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002

 耳鳴りと自身の内側で鼓動する音だけが聞こえる。上がった体温と外気の差に寒気と熱気が同居し、血液の脈動すら分かるほど感覚は鋭敏になっていた。だがそれも次第に収まり、静かな灰色の世界に色彩と音が戻り始める。


「どうなって……るんだ」


 掌の擦り剥けた皮膚と血を見た後、私は走り続けた。途中の記憶が飛んでいてどこをどう走ったかは定かではないが、背後にはもう巨大な魔物の影はない。多分逃げ切れた、そう思っても暫く走るのを止められなかった。


 安全だと気付いた瞬間から滝のように汗がぶわりと噴き出し、まるで頭から水を被った様な状態になっている。


 確かにここはオンラインゲーム、VRによる仮想現実空間の筈だった。それが何故、どういう理屈で痛みを感じたか分からない。間違っても現実だなんて嫌な想像は認めたくはなかった。


「……じゃあ、なんで汗を掻く。なんで足が痛い、なんで心臓の音が聞こえる!?」


 走る足を止めたら止めたで、私は意味のわからない状況に半狂乱になって叫んだ。


「なんだよこれ、なんなんだよ! 私は……俺はゲームをしてたはずだろ! それがどうしてこうなった、ここはどこだ!?」


 一歩間違えればあの魔物にキルされていて、しかもそれが痛みを伴うものかも知れないと思っただけで背筋が凍る。ここが夢でもどこでも、痛いのは嫌だ。


 私はひとしきり叫んだ後、今ので魔物を呼び寄せてしまったかもしれないと思い、慌ててまた走りだした。暫く走って廃墟を見つけると立ち止まり、周囲に何もいないことを確認するとその場に倒れ込む。汗を吸ってベタついた衣服に砂が付くが、今はそんなことどうでもいい。


「……ありえん」


 仰のいた私の目に映るのは、赤黒く染まった空と雲。現実じゃあり得ない景色で、ここはゲームのはずで、私は何故か生身であろうアバターの体でここにいる。


 慣れ親しんだ姿を借りて、それで心臓を動かし呼吸をしているのだ。にわかに信じ難いし、明晰夢のほうがまだ説得力がある。もし仮にこれが現実だとしたら、何が原因で起きた事態なのかわからない。


 そういうラノベとかアニメとか見たことあるが、実際に似たような状況に陥ってもあそこまで冷静に対応出来ないことだけは分かった。さては……本当にそういう名目の悪戯かなにかで、どこかに仕込んだカメラの向こうで仕掛け人が笑っているのではないだろうか?


「タチが悪いけど、誰かの悪ふざけのほうが何倍もマシだ」


 私は苦々しい表情でそう呟き、目を閉じる。


 そこでふと、ここでもう一度眠りに落ちればきっと現実世界で目を覚ますに違いないと思いついた。これは夢で、今も私の体は自室のベッドに横たわっているだけかもしれない。


「これは夢だこれは夢だこれは夢だ……」


 普通に考えて今の状況で寝るとか無防備過ぎて頭狂ってると思うが、この時の私はそれを考えられるほど精神状態がまともではなかった。それにどうせなら眠っている間に死んだ方がいいとか、多分そういうことを考えていたんだと思う。







 眠りが浅い代わりにどこでも寝れる体質のお陰か、すぐに意識を手放した。


「……」


 それから眠っていたのは数秒か数分か、または数時間かもしれない。浮上した意識が眠気に後ろ髪を引かれながらも体を起こすと、体を支えた掌にざらりと砂の感触がして気が遠くなった。確かに眠ったというのに、私はまだこの赤い世界にいる。


 つまり、寝ても覚めない夢を見ていない限り、ここが限りなく現実である可能性が高くなったということ。


「なんなんだ、もう……」


 不貞腐れて誰にも向けることの出来ない怒りを吐き出し立ち上がる。ここが夢じゃなかったのはアレだが、少し横になったお陰で頭は幾らかスッキリとした。精神的にはまだ大丈夫。ギリギリ、うん。


 まずは少しでも情報を得るために取り敢えずこの廃墟を調べることにしよう。絶望するのはまだ早い、そういうのはもっと追い詰められてからで十分だ。


「ここは、砦か?」


 単なる廃墟だと思っていたのは、よく見ると砦のようだった。


 ゲーム内でも砦は多数登場し、城塞戦と呼ばれるマルチレイドや、攻城戦というpvpのコンテンツでAAOプレイヤーにはお馴染みの建築物である。しかし、この砦は四方にある塔は半ばまで崩壊し、屋根も崩れてその機能が完全に失われている。


