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 余韻のない目覚めだった。


 意識が覚醒すると同時に、全身を包む圧迫感と激痛に晒される。


 目の前には頭の無い汚泥の怪物、そして満身創痍の私の体。どうやら蘇生直後に目を覚ましたらしいが、相変わらず逃れようのない死に体を掴まれている。


「う……」


『フラン!』


 背後で聞こえる師匠の声に返事をしている程元気も余裕もない。ただ、なんの勝算も無く戻ってきたわけでもない。


 もしこれがゲームシステムを基にした現実なら、"とあるアイテム"が奴にも機能する筈だ。殆ど賭けだが、運が良ければ私の勝ちが確定する。


 あの場所で誓った言葉を反故にしないためにも、私は勝ちに来たのだ。


 邪悪を滅し、悪意に散った人々の無念を晴らす。大好きなゲームの世界に救いを求められたのなら、全力で以て応えるのが私の信念だ。


 HPが全損するまであと20%、些かハードモードが過ぎるがやってやれないことはない。


 痛みに軋む体を捩り、腕が動くかを確認する。掴まれているのは巻き込まれた右腕と下半身で、左腕はなんとか自由に操れた。これなら問題はない。腕を持ち上げ、宙へと辿々しい動作で文字を描く。


 依然として半壊した巨人は私を握ったままだが、行動を妨害されることはなかった。


 指先がその軌跡を繋げると、魔法陣を展開しながらインターフェイスが呼び出された。私は迷わず【Item】のタブを開き、種類順に整頓されたインベントリの左上へと目を走らせる。


「……あった」


 薄い紫色の液体が入った、装飾華美な瓶を見つけてそれを指で長押し。更に右へと詳細なタブが表示されるので、そこからポップ位置を目の前の《汚泥の巨人》へと変更し――――直後になにもない宙空へ瓶が出現した。


「……頼む」


 重力に従って落下したそれは巨人の体へと接触すると、泥の中へと沈み込んでいく。


 それからすぐ、異変は起きた。


「ォォオオ……!?」


 突然巨人が動揺を顕に声を上げ、体を締め付ける手の力が弱まった。


 それを見た私は、すぐさま右腕で微かに生まれた空間を押し広げて抜け出す。


 ずるり、下へと降りると、煙を上げて再生を始めた体を転がすように後方へと距離を取る。それから開きっぱなしのインベントリから、更に血液の入った瓶を二つ取り出した。


 一本を直ぐに飲み干して少しづつ力が戻って来ているのを確認しつつ、息継ぎの合間にサーチを発動。そこに見えた[Lv.1]という数値を見て、賭けに勝った事を悟った。


『フラン、今……何をした? 《朽ちぬ者》が苦しんでおる』


「そりゃいきなり"レベルが下がれば"そうなるよ」


 私が使ったのは、プレイヤーのレベルを下げる[レベルリセットポーション]。


 この世界でプレイヤーとNPCの差異が、一体どういう扱いになったのかは分からなかった。しかし、ここが現実である以上、どちらも同じ世界に生きる存在だ。私にだけ[レベルリセットポーション]が有効だと考えるよりも、全てのアイテムが誰にでも使用可能であると考えた方が現実味がある。


