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027

 気付けばあれだけ凍えそうだった体の寒気も、抗いがたい眠気も消えていた。


 その代わりに手足の、体の感覚がない。まるで夢の中にいるような、ふわふわとした浮遊感がある。


 視界は黒一色に染まっていて、それが時折水の中に絵の具を垂らしたように濃淡を変えて蠢いていた。声は……出せない、本当に意識だけがこの場にあるようだ。


 ここはどこだろう? 私は、死んだのだろうか?


 トロンの眷属と戦っていた時までしか記憶がない。あの後どうなった? まだ蘇生の権利は使っていないはずだ。また生き返ってすぐに死んだ?


 状況は何一つ分からないけど、なんか……ひたすらに負けたのが悔しいな。戦いの中で色々と思ったけど、師匠の言葉を無視して戦うだけの理由があったからこそ、負けたくなかった。


 そんな時、ふと目の前の暗闇が歪んで一人の人間が姿を現した。イギリス人に良く似た、茶髪で茶色のスーツを着た若い男の人だ。靴はなぜかコンバース、目が大きくて人懐っこい印象を受ける。


「こんにちは、伊藤春樹くん……いや、今はフランチェスカか」


 彼は一度笑みを浮かべてから俺の、私の名前を呼んだ。


 しかしながら、返事をしようにも今の私には声が出せない。なんとか意思疎通を図ろうとするも、手足の感覚すらなくてどうにもならなかった。


「ああ、そういう事か。ほら、これで喋れるかな」


「あ、声が……」


 それを察した彼が一度指を鳴らすと、不意に喉と口の感覚が戻ってくる。それ以外はさっぱりだが、とにかく喋れるようになった。


「……ここは何処なんですか、それにあなたは?」


「ここはヴォイドと呼ばれる虚無の空間。そして僕は虚無の王、認識し難き概念の神」


 言ってしまえば世界を構築する概念の一部、と笑う彼に、私はただ愕然とすることしか出来なかった。と言うか、いきなり話が大きすぎる。


「それで、察しの通りキミは今一度死んで、放っておけば数秒後には生き返るって時に生と死の狭間の世界――つまり何もない場所にキミの意識は落っこちて来た」


 どうやら蘇生の権利はまだ使っていなかったようだ。一応それに関しては安心だが、生き返ったとてまた殺されるのがオチだろう。


 それでも、やはり生きたいという気持ちは強い。目の前に死の概念そのものが立っていようと、その思いは揺らぐことはなかった。私は生きて、結界の外に出るために戦ってきたのだから。


「キミは特殊だ、一人であるのと同時に二つの存在を併せ持っている。まるで、二つの繋がった目玉焼きみたいにね」

 

 彼――神様はそう言って、空中に目玉焼きの幻影を生み出して笑った。それは、きっと伊藤春樹とフランチェスカという二つの顔を持っている、ということを指しているのだろう。


「……一つ聞こう。フラン、キミはここに来る直前まで、トロンの眷属と戦っていたね」


「はい」


 私は彼の問いに素直に頷いた。


 それを受けて彼は少し考える素振りを見せ、小さな溜息を吐く。


「戦って勝てる相手じゃなかった筈なのに、どうして死ぬまで逃げなかったんだい?」


 すると、今度は私が考え込まされてしまった。


 死ぬ必要があったのか否か、それは私が命を賭けてまで戦う意味があったの、かということだろう。そして、それは多分――――




「必要は、無かったと思います。ただ……あそこで逃げたら駄目な気がしました」




 こういう答えになる。


 事実として、私があのトロンの眷属と戦わなければいけない理由は存在しない。逃げても誰に責められることもないし、戦わずとも結界は解除出来る。


「では何故、トロンの眷属と矛を交えた」


 そこで彼は先程までの雰囲気から、何処か重々しい厳かな空気へと装いを変えた。いや、こちらが本当の顔なのかもしれない。


「何というか、理屈じゃないん……ですけど、()()()()()()()()()()()()と思いました」


 考えながら話していて、私は既に答えが自分の中にあったことに気付いた。師匠からの宿題も、私がどう生きたいかも、何故あの時逃げなかったかも――――





「私は前世で、沢山の人に迷惑を掛けて生きてきました。色々と問題を抱えて、親や友人に対する申し訳無さとか、柵もあって、自分の人生を生きるのに必死で……なにも出来ずにいたんです」


 前世では生まれつきの問題のせいで人生の半分を殆ど無為に過ごした。その間両親には迷惑を掛け続けたし、社会復帰してからも大変な事が多く、恩返しとかそういう事が考えられなかった。


 誰かの為に生きる事も――――


「今、少しだけですけど私は力を得ました。師匠に助けられて、だから……きっと今度はもっと良い形で他人の人生に関われると思うんです」


 私は誰の助けも借りずに強くなったわけではない。師匠がいたから剣術を身に着けて、強くなって、そして此処にこうして立っている。


 ならば私もまたそれを継ぐべきだと思うのだ。前世で出来なかった分、今生では受けた恩は返したい。そして、そんな優しい人達に助けられた私が、今度は別の困っている誰かを助けてあげたい。


