047
取り返しのつかない事になった後に相談する馬鹿たちの話
部屋を移り――――本来皇帝の訪問を予定して作られた一室で――――腰を降ろしたレオナルドは、机に置かれたティーカップに手を伸ばす前に盛大な溜息を吐いた。
対面に座る帝国軍元帥、グレイヴはそれを見て苦笑を浮かべながら葉巻へと火を点けた。おしめを取り替えた事がある程長い付き合いである皇帝の溜息も、最近では最早聞き慣れたものだ。特にこの頃は、色々と心労の重なることも多かったゆえに。
「大分嫌われていたな」
「です……なぁ」
その言葉に低い唸るような返事が返り、レオナルドは響く余韻を消すように紅茶を口に含む。頭の中では先程の会話の反芻が行われ、改めてあの"規格外"と対峙した緊張感を思い出して胃が縮こまる。
紅茶を嚥下してから少しの間を置いて、再び溜息が漏れた。
「あれは、まあ……無理だわ」
「同感ですな」
――――御せない
皇帝としての役作りをやや放棄したレオナルドは、そう言って天井を仰ぐ。言葉が足らずとも分かる、件のフランチェスカという女のことだ。
研究所内の実験体が脱走したという報告に続いて、オリジナルの覚醒の知らせを聞いたレオナルドは、フランを帝国へと引っ張り込む為に喜々として彼女の元を訪れた。
元より絶対君主制ではないこの国では、皇帝のフットワークも軽い。流石に公共交通機関は使えないが、皇族専用の路線を使えばものの数十分で帝都の端から端まで動き回れる。
ゆえに、一番はじめに彼女と対話するのは自分と決めており、その通りに事は進んだのだが――彼女の返事は色良いものではなかった。
――――お断り致します
そう言ってフランチェスカは、皇帝の頼みを断った。説得の余地なく、淡々と。本来の予定ならばそこからの武力行使を想定していたものの、それが愚策であることは武の心得があまりないレオナルドにも分かる。
「ロン、忌憚なく答えてくれ。仮にだ、近衛と《神狼の牙》全員であれに掛かったとして、勝てたか?」
「不可能ですね、勝てる勝てないの次元ではありません。もしあの場で貴方がその選択を取っていたのなら、死ぬほど恨んでいましたよ」
「……成程」
ロンと呼ばれた護衛の男――――幼少より側近としてレオナルドと共に育った幼馴染でもある――――は、その問いに食い気味に答えた。護衛以外が見ていない場所では、こうして歯に衣を着せない物言いをすることは多々ある。
「では、具体的にはどう見えた?」
それほどまでなのか、と苦笑する皇帝が次いで放った言葉に、その場にいる三人は少し考え込む素振りを見せる。
「剣客としての腕も極まっていますが、あの威圧感は普通に修羅場を潜ってきただけでは身につきません。……ミルティはどうだ?」
「ロンの言う通り、常に戦い続けなければならない環境で何十年と過ごして来たのでしょう。ですが、相手はたった一人、然るべき方法を取れば勝算はあると愚考します」
「そうか……グレイヴ、お前はどうだった?」
「俺が気付いたのは間合い、ですかね」
「間合い?」
「彼女、部屋内の全員を間合いに捉えて、いつでも斬れる状態にありました。俺がそれに気付いたら、目が合って笑いかけられましたよ」
――――そんな状況でもし動いていたら
そこまで言って、グレイヴは顔を青褪めさせる。
彼女を本来の目的である軍事利用するにしても、武力で従わせるのは不可能。もしその選択をした場合、どれだけの被害が出るかは想像に容易い。
そして、彼女の性格にも皇帝は頭を悩ませていた。
一見常識的で話が通じるように思えたが、その後の幾つかのやり取りで彼女の価値観が非常に特殊であることが分かったのだ。
前提として、フランチェスカの性格は善人の寄である。
その強さと見合った精神性も持ち合わせており、噂に聞く心剣流の意思を継ぐ剣士と似た思想を持っていた。だからこそ国――何処か特定の勢力に属すことがない。独自の美学や理念に基づいて行動するので、皇帝としてもどう制御していいか分からなかったのだ。
恐らく敵にはならないものの、彼女が積極的に帝国に与することはない。
「なんなんだろう、あの女……」
性格以外の話をすると、顔はいい。絶世の美少女と言っても過言ではないだろう。
外見年齢故に幼く見えるが、顔の造型は可憐というより美人でもある。胸の方はやや小ぶりで、子鹿のような体つきも皇帝好みだ。
「……あれでは、隣に並び立つ相手がいないのではないだろうか」
