042
正面には私に瓜二つの少女。ただ、その髪は深い灰色に染まり、肌には乾いた泥が張り付いている。その背後に白衣の研究員らしき人間の男女が一組、そしてそれらを囲む異形数十体、etc……。
目覚めた直後にこれとは、忙しないことこの上ない。
「お前……何故急に動き出した!?」
「何故って、生きてるんだから動くさ」
何を言っているのか分からない、と言った顔でフュンフ……と呼称されていた筈の少女は私を見る。全く、同じ顔に馬鹿を見るような目をされるとは、世の中は不思議なことで溢れているな。
「それよりも、記憶がないのか……? どうして動けるのか、"私"なら知っている筈だろ」
「……」
そう、あの時私は《汚泥の巨人》を倒して力を使い果たし、直後にイモータルの上位者らしき存在に消滅させられるところだった。と言うか、本来ならばあそこで死んでいたのだろう。
実際あの攻撃――骨を溶かす程の熱風の余波で、ヘルヘイムの魔物は全滅したようだし。
それを防いだのは《啓蒙神》と《時戒神》の加護の宿った懐中時計だ。あれが死ぬ寸前の私の魂を保護し、外部との時間の流れを果てしなくずらした。そのお陰で魂は消滅を免れたが、肉体は魂の宿る心臓を残して消滅。
――――死せる命、天楽たる指針の音に悠久の間庇護されん。
メタいことを言うと、あの魔導具は一度だけ死亡判定の直前の状態に留め、そこから何かしらの方法でHPを回復させれば復活出来るアイテムだった。
ゲームでの用途だと、ボス戦とかで死んだ直後にリスポーンするためのアイテムだったのだろう。
あのゲーム、蘇生方法死ぬほど少ないからな……。ダンジョンの最奥だろうと、死んだらその場で復活する術は殆どない。それを復活時のステータス減少ペナルティ付きでやらせてくれるだけでも優しいと言える。
話が逸れたが……つまり私は直前の一瞬で身につけていた装備品も瞬間的にインベントリへ仕舞う事で難を逃れ、惨めな姿でしぶとく生き残っていたというわけだ。
いやあ、デスする前に装備を全部外して、耐久値を減らさないようにする手癖があんな所で役に立つとは。
時計の効果は自動再生系のスキルを封じ――敵がわざわざ結界を解いてくれたお陰で、調査をしにきたルグリア人になんとか私の心臓は発掘された。その後に特殊な再生薬を投与されなければ、私はまだ心臓だけの状態だったろう。
ただ――あの溶液か、はまたまた装置自体に強制的に意識を混濁させる作用があるのか、彼女の叫びに共鳴しなければ私は自力で水槽から抜け出すこともできなかった。
外から情報が入って来るのに、自分からは何も出来ない。まるで、限りなく鮮明な夢を見ているような感じだ。
お陰で勝手に心臓を弄くり回され、色々と余計な事もされた。だからこそ生まれたフュンフという存在に気付いて、それを止めるべく出てこれたわけだが。
「うーん……まさかクローンとは」
「私は偽物じゃない!」
「そうだな、お前は私から生まれた別の吸血鬼だ」
「違う……私はフランチェスカ。お前が私の偽物なんだ」
ゆえに、言いたいことも沢山ある。そこに転がるヘンリーという男の所業、犠牲になった人々がどれだけいたのか。
彼は治験という名目で、スラムから攫って来た人間を人体実験に使っていたのだ。無理やりに私の細胞を移植された人間は、混血の[吸血鬼]にもなれずに肉体をただ変質させられた。
つまり、人間としての遺伝子が歪に書き換えられ、私という存在のカタログスペックを再現し切れずに何処かで瓦解する。
不変の肉体を持つ[吸血鬼]は肉体の変化が分かり難い。筋力一つ取っても、鍛えたら目に見えて表れるそれが、ほんの些細な変化に見える程度だ。
そして私はそんな[吸血鬼]の中でも、それなりに腹筋や太腿などに筋肉が見えるほど鍛えている。
その変化を無理やり人間へと与えたら、当然元の体が耐えきれずに崩壊するか――適応したとてまともな姿では到底なくなってしまう。中肉中背の男の体が、極端に肥大化した筋肉の塊になる様を目の前で見させられた事もあった。
フュンフが真実を知った反応を見る為だけに、劇的な真実への到達を演出したのもそうだ。
そもそもソフィア・クレイシアスはこの部屋自体を知らなかった。あそこに偽の職員証を置いたのもヘンリーで、彼女が都合よく解釈するように仕向けただけである。
全てがヘンリー・サミュエルと言う男が知識欲を満たす為だけに行ったことだ。
はっきり言って、苦しかった。
「好奇心故の行動で、人は此処まで残酷になれるのかと」
「お前は何を言って……!」
「私も怒らなかったわけじゃない、人の命は玩具じゃないとも思ったさ。だけど――」
何か一つ歯車が違えば、目の前の彼女のように激情のままヘンリーを殺していたかもしれない。ただ、それを咎めたのは、私が眠っている間もずっと傍にいた師匠の存在だ。
「どんな理由であれ人類に仇をなすというのなら、私が止めるよ」
神さまに、師匠に誓った生き方を、私は曲げたくなかった。
本当ならばヘンリーを死なせる予定は無かったが、私も少し躊躇してしまった。彼女が殺すと分かっていながら、自業自得なのではと考えてしまったのだ。なればこそ、最早ここにいる二人を殺すことは許せない。
人類の敵となった彼女を、放置しておくことはできなくなった。
