやら私以外に姿も見えていないようで、声も聞こえていないらしい。
幽霊である師匠は波長が合わなければ認識できないのか、はたまた私の霊感が強いとかそういう話なのか……。ゲームだと廃屋探検すると出会えるレイスのNPCがいるくらいで、他のNPCとの絡みとか無かったから分からん。
『まあ、そんな事で御せるような女でもないか。蟻が竜に指図出来ぬのと同じことよな』
「その例えはどうなの……?」
そんな不思議な存在である師匠の例えはともかくとして、言っている事は正しい。
帝国はどうにかして私を制御したいようだった。彼らが何の目的で私を研究し、復活させたかは知っているからな。目覚めたと知れば、この国に縛り付ける気満々だったろう。
だからこそ皇帝が自ら出張って来たり、武力で脅しを掛けたりと奇襲をしかけてきたわけだ。逆に、それくらいしか彼らには出来なかったとも言える。
私にはこの世界に血の繋がりのある相手が一人もいない。身内を人質に取ることは不可能で、且つ本人も武力に屈するような相手でもない。自惚れぬわけではないが、帝国の最高戦力があの程度なら本当に無傷で制圧出来る。本当に戦うだけなら国を一つ相手取っても、余裕で立ち回れるだろう。
絶対に面倒くさいことになるので、出来るだけ敵対は避けたいが。
『レベルが150ある[魔眼の蜥蜴鶏]と戦った話をしていた時の、連中の顔は滑稽だったな。その中で真面目な表情をする貴様も、やはり価値観がアレだな……』
「おい、アレってなんだアレって」
言い方的に、私の頭がおかしいとでも……?
別に私もレベルが100を超えた魔物と戦うのが普通とは思ってませんし、戦って勝つのも凄いことだって理解してますし? なんなら外界の人間の平均が低すぎて、逆の意味で拙いと思っていますし。
「皇帝の護衛は50レベルだったろ、あっちが低すぎるんだよ……」
『ふむ、覗き見の技能は人相手にも効果があるのか。それにしても、帝の身を守る者のレベルがその程度なのは確かに低いな。昔の人間の武人の質はもう少し高かったと記憶しているが……』
そう、私の頭よりおかしいのは連中のレベルが低すぎることである。
ルグリアの兵士の平均レベルが20前後なのに、既に時間軸的にはゲーム本編が開始してるのが問題だ。
この時点で今私のいる《エフィールド大陸》はゲームだと滅んでいた。そこに生き残りの少数民族であるルグリア人がいて、滅んだ魔族の国について研究しているはずなんだけど……。
「……現実に差異が出てきている」
仮想のルグリアは、恐らく結界が張られることなく魔物に蹂躙された世界線だろう。魔物のレベルが現実より多少低かったのも、結界が原因だと思っている。
内部では蠱毒のように、それはもう凄まじい生存競争が行われていたからな。大陸全土に広がれば当然縄張りも増えて、個々の強さも薄まる。問題はそのお陰で数多の装備と魔法を開発していた彼らがいなくなったことだ。
外でうろつく魔物が大体[Lv.70]前後だったので、拠点にトレインしてくるとミサイルやらレーザーやらで勝手に殺してくれて便利だったのになぁ。
この世界での発展ぶりを見る限り、技術の発展は破壊兵器よりも生活の利便性に向いているらしい。それはそれで素晴らしいが、世の中が平和であるとやはり強さは手に入らないようだ。
そんな中、私の心臓から兵器開発の案が出たのは、"何か身近に迫る危機"が再び現れたからだろう。平和ボケした国で、それを揺るがすほどの何かが起きた。既に私の知っているAAの歴史とは違ってきているため、それが何かはわからない。
――――しかし、本編が開始されたことで出た影響である可能性は非常に高い。
「うーん……」
そしてこれを解決する方法は、今思いついたものだけでも二つある。
まず手っ取り早いのは、元プレイヤーの特権とも言える内部数値のことや、クラス覚醒やレベルアップの法則について彼らに教えてしまえばいい。鍛錬値を振って、レベルアップして、覚醒条件を満たしてレベルの上限を上げていく。
適当に検証と称して、何人か帝国兵のレベリングをすれば嫌でも信じるだろう。
もう一つは、《忘れられし都ラーマ》と呼ばれるエリアに赴いて、そこで古代兵器の設計図を持ち帰ること。ゲームではそれがフラグとなって、ルグリアでユニーククラス[機工士]の解放と[古代機構]という装備シリーズの制作が行えるようになる。
こちらは拠点の防衛機能を高める側面が強く、設計図とゼニーを渡すことで拠点に砲台などの武装が設置されるのだ。
あのゲーム、放っておくと拠点だろうなんだろうと、魔物に襲われたりで滅ぶ時は滅ぶからな。実際使えなくなった拠点が幾つかあって、そこは魔物の巣窟に変わってしまった。
とは言え、帝国にどこまで肩入れするかはまだ決めかねているので、もう少し考えてから結論を出そうとは思っている。人道に反した事を行ってきたのも見たし、ゲームと同じ感覚で動くのはあまりよくないだろうし。
逆にゲーム脳的思考で言えば、彼らのイベントを進めると他の勢力のイベントが進行不可になる可能性がある。私が与えた知識で他国と戦争なんて起きれば、敵対関係まっしぐらだ。
そういうイベントでNPCから買い物不可になった覚えがあるだけに、現実であることも含めよく考えてから行動したい。
――――それに、私には最も優先して解決すべき問題が残っている。
フュンフは必ずまた私に会いに来て、そして戦いになるだろう。どれだけ憎まれていようと、彼女は助けたい。
彼女はきっと、まだやり直せる。憎悪に染まった目の奥に、ほんの僅かに希望の光が見えた。だから、無為に殺すことも、また誰かを傷つけさせることも絶対にさせるものか。
どんな形であれ、決着は絶対につける。それが私の為すべきことだ。
そう、私が決意を改めていると、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
私の声を聞いた廊下の誰かがドアノブを回し、軋んだ音を立てて扉が開かれる。大方伝令役の兵士か何かだろうと思っていた私は、その敷居の向こうにいた人物を見て動きを止めた。
少し尖った黒髪と、意志の強そうな翡翠の瞳。同じものではないが、見覚えのあるファッションで佇む青年の姿は、記憶の片隅にあった名前を浮かび上がらせる。背負った特大剣と、どこか無理にクールさを装ったような表情もそっくりだ。
――――いや、まさか、そんなことがあり得るのか?
そう内心で思いつつも、私は無意識にその名を呼んだ。
「なこさん?」
ギルド《明星の旅人》サブマスターの一人、なこさんこと《魔法少女マジカル甘味☆きな子》がそこにはいた。AAO時代と何ら変わらないアバターの姿で。