033
絶体絶命、その言葉が今ほど適任な場面も早々ないだろう。
意識が混濁して動けずにいるルークへと、《グラキニオス》はその巨大な拳を握り固めて振り下ろさんとしていた。既に腕は下方向への移動を開始しており、ここから避ける為の猶予時間はほぼ存在しない。
「死ぬのか……俺……」
痛みと体の痺れで殆ど動けずにいるが、顔だけは降ってくる巨腕を見上げていたルークは呟いた。目の前には手元を離れた拳銃が転がり、それを掴むことすら出来ずにいる。
段々と視界がスローになって、これまでの人生で起きた様々な事を想起した。俗に言う走馬灯という物を見て、整備技師だった男は自分の人生の終わりを悟る。ただ、終わり方はもう少し、選べるものだと思っていた。
(はは……どうせなら、女の胸か太腿に抱かれて死にたかった……)
なれど、女性を庇って死ねたことは誇ってもいい。
(そう言えば、俺って昔からこういう損な事してたよな……)
走馬灯の中で見た記憶は、どれもルークが何かしらの問題に首を突っ込んで――渦中の人間より損を受けているものばかり。
迷子になった友人の飼い犬を探して見つければ噛みつかれ、木に引っ掛かったボールを取れば足を滑らせて落ちた。女性が男に絡まれているのを助けようとすれば、顔を殴られて数針縫う羽目になったこともある。
結婚もして子供も出来たが、色々な事情から3年前に離婚してしまった。幸い整備技師という職は給料払いも良く、娘の養育費を出す事は出来ている。
もし何か不慮の事故でルークが死ねば、貯金は全て娘の為に使うように妻と話し合いもした。だから、ここで死んだとて、何か誰かの人生に影響を与えるわけではない。彼の被る不運や損害は、誰かを不幸にしたことは無かった。
だからこそ、ルーク・ブラウナーは思う。
(俺は、誰かにとって必要な人間だったんだろうか)
人並み以上に誰かに優しくしてきた自覚はある。だが、彼という存在を必要とする人間がいたのか、彼だからこそ救えた人間はいたのか――最後だからか不意にそんな考えが湧いてきた。
腕が迫る、もう殆ど目の前だ。
ルークは目を閉じることなく、自身の死を受け入れて見届ける。あの質量の一撃で死ぬなら一瞬、抵抗さえしなければ恐らく痛みすら感じないだろう。
「――さん!」
ふと、ルークの頭上から女性の声が聞こえた。先程まで聞いていた、ソフィア・クレイシアスのものだった。逃げたのでは無いのか、という考えが浮かぶが、それを口にだす暇もない。所詮は思考が引き伸ばされているだけで、動けるわけではないのだ。
それなのに、視界の端で彼女の姿を捉えた時――ルークは猛烈に死に恐怖を感じた。
死ぬことが怖いのは当たり前だが、そうではない。ここで自分が殺された後、次に狙われるのは誰かという事を考え、怖くなった。
短い間なれど言葉を交わした相手が死ぬ、そう考えただけで胃が軋みを上げて口の中が乾く。目の奥が熱くなり、早く逃げろと叫びだしたくなる。時間稼ぎで自分が死ぬことはどうでもいいが、彼女が死ぬのだけは許容できない。
「ソ―――」
故に、最後の力を振り絞って彼女の顔を見たルークは、その目に宿る力強さを感じて一瞬で恐怖が疑問に変わる。それはどうせ逃げ切れない、などという投げやりな感情ではない。
ルークは一度だけ見た、帝国近衛騎士の御前試合を思い出した。防戦一方だった騎士が起死回生の一撃を見舞う直前に見せた目が――今の彼女のそれと同じだったのだ。
つまり、そういうことだと。
「ジェロニモーーーーーッッ!!」
その強い意志を証明するが如く、一筋の白銀が煌めいた。地下通路へ、《グラキニオス》の頭部へ、白銀の髪を靡かせた少女が凄まじい勢いで飛び蹴りを放ったのだ。
彼女は怪物の頸骨――つまり首の骨を折り、体勢を崩した上で仰向けに転倒させる。そして、空中で回転しながらルークの視界の先へと見事な着地を決めた。
「寝起き一発目だけど、我ながら中々にいい蹴り……」
倒れ伏すルークが見上げた先にいる彼女は――輝いていた。
白くはあるが血色がよく健康的なハリのある肌、そこへ流れる艷やかで限り無く白に近い銀の長髪。カールした長い睫毛に縁取られた瞳は吊り目気味で、真紅と言うべき紅に彩られている。
華奢に見えるが手足には薄っすらと筋肉が張っており、しなやかな四肢とほっそりとした腰回りは最早神の造形物と言って差し支えはない。
そしてなにより、先程の動きだ。