 まあ、殆ど賭けだったわけだが、これでプレイヤー専用アイテムが誰にでも効くという事が証明された。


『ともかく、無事で良かった……』


「一回死んだけどね」


 安堵の声を上げる師匠に私は苦笑を漏らし、もう一本の瓶詰めの血を飲み干す。


 これで形勢は完全に逆転、レベル1になった《汚泥の巨人》は最早紙粘土以下の雑魚だ。残る一つの核を破壊するのも容易い。


 ただ、あの状態の相手を倒した際は、やはり経験値も減っているのだろうか? この期に及んで欲張る気はないが、純粋にその辺りも仕組みも気になるのだ。


 と、私が一瞬そんな事を考えていた時――――




『困るな、そのようなことをされると』




「……ッ!?」


 身の毛もよだつような、悍ましい声音が部屋へと響いた。


 何処から聞こえているのか分からない。しかし、それは確かに私へと向けて放たれた言葉だった。


 まるで、この世の悪意を煮詰めたような、音の波紋が耳朶に触れただけで吐き気を催す何かの声。


 そして、その直後から下げた筈の《汚泥の巨人》のレベルが急速に上がり始めたのだ。まるでデジタル時計の早送りのようで、明らかに常軌を逸した光景に思わず絶句する。


「――――いや」


 動揺している暇はない。


 私は信念を貫く為にここにいる、何が起きようと勝つ。心剣流の意思を継ぎ、師匠の思いを糧に力を他者の為に振るう。


「今ここで、この一撃で仕留めるッ!」


 刀を構え、未だレベルが上がり続ける《汚泥の巨人》へと駆け出した。一歩踏み込む毎に、何処からか力が湧いてくる。体が背中に翼が生えたように軽い。


『来るぞ……!』


 師の声に前方を見れば、振り上げられた巨人の豪腕が私へと叩きつけられんとしている。それを紙一重で避けると、更に強く地面を踏み込む。


 その時、私を後押しするように背中に手が添えられた感覚がした。


 隣を見れば、オーラのような実体のない煙が右手に剣を持ち、左手に旗槍を掲げる精悍な男の姿を形作った。勇猛で、信念に満ち溢れた若い男の横顔だ。


 それは、ポリゴンとして見たことは幾度かあった――剣の神の姿だった。


 義を通し、邪悪を切り裂く者。


 掲げた御旗は弱者を救う、秩序の印。


 炎纏いし剣は、世を照らす。


「剣神テイルロード、私に力を! さすれば――その剣となり邪を滅し、その御旗となり人々を救おう!」

 

 そう叫ぶと、剣神は一瞬私を見て笑ったように見えた。


『行け』


 そして、一度だけ少し無愛想な男の声が聞こえた途端、体の内側で何かが解き放たれた。凄まじい熱を感じる。力が無尽蔵に湧いて出て、今なら何でも出来そうな気がした。


 姿勢を低くして飛び込んだ私を見下げる巨人の動きが酷く緩慢に思える。


 振り抜かんとしている刀の刃文の一つ一つが鮮明に見え、世界から音と色彩が遠ざかっていく。忘我の型に入ったのだとなんとなく理解した。


 最後の一歩を踏み込み、


『行けええぇーーーッ!』


 聞こえた最愛の師の声にもう一度背中を押される。


「うおぉぉぉーーッッ!!」


 無意識に声を張り上げて、汚泥の怪物と体が交錯する。


 刃が触れ、その身を裂いた。


 剣を握る手に柔らかい水を含んだ何かとは違う、硬質な物体の感触が伝わった。抵抗なく――抵抗を許さずそれを一分のズレもなく切り抜け、速度の乗った体を足裏でブレーキを掛ける。


 一秒、一分、十秒、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。しかし、唐突に背後で何かが崩れ落ちる音がした。それからカラン、と石のような何かの転がる音が鳴った。


 ゆっくりと振り向けば、そこには地面へと染みを作る泥の痕跡と、黒曜の心臓とも言うべき小さな黒い塊が落ちている。直後、レベルアップを告げる疲労感の消失が起き、私はそこでやっと敵を倒したのだと頭で理解した。


「勝った――――」








『――――とでも思っているのか?』


 心臓を冷たい手で撫でられたような悪寒が走る。


 二度目のその声は、歪んだ愉悦を帯びていた。他者を嘲り、嗤い、見下す者の声だ。その声に思わず手から武器を取り落し、最悪の想像が頭を過る。


 RPGではラスボスだと思っていた相手を倒した後、本当の黒幕が姿を表す事はお約束な展開だ。それまで達成感に浸っていたプレイヤーが、HPもMPも枯渇した状態での連戦に絶望の底に叩きつけられる。場合によっては、それが熱い展開であることも当然認めよう。


 だが、


『我が眷属を屠った事、称賛に値する。実に良いものを見させて貰った、見世物としては最高だったよ』


 現実ではどうだ?


