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帝都の暗夜を疾駆する人影が三つ。一つは先頭の男に手を引かれ、複雑に入り組んだ路地を駆け抜けていく。そうして人の目を避けながら暫く走った後、三人は倉庫らしき建物の扉を潜った。
「た、助かりました……」
「問題ない、これも依頼内容の一つだ」
足を止めた女性は壁に凭れるように座り込むと、先程まで手を引いていた男――ファールへと礼を告げる。その横ではルークが息も絶え絶えに倒れ込み、新鮮な酸素を吸い込むべく胸を上下させていた。
外では怒号と大人数が駆け回る足音が、段々と遠ざかって行くのが聞こえる。それを確認して、漸くファールも小さく安堵の息を吐いた。
帝都の路地裏で起きた戦いは、ファールが帝国兵を殺すことなく片手であしらい終了した。しかし、その後に現れた増援に三人は逃走を余儀なくされ、背中を追われながらもこうして秘密の通路がある倉庫街へと逃げ込んでいた。
「地下の隠し通路から一番街へ抜けるぞ」
ルークが「まだ走るのか」と言いたげな顔をする中、ファールは息一つ乱すことなく倉庫内にある落とし戸を開く。この倉庫街からは、隣接する倉庫へと繋がる旧道とも呼べる地下通路があった。今は使われなくなって久しく、殆どの人間は通路の存在すら知らない。
「ちょ、待て……待ってくれ!」
なれど、そこへ向かおうとするファールを咎めるためにルークは立ち上がった。二人の顔を見ながら大げさな手振りで動きを制止し、女性の持っていたトランク――――元々ルークの持っていた物――――を拾い上げる。
「そもそもなんだ!? あんたら一体何者だ!?」
「そこの女に雇われた用心棒だ」
「あんたは!? ノリで助けちまったけど、何で帝国兵に追われてたんだよ!?」
色々あったせいか語気の強くなった言葉に、女性は少し怯えを含んだ表情を見せた。それにルークは慌て、敵意がないことを身振りで示す。
「ああいや、別に怒ってるわけじゃなくてな……ただ、どうしてなのかと思って……」
「……多くは話せません。ただ、後ろ暗い理由からでは無いことだけは確かです! 巻き込んでしまったことは謝罪します、助けてくれた事は感謝しています。だから、これ以上何か起きる前にあなたは――」
「いや、それは無理だ」
何故、という顔をする二人に、ファールは腰のポーチから小さな機械を取り出した。そして、そこから流れてくる音声に耳を澄ませ、ルークは露骨に顔を顰めた。
『帝都中央研究所にて同研究員三名を殺害し、研究成果を盗み出したソフィア・クレイシアス元第二研究室副長は依然として逃走中の模様。加えて、協力者と思われる二人の身元が判明しました。協力者は"元"メトロン・アイアンワークス社員である本名ルーク・ブラウナー、傭兵を自称するファール・ノン・ジョーヌと名乗る男性の二人とのことです。現在帝都ではこの事件を受けて魔導列車は全線が運行を――――』
「なんてこった……」
その音声は帝都で流れる情報番組――つまりニュースであり、この情報が正しければルークは既に整備技師として働いていた会社を解雇されたことになる。それと同時に彼女の名前がソフィアであること、あのトランクの中身が帝国の研究する何かであることが分かった。
後者の情報を得たところで、ルークにとっては今この時を以て無職になった事の衝撃の方が大きいが。
「俺たちは既に指名手配されている、下手に動けば捕まるだろうな」
「じゃあ、家には帰れない、のか……?」
仏頂面が横に揺れるのを見て、ルークは力なくその場に膝をついた。
◇
100年前に結界が消滅して以来、廃都ヘルヘイムより発掘された魔法的な力を持つ遺品を専門に研究を行う――帝都中央研究所。その第二研究室へと10年前、新たにとある物、あるいは"者"が運び込まれた。
副長であるソフィアも含めて、研究員たちが見たのは何かの心臓だった。動脈と静脈は半ばから焼け焦げており、一見すると活動を止めた単なる臓器である。なれど、それの異常性は――まだ動いていることにあった。
臓器としては死んでいる筈なのに、おおよそ数分おきに鼓動して存在しない血液を送り出そうとする。その意味の分からなさに、研究員たちは皆首を傾げた。