ファールを彷彿とさせる人間離れした挙動に、あの巨体を一撃で地面へと沈めるパワー。少なくともただの人間ではない、明らかに常軌を逸していた。
「えっと、生きてる?」
そんな少女がルークへと話しかけている。思わず一瞬呆けてしまうが、直ぐに我に返ると何とか体を起こした。今の時間で立ち上がれるくらいには回復したらしい。
「ああ、何とかな……」
そう言って壁を支えに立てば、少女はすかさず肩を貸してくれた。しかもそれに驚く暇もなく――――
「とにかく安全な場所へ、少し揺れるけど我慢して」
「えっ、ちょ、何……!?」
彼女はルークを両手で――俗に言うお姫様抱っこの形で抱えると、そのまま穴の空いた天井から一足で地上に飛び出した。その跳躍力もさる事ながら、近くで聞いた声にルークは目を瞠る。
「ソフィアさんでしたっけ、取り敢えず助けて来たよ」
「ああ、ありがとうございます……! 《パンドラ》様!」
やはり、彼女がそうなのだと。
◇
とても、とても長い間眠っていたような気がする。
風邪を引いて意識が朦朧としている状態が延々と続いてたような、現実と夢の境が合間になった感じだった。
思考能力があったわけではなく、断片的に声や映像が流れたり――時折何か痛みが走ることもあった。その原因が何かも分からず、ただ無意識に「痛いなぁ」とか「熱いなぁ」と思っていた。
それで、突然まるで微睡みから揺り戻されるように、私の意識は現実に戻ってきたらしい。らしい、というのも何がどうなっているのか、状況が掴めないのだ。しかし、それでも確かに私は思考能力を取り戻した。
夜特有の冷たい空気が肌を撫で、ゆっくりと目を開く。どうやら膝立ちになっているようで、足からは金属のような感触が伝わってきている。どこかの倉庫のようだが、何故か私の目の前には泣きそうな顔の金髪美女が――――
「いや、どうなってるん……これ」
開口一番に飛び出した言葉に、金髪美女は目を見開く。あれ、もしかして言語が通じないのか。おかしいな、神様とは会話成立したんだが……。
「ん!?」
それよりも、今の私って全裸なのでは? なんか本当に生まれたままの姿で、下着すら穿いてない気がする。ちょっと、これは霊長類ヒト科吸血鬼属として拙くない……?
「えっと、服、服……」
私は立ち上がると慌ててインベントリを開き、初期装備を着込んだ。ステータスは全然上がらないし、下に何も穿いてないけど、取り敢えず今はこれで急場を凌ごう。
「く、[空間収納]の技能…………いえ、今はそれどころでは……!」
「あ、聞き取れた」
どうやら使用している言語が違うということはなく、金髪美女さんはしっかり私に通じる言葉を発した。もしかしたら先程のは、私が喋った事に驚かれてたのかもしれない。
「私の名前はソフィア・クレイシアス、状況が何も飲み込めていないでしょうが、今はそれを差し置いても助けて欲しい人がいます」
「……なんだって?」
彼女――ソフィアの言葉に私は耳聡く反応を返す。今、助けてほしい……と言いましたか? あなた。
「あそこで怪物と戦っている男性を、どうか助けてください!」
彼女の指し示した先は天井の抜けた細い通路で、そこでは手を蟹に換装した筋肉ダルマとしか形容出来ないモンスターと、洒落た革ジャンを着た……日本で言う黒人に良く似た人種の男が戦っていた。
ほう、あの顔は映画とかでモンスターパニックに巻き込まれて、否応無しに戦う羽目になる主人公タイプだな。相棒タイプの面白黒人とは少し趣が違うと私の勘が告げている。そして、二丁拳銃とはいい趣味をしていらっしゃる……ではなく。
誰かが助けを求めているのなら、それに応えないわけにはいかない。
「任せて」
私はそう言って、通路へと空いた穴の縁まで向かう。
あの通路はどうやら地下のようで、地上からは結構な高さがある。そして救助対象は怪物に吹き飛ばされて絶体絶命。
「……普通に降りてたら間に合いそうにないな」
ならここは一つ、移動と攻撃を兼ねた合理的な方法を取ることにしよう――――
【TIPS】
[青き貴血の髪飾り/鎧/手甲/脛当て]
穢れなき吸血鬼の血族が好む女性用の戦装束
種族[吸血鬼]素性[純血]選択した場合、はじめから装備されている
ドレスと一体化したような意匠は
様式美を重んじる彼女たちが尊き身分であることを
戦場であっても示す為のものである
ゆえに見た目のみで性能は低く
彼女たちが重厚な鎧を必要としない
人を超えた存在であることを如実に示しているのだ