 理不尽な劣勢を覆して辛くも勝利し、その相手が単なる黒幕の尖兵だと知ったら? 今私に話しかけている人物との圧倒的なまでの格の違いを、声だけで理解してしまったのならどうだ?


「あ――」


 体の震えが止まらない、歯の根が合わずにカチカチと鳴る。


 今のが単なるボス前の雑魚戦で、それで全てのリソースを使い切った私が勝てる道理は無い。それどころか、そもそも同じ戦いの土俵に立っているのかすらも怪しい。


『お礼に、苦痛なき死を与えてやろう。慈悲深き計らいに感謝することだ』


 逃げなければ、今度こそ逃げなければ殺される。これは戦って勝つとか負けるとかの次元の話ではない。ここで死なない事が今私が出来る最善だ。


 私は殆どノータイムで体を反転させて、階段へと走り出す。


『では、逝け――』


 その直後、背後から凄まじい熱量が膨れ上がるのを感じた。原因が何なのかは分からない、確認もできなかった。


 ただ、意識が途――――



 




 神聖歴1015年。


 この日、一部の人々にとって衝撃的な事件が起きた。


 封じられた大地イルウェト及びヘルヘイム。結界に閉ざされて凡そ200年、その大地を監視していた一人の男は塔の最上部で驚愕に目を剥いていた。その口は呆然と開かれ、思わず手に持っていたコップをその場に落とすほどに。


「な――――」


 緋色の大地に根ざした球形の半透明な膜が、まるで泡が破れるかのように消えていっていた。空に正常な色が戻り、雲が空気の流れで動き始めている。


 


  男の名はトム。イルウェトに隣接する人間国家、ルグリアの兵士だ。100年前に結界が展開されて以来、この異常な規模の結界を観測する為に監視塔が作られ、そして有事に備えて精強な兵士が選抜されて監視にあたっている。


 しかし、トムはこの監視塔に配属されてから30年が経つが、結界が揺らぐどころか一切の変化を観測することはなかった。


 万が一この結界を超えて魔物がやってくれば――――如何に軍事力に優れるルグリアと言えど――――ここへ詰めている兵士だけでは壊滅もあり得た。故に、何もないことは良いことであり、これからもそうある筈だったのだ。


 そしてここに配属される兵士たちの間で有名な話として『数十年に一度だけ結界の境で人影を見る』という噂がある。


 生まれつき【鷹の目】というスキルを持っていた兵士はある時、白銀の長い髪を持った少女を見たと言う。人型の蜥蜴(とかげ)のような魔物を追い回し、その首を刎ねていた、と。


 この結界の内部には百年前の戦争で用いられた、外の世界とは比較にもならない凶悪な魔物がひしめき合い、たとえ歴戦の戦士であっても泣いて逃げ帰るような地獄だ。そんな場所に人が居るはずない。もしいたとすれば、それもまた魔物かなにかだと、皆で笑い飛ばした。


 そう、全てはただ暇に飽かした兵士たちの噂話で、これからも――――少なくとも男が退役するまでは結界に何ら問題が起こる事は無い筈だった。





 しかしこの日、彼らは目撃する。


「は…………」


 解けていく結界の粒子が光を反射して虹色に輝くのを、トムはただ呆然と見ていた。その階下でも全員が目を瞠り、封印されし土地が開放されていくのを見つめている。


「結界が、解けて……」


 結界の消滅。


 100年間解けなかった結界が、突然消滅した。





 ――――この日を境に、世界は激動の時代へと突入していく。

ここを区切りに0章は終了、結界が解けた理由やフランがどうなったかは次章で明かされる予定です。ここまでお付き合い頂いた読者の皆様には感謝を、これからも拙作を宜しくお願い致します。

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[一言] 師匠、あんた消えるのか?
[一言] フラン!大丈夫なのかな?
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