036
様々な備品が乱雑に置かれた部屋の中、青白い光を放つ巨大な装置の目の前に立つ男が一人。
その溶液に満たされたガラスの筒には、一人の少女が浮かんでいた。溶液の中に長い銀髪を漂わせ、生まれたままの姿で膝を抱えて眠っている。体には幾つもの管が巻き付き、顔にも酸素を供給する為の機械が繋がれていた。
「あぁ……」
時折薄っすらと瞼を開いては、微睡む瞳で男――中央研究所第二研究室長であるヘンリー・フォン・サミュエルを見つめてまた眠りにつく。その紅の瞳も然ることながら、少女の幻想的な美しさにサミュエルは惚れ惚れするような調子で溜息を吐いた。
「実験は順調かな、サミュエル卿」
その背後から声が聞こえ、ヘンリーが振り向くと――そこには一目見るだけで分かる、意匠を凝らした服を身に纏った赤毛の男が護衛を連れて立っていた。
「……おや、これはこれはレオナルド皇帝陛下。お越しになられているとは気付きませんで」
「構わんさ、政務の途中で寄っただけだ」
年の頃は二十代後半で、皇族という肩書に違わぬ美しい顔立ちをしており、その身に纏う雰囲気も只人とは一線を画す。十二歳で即位した若き皇帝ということで当時は不安の声もあったが、今のこの帝都の発展具合を見ればそれは杞憂だったというもの。
そんな皇帝に対して些か気安い態度で話すサミュエルに、護衛たちは目を細める。なれど、皇帝本人がそれを是としているため何も言わない。
護衛の一人――金髪を纏めた如何にもキャリアウーマンめいた女性は、『分かってやってんだろお前、もう少し恭しく頭を下げろ』と目線で訴えかけはしているが。
「それより、計画は滞ってはいないか?」
「ええ、ええ。順調でございますよ、その証拠に彼女は肉体の完全復元後、徐々に心拍が基準値に近づいております。殆ど《エーテル》による時間遅延の影響は消え去ってると見ていいでしょう」
「そうか。それにしてもやはり、何度見ても美しいな……。これが純血の吸血鬼、まるで神の遣いのようだ。残った《ナンバー》も同じ外見をしているのか?」
「確認させたところ、確かに他のシリーズとほぼ相違ない外見をしていたと。それと――――圧倒的な力を以て、《グラキニオス》を一撃で倒したようです」
「なんと、あの怪物をか? それは素晴らしい!」
サミュエルの報告にレオナルドは歓喜の声を上げる。それはこの計画の主導者であり、《pandora》に対して並々ならぬ懸想にも近しい感情を抱いている故に当然とも言えた。
「当初の予定通り、協力者を介してじきに此処へとやって来るでしょう」
「……だが、本当にこんな回りくどい方法をする必要があったのか?」
「あれがどのような行動を取るのか、データが必要ですからな。自我を奪えないとなれば、少しやり方を変える必要があるのですよ」
「……詳しい事はよい。それが帝国の発展に繋がるのであれば、何としてでも計画を完遂させろ。もう同じ轍を踏む事は許されないのだ」
「ええ、ええ。分かっておりますとも。全ては皇帝陛下の御心のままに……」
そう言って二人は《Pandora》とプレートに刻まれた装置を見上げ、それぞれの思惑の籠もった目で――水泡に包まれる少女の肢体を見つめた。
◇
「うっ……」
なんだか急に悪寒が……こう、生理的嫌悪を原因とする寒気がゾワッと……。
「風邪引いたかな……?」
吸血鬼が風邪を引くのか分からない――というのは置いておいて、現在私達は協力者のアジトへと辿り着き、そこの代表へと話をしていた。主にソフィアが。
私は黙って要所要所で頷いてただけで、ルークは着いた途端速攻でベッドにダイブしてリビングにはいない。ファールも外で見張りをするとか言っていたので、本当にソフィアが質問攻めに遭っている。
因みにアジトは少し大きめの家屋で、冒険者――メタ的に言うとプレイヤーがギルドハウスにする為用の家を使っているようだ。そこのリビングは大きな暖炉とソファがあり、要はホテルの談話スペースのようなものを想像して貰うと分かりやすい。
まあ、私もさっき退散してきて自室のベッドでゴロゴロしてるんだけどねー。クイーンサイズのベッドに天蓋付きのお姫様仕様、久しぶりのふかふかもふもふに余は満足じゃ。そして下着と寝間着も貸してもらって就寝の備えもバッチリ。
寝間着が薄手のキャミソールで、パンツがかなり気合の入った黒地のレースなのは用意した人間の作為を感じるけど。本当は無地の白が良かった、それかボクサー型。
まあ多分これ、誰かがソフィアさんの為に用意した奴だろうし、本気で文句を言うつもりはない。やけにデザインが大人なのも、そういう理由なら頷けるし。
「……あれ?」
それはそれでアレなのでは……?