「師の剣は、義の剣。誰かを守るための力で、それを私のところで留めてしまいたくはありません」


 師匠は信念を持って剣を振るえと言っていた。心に一振りの鋼を宿し、誰かを守り救うための剣。その流れを私で止めて、淀ませることは恩義に反する。


「脈々と継がれて来た彼らの意志を蔑ろにすることになる、その価値を貶めることになる」


 そんな事をすれば、先達たちの心が無かったものにされてしまう、覚悟が安くなってしまう。ずっと人々を守って来た彼らの想いはそんな事で消していいものではない。


 あそこで逃げれば、きっと私は恩知らずになってしまった。


 トロンの悪意に――汚泥の邪悪な手によって死んでいった人々に背を向けるというのは、つまりそういうことになる。




―――力を得る為に剣を振るうのではない。得た力で何を為すか




「然らば、私は受け継いだ力を善きことの為に使うべきだ」


「それが答えか」

 

 神様の言葉に、私は鷹揚と頷きを返した。


 これが私の気持ちで、この世界で私がどう生きるかの答えだ。


「その結果に死という結末が待っていようとも、だな?」


「はい」


「好みの返答だ」


 神様は笑って、スーツのポケットへと手を突っ込む。


「実は、少しばかり困った事がある。キミなら分かると思うが、あの世界は普通じゃない。人々の認識が形を成し、存在を確立したものだ」


「想像が現実になった、ということですか?」


「概ねはね。事象とは認識して初めて存在を確立する。故に誰かが仮想現実空間に生み出されたアナザーアルカディアという世界を現実だと認識した瞬間に――――それは本物になった」


 人間の認識一つで、新しく世界が生まれたんだよ、と神様は付け加える。


 ありえないような話だが、実際にゲームと酷似した世界で生きてきた私は頷かざるを得なかった。あれは紛れもない現実だ。


「しかし、足りない。プレイヤーと言う存在が欠落したままでは世界として不十分だ。この意味が分かるかい?」


 その問いかけに、私は直ぐに答えを見つける。


「世界にいるのは悪役だけ、それを退治する主人公がいないと……バランスが取れない」


「そうだ、今はまだゲームが始まる前の時間軸だから良いものを、もし主人公不在で《Another・Arcadia・Online》が始まったら? ゲームじゃそんなことありえないが、現実であれば間違いなく――世界は滅ぶ」


「まさか、私はだから――――」


 そこで、私はある一つの可能性に行き着いて目を瞠った。先程の言葉をよく理解すれば、直ぐにでも思い至ることだが……恐ろしい事実だ。


「理解が早いね、キミの考えている通りこの不具合を修正する為に世界は主人公を、AAOプレイヤーたちをこの世界に引きずり込んだ。キミが本編より前にやって来たのは、僕にも理由が分からないけど」


 神様の顔を見て、私の頭の中ではいろいろな考えが巡っていた。


 殆ど拉致同然に異世界へと連れてこられたこと、その結果にかなり酷い目に遭ったこと。死にかけたり、実際死んでこうしていること。元の世界の人生を、途中で投げ出さなければならなかったこと。


 ただ、それでも多分二つの人生を合わせても、今が一番頑張って生きていたと思える。


「キミが望めば、僕はここでキミの人生を終わらせる事ができる。システムから生まれた輪廻の神とは言え、再び地球で新たな生を授かれるようにすることくらいは可能だ。勿論記憶も自我も消してね」


「拒否すれば?」


「地獄だ。設定になぞって、トロンの眷属はキミを汚泥の怪物へと変える。下手をすれば永遠に死ぬことも出来ず、邪悪に心を支配される地獄を味わい続けるかもしれない」


 ああ、そう言えば《朽ちぬ者》は殺した相手を同じ汚泥の化け物に変える――なんて設定があったっけか。それなら、より一層私の選択肢はひとつに絞られる。


「このままあの世界に戻ります」


「ま、そう言うと思ってたよ。だからこの話をしたんだし」


 彼の言う通り、報われるか分からない戦いだ。戻ったところでまた犬死する可能性だってある。その結果地獄を見るなら、ここで終わっておいた方がいいのかもしれない。


 色々と並べる御託はある。


 だが、


「お願いだ、僕たちを――この世界の人々を助けてくれ」


 誰かに助けを求められたのなら、逃げることなんて出来ない。私はそう在ると決めたから、力を困っている人の為に使うと決めたから。


「はい」


 私はただそうとだけ言って、笑ってみせた。


「――――この力を、人々の安寧の為に使うと誓います。無辜なる人々から死を遠ざけ、善くある事を。この身滅びるまで、信念を以て邪悪を払う事を」




 もう二度と、誰も悲しみで泣かないように。



 無念の内にその生命を落とさぬように。



 部屋の隅で蹲り、世界に絶望した者へと手を差し伸べられるように。




「ありがとう」



 最後に神様がそう言って、私の意識は再び途絶えた。

前話で「何故汚泥の巨人が死ななかったのか分かりづらい」とのコメントを頂きましたが、普通に作者のガバです。


「二体が合体したんやから当然核も二つあるやろ!」とか考えて書いてたのに、本文に載せなかった作者のガバです。27話の更新日の夜に加筆してます、本当に申し訳ない。

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