045
走る、ただひたすらに走る。
瓦礫の積もる道中を逸る呼吸と足音を輩に、ルークは腕と足を交互に降り出して前へと進む。既に全身の汗腺という汗腺から汗が噴き出し、冷たい風に吹かれる体は薄く蒸気を纏っていた。
「ッ、ハッ……ハァッ……ハァ……!」
湿った瞼から塩気のある雫が滴るが、腕で拭う間などはない。背後から聞こえる水音混じりの咆哮に、一層踏み込む力を強める。その一瞬後に先程までいた場所に、瓦礫の塊が飛来した。
「お……おおお……おいおいおいぃっ!」
衝撃に浮く体を全力で宥め、平衡感覚を失い掛けた足はぐにゃりと方向転換。すぐ横の路地へと飛び込むと、次いで石やら木材やらを丸く固めた物が通り過ぎる。
一瞬の休憩時間も走り続けた体には逆に毒で、ルークは立ち止まる事無く走り抜け、そのまま再び大きな通りへと出た。
「ひっ、はぁ……に、人間相手に的あてゲームってか!? 冗談じゃないぃ……ぉおおおおっ!?!」
「Oooooiii!!」
その先で――――目玉と腕を無数に生やした――――身の丈五メートルはあろう巨人が家屋をぶち抜いてルークの正面へと現れる。先の《グラキニオス》にも似たそれは、暫く前から完全にルークに標的を定めて追いかけて来ていた。
理由は当然、彼が喧嘩を売ったから。
「来いよおデブちゃん! 俺が相手だ!」
その体積の殆どを占める筋肉には、ルークの持つ拳銃も豆鉄砲にしかならない。なれど、執拗に豆鉄砲をぶつけられた相手は、当然怒り狂って首謀者を叩き潰さんとするだろう。
そうして激昂した多眼のグラキニオスとも言える存在を、ルークは市街地から引き離そうとしていた。
門から遠い外壁に向かえば向かうほど人通りも減る。そこでなら多少建物を壊した所で、人死さえ無ければ上々だ。もし帝都の中央でこんな物を暴れさせ続けたら、どれだけの被害が出るか分かったものではない。
「……まあ、上から来たってことはつまりそうなんだろうけどな」
あれが件の研究所――正式名を帝都中央イデア遺構研究所からやって来たのなら、道中の被害はそれなりに出ているだろうが。
加えて《多眼》を引き付けているにも関わらず、遠方ではまだ戦闘音が絶えず鳴り響いていた。
恐らく"コレ"以外にも帝都へと実験体が脱走し、憲兵たちが戦っている。そう考えると、いつまで逃げ続ければ援軍がくるのかは分からなかった。
分からなかったが、それでもルークは走る。
今尽くせる最善を、彼なりに尽くそうとしていた。
「おあぁっ!?」
そんな彼を運命神は見放さなかった。
突如《多眼》の肩部に雷を纏う弾丸が飛来し、豪雷と共にその巨体がぐらりと揺れる。強い火薬と肉の焦げる匂いに目を細めれば、視界の先に大きな筒のような物を抱えた男たちが立っていた。
「魔導隊か!」
二列横隊で立ち並ぶ彼らの装備は、帝国でも選りすぐりの魔道兵の着る制服。次いで抱える巨大な砲塔は、使用者の魔力に応じて威力の変動する――極北の工房が開発した銃の原型[ノーデンの雷砲]であった。
魔導隊が間に合った、その事に一瞬安堵の表情が浮かぶ。だが、次の瞬間にそれは消え失せ、魔導隊の前列が土砂と共に吹き飛ばされた。
「なんてこった――」
《多眼》は張っていた筈の物理結界を容易く引き裂き、手で羽虫を払うように兵士たちを蹂躙した。先程の砲撃もまるで意に介さず、肩口が多少焼けた程度で済んでいる。
――――拙い、このままでは拙い。
咄嗟に直感したのは、あれが普通の兵器で止められる代物でないこと。だが、だからこそ今ここでどうにかしなければ帝都が滅ぶ。それこそ、ファールやフランと言った英雄級の存在がいなければ――――
「轟波雷鳴斬!」
先程よりも大きな稲妻が落ちたような音が鳴り、《多眼》の体を頭頂部から股の先まで一直線に斬撃が切り裂いた。
内蔵まで焼き尽くすような雷撃に打たれ、怪物の重心が後ろへと傾く。そして、凄まじい音を立てて仰向けに倒れ込み、それっきり起き上がらない。代わりに怪物の腹上に立つ黒衣の男は、雷を纏った特大剣を手にルークを見ていた。
「用心棒!」
「……ファールだ」
ルークが喜色の籠もった声でそう叫べば、ファールは呆れたように溜息を吐きながら地面へと降りた。燻るように地面を走った電撃が消え、背中へと剣を背負い直す。
「状況が変わった、お前も付いてこい」
「何!? いやでもあっちは化け物がわんさか――」
有無を言わせないその言葉に、ルークは無理やり反論しようとした。そこで漸く、先程まで聞こえていた銃声も怒号も静まり返っている事に気付く。まるで、先程までの狂騒が無かったように、遠方では灰色の煙だけが――ただ立ち昇っていた。
◇