「うげぇ……本物だ……」


 辛うじて門があったらしき場所を潜ると中は更に悲惨で、瓦礫の山とそして白骨の死体が至る所に転がっていた。頭蓋の形状から見るに、種族は人間、魔族、その他魔物と雑多。過去にここで人類と魔族との戦いが合ったことを沈黙の中で示していた。


 魔族は私の[吸血鬼]も含めた人型種族の呼称で、基本的に人間と敵対している者が魔族と呼ばれ、友好的な種は亜人と呼ばれ人類として扱われている。


 しかし魔族にせよ人間にせよ、死体なんて初めて見たので正直気分は最悪。今すぐにでも引き返したいところではあるが、何かこのエリアに関する情報があるかもしれないので大人しく探索を始める。


 手前の二つの塔へと続く階段は、瓦礫に塞がれて通れないようだ。行けそうなのは中央の部屋へと続く道と、奥にある二つの塔。それと中心から左右に一つずつある部屋だけだろう。


「うわっ!?」


 足元に気を付けて扉の前まで行き、取っ手を引くと開くより先に崩れてしまった。老朽化というよりかは、元々壊れていたのだろう。私は破損して壁に刺さっていたのを引っ張って抜いただけだ。


 そうして中央にある部屋へと入るが、まあ……ここだけ無事なわけがない。昔は会議などにも使ったのであろう部屋は荒れ果て、至る所に血痕と壊れた剣や鎧が散乱している。私はその様子に顔を顰めて元来た道へと戻り、別の場所を探すことにした。


 入り口から見て奥の二つの塔にも登ったが、途中にある休憩室らしき部屋でも死体がそれぞれ一つずつ。屋上は見張りの為のスペースのようで、右奥の塔では二人分の死体が覆いかぶさるように倒れていた。下にいる方の死体が剣を持って、それが上の死体の肋骨に刺さっている。


「共倒れ……かな」


 死んだ理由まで分かるようなその光景に、一体ここで何があったのか余計に気になり始める。


 AAOの世界では人間と魔族同士の小競り合いこそあるが、プレイヤーが関わるストーリー上で大規模な戦争が起きたことはない。一応歴史年表として本編開始時点から二百年前に《人魔大戦》という大きな戦争が起き、そこで双方が多大な損害を受けて戦争は終結。それ以降は不干渉を徹底しており、魔族の国との表立ったイベントは殆ど存在しなかった。


 今後実装される予定があるというか、プロデューサーのインタビューでは『いずれどこかでこの話についても決着はつけたい』と言っていたので構想はあるにはあるんだろう。


「しかし、魔族と砦での戦闘なんてメインクエにもサブクエにも無かったよな……」


 もしあるのなら、暇に飽かしてサブクエストに分類されるものを全部やった私が知らないはずがない。だが――――この異質な環境のエリアと、魔族との抗争の痕跡。これらを合わせて考えると、少しだけ見えてくるものがある。


「ここは魔王の国かそれに準ずるどこかか?」


 二年前に追加された新マップに、《ルグリア》という名前のエリアがある。そこは魔族の故郷のことを研究している民が住んでいる土地で、侵入可能レベルがその辺りの進行度と比較して結構緩いのだが、それを鵜呑みにしてやってくると出鱈目に強い魔物に殺されるのだ。


「私も一回初見殺しされたっけな……」


 やっと開放されたエリアに喜んで飛び込んだ数秒後、全く見たことのない魔物に殺されてマイハウスでリスポーンしたのはいい思い出である……いや、やっぱ悪い。そのせいでレアアイテムをロストしたので、暫く泣きながら別のエリアに籠もる羽目になったし……。


 と、話が脱線したが、とにかくここはルグリアに少し似ている。あそこも空は紫色だったし、何か関係があってもおかしくはないだろう。


「あとは左右の部屋を探すか」


 ん~……周りに誰もいない状況なので、どうしても自分を落ち着かせる為に無意識で独り言を口にしてしまう。まあでも多分みんなそう、本当に独りになったらこうなるんだよ。……ほんまか?