「だから、出来ればやめてほしい。人を憎まないで欲しい。もっといい生き方がある、選択肢がある」
「戯言を……!」
それでも、本音を言えば悲しい。
本来ならばその肩を支えて、苦しみを分かち合うべき相手と刃を交える事が。何故同じ血肉を分けた者同士で、戦わなければならない。
憎悪に染まったその双眸は今や赤ではなく、濁った琥珀へと変貌している。己が原典を殺して自分こそが本物だと証明する為に、灰髪の少女はその手に暴力を掲げた。
矛盾を晴らす為には本物を殺す以外にない。彼女の中で自分の存在を肯定するには、それしか方法が無いのだ。それこそがクローンに出来る存在証明であり、残った方が本物であるという理屈からくる必然。
しかし、その髪と目の色からして、彼女は既に私とは違う存在として世界に確立してもいる。
「お願いだ、もう誰も殺さないでくれ」
「黙れ!」
私が『私』であるように、彼女もまた『彼女』の筈なのだ。そこに正贋もない、ただ二人の[吸血鬼]というだけ。それが分かっていながら、元が同じだからか――彼女が憎悪と憤怒を滾らせる理由も痛いほどに理解してしまえる。
違う筈が、同じ。
「お前に私の何が分かる……信じていた世界そのものに裏切られたような、この苦しみを……!」
分かる、分かるよ。貴女がそこまで私を憎む心も。息が出来ない程の慟哭も、何十年間にも及ぶ自分の記憶が全て別の誰かの複製だったことも、存在そのものが作られたことも。
『フラン、もう説得は無理だ』
「そ……の女を、その名前で呼ぶなっ!!」
師の言葉にフュンフは目を血走らせて絶叫する。
「師匠、そうだ、師匠だ。どうして今まで忘れてたんだ? なあ師匠、フランは私だ。間違ってもその女じゃない、だよな?」
『……』
「なんで何も言わない……なんで、その女の側に立つんだよ!」
彼女も分かっている筈だった。自分がフランチェスカで無いから、傍に師匠が――グリムガーンがいないことを。
その口ぶりからして、理解していたからこそ無意識に記憶を封じ込めていたのだろう。その事実に気付いてしまえば、自分がクローンであることを認めてしまうから。
そもそも、クローンは未だ不完全の筈だった。彼女以前の《ナンバー》は都合の悪い事に関する記憶が欠落しており、真実に気付けば発狂して壊れてしまっている。
彼女と他のクローンとの違いは、生まれてから過ごした時間だろうか。
自我を確立し、私とは異なる独自の経験を経たことで決定的な破綻を免れたのかも知れない。だからこそ、目の前にある矛盾を解消しようとしている。
「もういい、分かった」
そう言うと同時に、状況が動いた。彼女の諦観が籠もった言葉に釣られるようにして、実験体たちが動き始める。つまり、彼女は私の手を払い除け、悪徳の道へと足を踏み入れたのだ。
「殺せ」
「走れ!」
同時に発された私とフュンフの声に二人は我に返り、弾かれたように駆け出す。
「iiaaaaa!」
「きゃぁああ!?」
それに立ち塞がる異形たちの手が、ソフィアの腕を掴んだ。あのまま実験体の山に彼女を引き摺り込むつもりなのだろう。
私は剣の柄へと手を添えると、小さく息を吸うと膝を曲げて地面を蹴る。そして無抵抗のフュンフの横を通り過ぎ、ソフィアを掴んだ青白い実験体の腕を断ち切る為に刀を抜いた。
「……ごめん」
「iiiiiaaaaa!?!?」
骨を断つ感触と共に腕が宙を舞い、断面から青白い血が噴き出した。
「行って!」
「……ッ、はい!」
自由の身になった彼女はジャックの手に引かれて部屋を脱し、それを実験体たちが追いかける。
私は腕の断面を押さえ悶える実験体がこれ以上苦しまずに済むよう、その首を掻き切り――フュンフへと向き直った。彼女は依然としてその場から動かずに、氷のような表情で私を見下ろしている。
「まあ、人間二人如き別にいい、後で幾らでも殺す機会はある。それよりもお前だ」
「彼女たちも、この国の人も殺させない」
ただ、そう言った彼女にこれ以上の罪を重ねさせない為に私は剣を構える。
フュンフも、それに応じるように腰から[鉄の剣]を抜き放った。その構えは当然のように心剣流を学んだ私と同じで、まるで鏡写しのように二人は向き合う。
「偽善者が、お前には何も救えない。自分自身でさえもな」
「救うさ」
言葉はそこまで。静寂に包まれた部屋の中に、肌をピリピリと刺すような空気が蔓延り始める。どちらからともつかず見合い、そして何の合図もなく戦いは始まった。
彼女にとっては自分の存在証明の、私にとっては自身の生き様の為に――鋼は打ち鳴らされた。
【TIPS】
[星導の懐中時計]
啓蒙の神ヘレーネが
不死の教皇アデムに下賜したと言われる眷属器
所有者の魂を焼き尽くすほどの何かに見舞われようと
その肉体の一部を依り代として完全消滅を防ぐ加護が施されている
24時間に一度、死亡した直後
死亡地点に[不死者の骸]をHP1の状態で出現させる
[不死者の骸]は即座に復活待機状態に移行し
[不死者の骸]のHPを完全回復させることができれば
復活待機状態が解除され死亡判定を無かった事にできる
その場合全ステータスを半減するデバフが付与され
獲得した経験値量に応じて減少ステータスが回復していく