市街地に沈む青白い死体たちの真ん中で、一人の男が露骨に「解せない」と言った顔で私を見ている。軍服にも似た意匠の制服には幾つか勲章が提げられている事から、恐らく軍部か何かのかなり偉い立場の人なのだろう。
彼は初老より少し前の――黒髪に白髪が混じり始めた頃合いだが、体つきはまだまだ現役のそれだ。ゆえに前線に指揮を執りにやって来たと、そう推測する。
先程到着した私が、暴れる実験体は全て倒してしまったが。
このまま無惨な姿で生きるより、苦しみなく冥府に送ってあげた方が良いと思い――全員一撃で殺した。元はといえば私の細胞のせいでこうなったので、身から出た錆……は、利用された彼らに失礼か。ともかく、当事者として出来る限りの事はしたつもりだ。
「……まず最初に一つ質問に答えろ」
「えっと、何でもどうぞ?」
「お前は我々の敵か? 味方か?」
そして、その現場にやって来た彼は警戒心と困惑を織り交ぜた声音で私に問うた。
私以外の人間が、少し緊迫した空気を纏って返事を待っている。特に目の前の彼は、まるでいつ戦いが起きてもいいほどに張り詰めていた。
「敵ではない、が味方と言うにはそちらの事を知らなさ過ぎる」
「それはつまり、交戦の意思は無いという意味でいいんだな……?」
「ええ」
ただ、この場合においては私に敵対する理由がない。街の人々を守るために戦っていたのなら尚更だが、軽率に「味方だ」と言って言質取られると嫌なので、一応中立として振る舞っておこう。
私が剣から距離を離す意味でハンズアップすると、漸く彼はほんの少しだけ表情を緩めた。
それにしてもやけに警戒されている気がする。周囲の兵士も確かにこの場の状況を見て、私を訝しんでいるものの、この人はそれ以上に何か畏れにも近い感情を抱いていた。
「……いや、本当に怖いのか」
『これが普通の反応だ。100年前にも言ったろう、貴様は強くなりすぎた』
音声認識ではなく思考によるサーチを発動させれば、[ヒューガスト][Lv.45]という表記が現れた。
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[名前]フラン [クラス]剣姫
[種族]吸血鬼 [性別]女
冒険者等級:未登録
称号:悪神に執着されし者
Level:125
HP:10075/20150
MP:4100/4100
EXP:60240/15450600
スキル:【再生+60】【活性+60】【高揚+60】【血塊身防+33】【並列思考+30】【忘我集沈+28】【血操+20】【血活蘇生+3】【剣神加護】【剣姫覇気】
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STR:9203(-2302)
VIT:3935(-668)
AGI:14142(-4371)
MAG:1205(-302)
DEF:768(-175)
MND:1456(-467)
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私の今のレベルとステータスがこれ。
懐中時計の効果でステータスが減少していたり、クラスが[剣豪]から[剣姫]に――つまり三次覚醒していたり、固有スキルや称号に無視できない物があったりと変化はあるが、今言いたいのは彼のステータスと私とでは十倍程度の差があるということだ。
現地人が鍛錬値を知っているかも怪しいから、もしかするとそれ以上かもしれない。
「でだ……俺は帝国軍アトラス小隊小隊長、ヒューガストだ。敵対しないというのなら、状況の説明を求める」
「司令?」
つまり部隊の士官で、それが覚醒の条件すら満たさないレベルで留まっている。そして周囲の兵士のレベルは、ヒューガストより低い30前後だ。
有り体に言えば弱い、正直ここまで人間の平均が低いとは思ってもみなかった。
ゲームでのルグリアは、曲りなりにも高難易度マップの都市エリアだった筈だ。それがレベル30とは――順路で言えば三番目に挑む事になるダンジョンの適正レベルと相違ない。
いや……彼らがこの程度でも、これが人間の平均だと思わないほうがいいか。ここにいる兵士が精鋭ではない可能性もある。ただ、そうでなかった場合は問題だ。
「では、貴方の上司――将軍以上の階級を持つ人間と話がしたい」
取り敢えず、なんにせよ、まずはこの国の一番上を知っておく必要があるだろう。
【TIPS】
[レベル上限]
クラスの覚醒段階毎に設定されている
初期のクラスであれば[Lv.50]まで
覚醒が一段階進む毎にレベル上限は30ずつ解放されていく
力の限界に到達した時
その先を望む者にのみ扉は開かれる
かくあるべしと
世界がそう定めたのだ