ただ、調べていく内にその心臓は[吸血鬼]の物と判明し、同時に種族的な要因と――神性を帯びた力によって生き長らえていることが分かった。彼らはその神の力へ新たに《エーテル》と、心臓には《パンドラ》という通称を付けた。
そして、《パンドラ》の存在を知った皇帝によって、とあるプロジェクトが発足される。
《パンドラ》に宿る神なる力を解明し――――新しいエネルギーに転用するという計画だ。神の力を人の手で制御するという行為、そして《パンドラ》自体の扱いに対する倫理観の欠如から反対する研究員も多かったが、結局プロジェクトは遂行された。
しかして、すぐに《エーテル》が《魔力》へと変換出来る上に、後者とは比較にならない力を持つことが分かり、《パンドラ》から採取した細胞を培養した複製品によるエネルギー炉が造られていった。
今や魔導列車に用いられる動力、都市を照らす光、人々が使う魔道具、その全てに《エーテル》は用いられている。だが、そんな凄まじい《パンドラ》と《エーテル》の力は、皇帝に欲を掻かせた。軍事転用することで『大陸を征服する力すらも手に入れられるのでは』と、思わせてしまったのだ。
オリジナルを完全な形で復活させ、複製品以上の出力を持つエネルギー源――兵器として利用する。そんな非人道的な計画を立案し、あまつさえその大部分を第二研究室が請け負う事になった。
これに反対したのが研究室副長のソフィア・クレイシアス。彼女はかねてより《パンドラ》に対する扱いの改善を求め、私欲を得る為の実験行為をやめるように室長に進言している。それはつまり――《パンドラ》の開放を求めていたのだが、当然皇帝が是とするわけがない。
研究所でのソフィアの立場は危うくなり、そして彼女を取り残して《パンドラ》復活計画は最終段階に移行した。血液から精製した特殊な薬品を使う事で、[吸血鬼]に備わる再生能力を極限まで高め、肉体を復活させる――――
「――――その直前、私は"彼女"の心臓と蘇生薬のアンプルを持ち出しました」
ソフィア本人から語られた話を聞いたルークは、表現し難い感情を顔に浮かべていた。
「いや、だから追われてたっても……そんな事が……」
現在三人は倉庫の地下に続く旧道を歩いており、「何故追われているのか」というルークの問いに対してソフィアが真実を語っていたところ。ルークはあまりの話の内容に、途中から目が死んでいた。
「それに彼女? そいつは女なのか?」
「はい、こうして心臓の近くにいると、時々女性の声が聞こえるんです。私はそれが彼女の声ではないかと……って、何でそんなおかしなものを見る目をしているんですか!?」
明らかに異常者を見るような目のルークに、ソフィアは声を荒げる。それを前方で聞いていたファールは何も言わないが、明らかに鬱陶し気に肩を竦めた。
「第一、その心臓の持ち主だってどういう奴か分かってないんだろ? それを持ち出して……もしヤバい奴だったらどうするんだよ」
「そ、その時は……その時です!」
ルークは呆れ顔で額に手を置いた。
まさか助けた相手がここまで見通しの無い人間だったとか、仮にも研究者ならもう少し考えてから動くべきだろうとか、そういう事を考えつつも巻き込まれた事に再度後悔を感じる。
「……で、俺たちは何処へ向かってるんだ? 用心棒さんよ」
もうこの話をしていると悲しくなってきたルークがファールへと話を振ると、愛想のない用心棒は大柄な整備技師を一瞥して鼻を鳴らした。
「協力者のアジトだ。彼女と同じ理由で、政府をクビになった連中の集う場所がある」
俺は元々そこから依頼された――と付け加え、ファールは地下のトンネルめいた空間を遮る瓦礫を退けた。ところどころ陥落している箇所が見受けられるここは、どうやら長い間放置されて修繕もされていないらしい。
そして、人の手が入っていないということは――
「《硝喰らい》!?」
人以外が住み着いていてもおかしくはないと言うこと。
通路の先にある元は道だったであろう断層から、小型の結晶を纏った魔物が降ってくる。
二足歩行の蜥蜴のような外見に、顔の中心に据えられた単眼。帝国領内では地下道や砂地に多く生息するそれが、およそ10体程の群れを成してルークたちへ明らかに敵意を向けていた。
【TIPS】
[廃退の都市ヘルヘイム]
イルウェトの王サリヴァーンに与した魔族たちの都市
嘗ての面影を失った都は悪徳の神の手に落ち
亡者と穢れた存在の巣窟と成り果てた
その玉座の間には、竜の尾を持つ亡霊が佇むと言われている