よし、万一彼女にこれを着せようとしていた変態がいたとしても――私は知らない。このまま寝よう……。
「……ではなく」
寝る前に、少しこれからの事を考えなくてはならない。
私はベッドから起き上がると縁に腰掛けて、一応得た情報を脳内で整理していく。記憶も情報も欠けている物は一旦置いておいて、手持ちのみで状況を考えよう。
「まず、研究所だよなぁ」
ソフィアさん曰く記憶を取り戻すためには、研究所にある蘇生補助装置的な何かを使用する必要がある。このアジトで製造していた物は無駄な仕様を省いている為、ここでは《エーテル》の活性は不可能。ゆえに、研究所に行くことは絶対だ。
しかし、それから先の事――具体的に《パンドラ計画》に関しては、正直どうするべきか悩んでいる。
地球であれば帝国のしている研究は、生命倫理という明確なラインによって律されてきた。しかし、ここにそんな法律はなく、彼らを縛るものはなにもない。
勝手に細胞を使われたという私的な感情を除けば――悪と言い切るには、あまりにも人々の生活を豊かにしている。帝都を照らしている灯りの四割は既に《エーテル》による魔導エネルギー炉で、それを急に止められて困るのは無辜なる市民たちだ。
それに国家ぐるみの場合は犯罪にならないというは、偉大なる陛下の言であるし……。
「……問題は、軍事転用か」
ただ、そこで問題になるのが、《エーテル》の軍事転用。
少なくとも聞いた限りでは《エーテル》は地球で言う原子力に相当する程のエネルギーであり、それを用いた兵器が開発されれば世界の情勢は一気に変わるだろう。
一応言っておくとルグリア帝国がかなり頭のおかしい技術力を持っているだけで、他の大陸や国は私の知っているAAと差異がない。つまり中世に魔法をプラスした程度の文明ということだ。そこに二十一世紀の兵器と同等のそれを抱えた帝国が殴り込めば――後は察しの通り。
その過程でどれだけの人が死ぬか、仮に帝国が実験と称して他国に爆弾でも落とそうものなら一般人まで巻き込む。
私の細胞から作られたエネルギーが使われるのなら、間接的に人を殺すようなものだ。それを許容してしまえば、あの時誓った言葉が嘘になってしまう。兵器の開発が純粋な悪意以外の理由であれ、絶対に阻止しなければならない。
後は、私が纏う《エーテル》というエネルギー自体についても知るべきだ。神の力と言われているこれは、話を聞いた限りでは《魂の熱量》とよく似た性質をしている。
《魂の熱量》は魔力や生命力に変換ができ、《エーテル》は少なくとも魔力に換えられた。それを鑑みると、《エーテル》も恐らく生命力に換えられる筈であり、つまり現状では《魂の熱量》≒《エーテル》という式になる。
これを=にするか≠にする為には更に情報が必要だ。
メタ的な視点から言えば、AAというゲームの世界観の理解度も重要になってくる。後者は考察が好きだった為問題はないが、ゲームで曖昧にされていた部分がどれだけ現実になったかを知るべきだろう。
【TIPS】
[エーテル]
命ある存在全ての根源に関わる原初の力
神霊を形作る要素でもあり
肉体を持つ生命も魂の内にエーテルを宿している
嘗てはじまりの神は生き物を作った
神は自分の子である証を残すため
自身の血をその魂へ混ぜたという
だからこそ時に目覚める
あるいは元よりそうつくられた者はいる
父である存在の寵愛を
稀なる魂の力を以て、彼らは超越者たるのだ