そして、あの一片の濁りもない髪と瞳、尖った耳と犬歯を見れば彼女が純血の[吸血鬼]であることは一目瞭然。
[吸血鬼]は真祖の直系子孫である《アーク・シュミエール・ロザリア》の台頭により勢力を増し、南側諸国で、非常に高貴な身分として人間にすら尊ばれている。ゆえに皇帝の妃というカードを切るのも吝かではなかった。
なかったのだが、現状彼女はその提案に食い付く気が微塵もしない。
「……ねえ、逃げていい?」
「駄目に決まってるでしょう、貴方は皇帝ですよ」
泣き言を言うレオナルドを、グレイヴは嗜める。
「いやでもさ、頑張ったじゃん? 先代たちの負債はもう払い終わったようなものだし、俺にこれ以上何しろって言うんだよ……彼女たちも謝罪と賠償をして放っておこうよ……」
元々12歳で皇帝に即位するまで、レオナルドは温厚で本を読むのが好きなだけの子供だった。
皇帝になる教育を施されたとて、元の性根が変わるわけでもなく――どちらかと言えば普段見せている姿の方が偽り。巷では《機工帝》などと言われ畏れられているが、それも役作りの結果広まったものだ。
「貴方にはこの国を強くし、守る義務があるんです」
「そうだけどさぁ……」
なれど、レオナルドにはそうせざるを得ない理由がある。
――――過去ルグリアが帝国で無かった頃、魔族との戦争により国は嘗てないほど衰退した。
戦地に赴いた兵士たちは殆ど帰ってこず、女子供ばかりが残された。男手を失い、家族を失い、女だけで国を回せるわけもなく、ルグリアは日に日に滅びに向かっていた。
そんな絶望的な状況で立ち上がったのが初代皇帝アルベルトであり、積み上げて来た知識を使って国を再建したという。そして今代に至るまで皇帝は、戦争によって負った衰退と言う名の負債を返し続けてきた。
非力な者でも戦える銃を作り、効率的な輸送手段として魔導列車を開発した。二世紀という月日は国を巨大にするには申し分なく、いつしか帝国は世界でも有数の強国と呼ばれるようになった。
誰もが国の繁栄と安泰を信じ、レオナルドも同じようにして暮らしていた――つい20年前までは。
特級の危険度を誇る魔物の出現と、その討伐に赴いた軍の損害。一個大隊を差し向け、ものの数時間で半壊した。未だその魔物を討伐する事は叶っておらず、加えて世界でも似たような事例が複数報告されている。
あの日、結界が解かれてから幾数年、何かが動き出したのだと悟った先代皇帝は更なる力を求めた。滅んだ都市から古代の機構を掘り出し、失われた技術を復元させたのだ。
イルウェトの持つ転移魔法をはじめとした独自の魔術、呪術を集積し、そして《神の力》を見つけた。急逝した先代が遺した言葉と共に、それはレオナルドに引き継がれ――――
「……父上が託したこの国を俺は守らなければいけない、か」
動き始めた世界と脅威に対抗するには、《エーテル》を用いた兵器の開発が急務。更に言うならば、その力を纏う存在を兵器にしてしまえばいい。
元より知識を蓄える為ならば、ある程度倫理に反した事を行ってきた民族だ。
古代人を兵器に仕立て上げる程度、レオナルドが良心の呵責に苛まれるだけで済む。皇帝である以上、数万と暮らす民を守るのに、他の正常な価値観を持つ者に恨まれ恐れられる程度は許容の範疇だった。
あの狂った男も、嬉々としてレオナルドの提案を受け入れた。それ故に、彼に責任を擦り付けて心の平穏を保っていたのかもしれない。
「しかし、あれは駄目だろ。どうやっても無理だぞ、俺にだって出来ないことはある」
「まあ、そうですね……」
最良は、彼女の細胞を使って彼女と同等の力を持つ兵士を量産すること。次点で、彼女の複製体を用いて、精鋭部隊を構成することだった。
結果としてどれも失敗に終わり、オリジナルたる本物のフランチェスカも誰に憚られる事もなく研究所の外に出てしまった。
そうなれば復活の恩や厚遇での採用を匂わせて上手く丸め込み、兵士として国に帰属させることを想定して動くつもりだったが――結果はご覧の通り。あれが恩を売って首輪を着けられるような存在でないこともはっきりした。
「いっそ、普通に頼み込んではどうでしょう? 意外とあっさり引き受けてくれるかもしれませんよ」
「そんなことで解決すれば悩んではいないぞ」
そう返答した皇帝は苦言を漏らし――まあ、策を使い果たしたら最後にやってみるのもありか、と一人小さく呟いた。
感想で頂いた『クローンは記憶のコピーができない』点についてですが、数話後に説明が入るのでそれまでお待ち下さい。