 増えた独り言に辟易としつつも左右の部屋を調べた結果、右は厨房で左は兵士の仮眠室と倉庫だったことが辛うじて分かった。倉庫は色々無事な物資が詰まっていたが、今の私に必要な物はあんまりない。それよりも、厨房で少し気になるものを見つけていた。


 元々敷かれていた絨毯が燃やされ、その下に置いてあった石畳も破壊された更に下に木の扉があったのだ。


「木だけに気になるって……いや、やめておこう」


 あまりの孤独にとんでもないことを口走りそうにあったのを自制心で咎める。扉を開けると真下へ続く穴が現れ、その壁伝いに縄梯子も吊るされていた。


 降りる降りないか一瞬の迷いもあったが、私は降りてみることにした。ここに生きている生物の痕跡は見当たらないし、もしかするとどこか別の場所に通じているかもしれない。一応深さを調べるのと、何か下にいた時の為にその辺にあった石を穴へと投げ込んでみる。


 落下していく石はすぐにカツン、という音を響かせてそれっきり穴の奥には静寂が戻った。どうやら何かいる様子もないし、深さもそれほどでもないようだ。


 梯子へ足を掛けて降り始めると、暗闇の中の景色がはっきりとし始める。これは吸血鬼の種族特性で、暗闇での視界ボーナスが得られるというもの。まるで暗視スコープを付けたような感じで視界は良好、光源アイテムを持ち歩かなくても問題ない吸血鬼の良い所が出たな。


「む」


 梯子を降りきって地面に足をつけると、壁に掛かっていたランタンへと勝手に火が灯った。プレイヤーが立ち入ることを条件に照明がつくタイプのエリアは多々あるのでそれに関して驚きはしなかったが、何故この厨房の地下がそのエリアになってるんだろうか?


 疑問を抱きつつも、まるで誘い込むように奥へと続く通路を少し進むと小部屋に出た。小部屋にあったのはベッドが一つと本棚に小さな机と椅子、それに壁へと凭れ掛かるようにして大柄な骸が座していた。


(……もうなんか、白骨死体見ただけじゃ驚かなくなってきた)


 まるで隠れ家のような趣の部屋であり、上と違って争った形跡は無い。代わりと言ってはなんだが、机の上には植物紙で作られた本が開いたまま置かれている。恐らくあそこで眠る名前も知らぬ誰かの持ち物だろう。


「失礼します」


 一応そう断りを入れてから本を覗き込む。開かれていたのはページの半ばのようで、書いてある文字は日本語ではないのに不思議と読めた。まるで字幕が表示されるように、文字を視界にいれるとどういう意味なのかが分かる。


 取り敢えず斜め読みしてみると、筆者がこの地下の小部屋を何かの記録を残すために作ったらしいことが分かった。


『八十■日目 連中は■を探している、我が魔王様の■■所を知っていると思って■■う■。奴らは魔王様さえ倒せばこの戦争が終わると信じている。しかし、それは大きな過ちである、も■仮に魔王■の居場所が分かったとてどうにもならない。奴らは我々の背後に何がいるかも知らな――――』


 一部抜粋してみたが、どうやら彼は戦争をしていた時代の生まれらしい。その後の文字は汚れて読めない。


『二百三十三■目 ■リューベルの砦が陥落したとの■せを■けた。我々もすでに引き下がれない所まで来ているが連中も同じ。これ以上進行し、もしこの砦が落ちるよ■■ことがあればそこで全てが■わる。背後からは■■が、前からは人類が、最早我らの命運もここまでだろう』


 そして人類の敵――――即ち魔族であり、それなりに上の立場にあってここで指揮を取っていた……のかな? ここが魔族にとって最後の砦であり、落とされれば負けてしまうことを語っている。相変わらず虫食いが酷く、破けて読めない部分が多い。


 しかし公式設定では戦争は痛み分けに終わり、どちらが明確な勝者かは記されていない。この日記と砦の惨状がどういうものなのか、今の私にはちょっと分からないな。情報が足りないし、そもそも戦争の勝敗はどうでもよかったりする。


「んむぅ……収穫はあんまりかなぁ?」


 そうして私が本を閉じて机に置いたと同時に、


『誰だ貴様』


 背後から何者かの声が聞こえた。







【TIPS】


[人魔大戦]


ゲーム開始時点から二百年前に人類と魔族による起きた戦争を人魔大戦と呼び、ストーリー内でも度々言及されている。


[魔物]


AAOでは邪神の作り出した生命体とされる。動物とは分類上別の生き物として扱われ、生殖行為での繁殖以外でも自然発生することが確認されている。人魔大戦時点で魔族は魔物による軍隊を有していた。

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