019
「私は、お前を……殺すんだ」
ベヒモスは人の言葉を正しく理解するほど賢いのだ。
もしかすると、彼の主が二度と帰って来ないことはなんとなく分かっていたのかも知れない。
それを私に突き付けられ、現実を認識して感情が抑えきれず暴れてしまった。それが今では受け入れて、私に倒されたことをむしろ誇るようなそんな感情さえ伺わせる。受け入れて、その先を私に委ねたのだ。
「お前は、なんで、そんな悟ったような顔が出来るんだ。殺されるんだぞ、これから」
思わず声が震えて、これ以上腕を動かせない。
死にたくないからと、生き汚く足掻く私が馬鹿に見える。どうしてそんなに潔く相手を認められるんだ、お前は。それだけ強いのに、私なんかに生殺与奪の権利を委ねていいわけないだろ。
殺すだなんて言っておきながらまるで、まるで私が本当は――――
「いや、そういうことか」
とうとう私は、持っていた刃こぼれの酷い剣をその場に置いた。
「……?」
ベヒモスはそれで動き出すわけでもなく、あからさまに訝しみを籠めた目で私を見ている。尚もその目に映る私は、頬から透明な液体が伝っていた。
「ごめん」
何に向けて謝ったのかは分からない。
ベヒモスに残酷な真実を告げたことか、死を受け入れた相手を直前で殺せなかったことか。ここまで強くしてくれた師匠に申し訳なかったのかもしれない。いずれにせよ、私は戦意を喪失してしまった。
『フラン』
「師匠……私、こいつだけは殺せそうにないよ。狡いかな? 一匹だけ特別扱いは」
『そうか』
頭の中がぐちゃぐちゃになって、何が最適解なのかわからなくなってしまった。これから沢山の魔物を殺して行かなければならないのに、ちょっと情に絆されたからと見逃すなんて――――矛盾している。
しかし、師匠はそんな私の選択をただ、肯定してくれた。
『それもまた、一つの答えだ』
「……答え?」
『見ろ、あやつも既に戦意を解いている。一体見逃した程度で結界の解除に支障は出ん。貴様が殺したくないならそれでいい』
師匠の言葉は少し違和感があったが、それ以上に私の心はとても軽くなった。誰かに許してもらったようで、石を飲んだように重かった下腹部が楽になっていく。
「……ベヒモス、私はお前を殺さない」
「ガルッ」
ベヒモスはまるで返事をするようにそう鳴くと、大きな舌で私の体を舐め上げた。
「うわっ!?」
ザラリとした肌が削られるような感触に驚いて尻餅を着くと、背後で珍しく師匠の笑い声が聞こえた。えっと、一体何がどうなってんの……?
『クハハハ! どうやら認められたようだな。貴様の立場はそやつの主人と同等ということよ』
「私が、こいつに……?」
確かに尻尾が左右に揺れているし、その目にも敵意ではなく好意が籠められているように見える。
でもさっきまで殺し合いをした仲で懐かれたってそれ……まさか、もしかして、テイムできてしまったのか!? いや、可能性としてはありえない話ではない、あくまで可能性としてはだが。
テイムは魔物と戦って勝つのが第一条件だ。その上で隠しパラメーターのカルマ値や、魅力などの数値で確率が決まる。戦って勝つというのが殺さずに無力化と言う意味であるならば成功しているし、コイツとは肉体言語で語り合った。
それが成功確率に関わったとすれば、テイム出来ていてもおかしくは――――
「絶対おかしい……」
『おかしくとも、このまま放置というわけにも行くまい』
すっかり剣呑な雰囲気が消えて落ち着いた中、師匠にそう言われて私は小さく唸った。
上を見上げれば大人しく座り込んだ犬のような牛のような、近くで見るとより一層厳しい顔がジッと私を覗き込んでいる。取り敢えず当初の目的である武器庫への到達は叶ったので、別にもうベヒモスに関わる必要は無いのだが……。
かと言って、一度主人に置いてけぼりを食らった相手を放置するのもまた違う気がする。
「テイム、かぁ……」
AAOにおけるテイムは、戦闘時に自動でプレイヤーと共に戦ってくれる[ペット]を捕獲することを指す。その他オークションや交配など入手方法は多々あるが、大抵のプレイヤーは戦闘でテイムするのが普通だ。この場合ベヒモスは『仲間にしてほしそうにこちらを見ている』状態であり、ペットにするかどうかは私に選ぶ権利がある。
「……ん」
そう言えば――――ペットと言えば、"桶丸さん"という名前のプレイヤーがいたな。
桶丸さんは私の所属していたギルドのメンバーで、無類のモンスターマニア。魔物をテイムし育てることに心血を注ぎ、集めた魔物で牧場を作っていたりした。AAOで一番始めに魔物の交配に成功したプレイヤーで、その界隈で知らぬ者がいないほどの有名プレイヤーの内の一人である。
特定の魔物の組み合わせで交配させると、生まれてくる子供がテイム不可のボスモンスターになるのを発見したり、交配先の魔物に特殊なアビリティを継承させる方法だったり、毛色を変化させる方法だったりと、ペットの育成や交配に関しては最も貢献していると言っていい。
逆に言うとペットシステム以外に興味がなく、プレイヤーの強さを示すランキング系統には一切載らなかった。それでも強力な魔物をテイムする為に自身の強化は怠らなかったので、多分[召喚士]として戦えば、PvPでもPvEでも相当いい線行ったはずだ。
そして今ここに桶丸さんがいれば「こんな魔物見たこと無い!」とか言って涎垂らしながら喜ぶだろう。
ベヒモスはもう確実に桶丸さんのお眼鏡に叶う強さと、そしてビジュアルをしている。彼、こう……露骨に怪物している魔物が好きだったから……。
うん、そう考えるとゲーム時代と違って、今の私はテイムしているペットがゼロなんだよな。
昔のお気に入りだった"朱雀"――――火喰い鳥と黄泉鳥という魔物をテイムしてきて、桶丸さんに交配してもらった――――とか、黄竜と聖鹿の配合種である白い麒麟……索冥とか全部いなくなっちゃったんだ。
なら、確かにここでベヒモスをテイムするのは、戦力強化という面で言えば最適ではある。私の心情を抜きにすれば――だが。
「……来る?」
「ガルッ!」
「ん」
しかし相手方が相当乗り気なので、ここでお祈り申し上げしたら私が空気読めない奴みたいだ。乗りかかった船ではないが、途中で放り出すのも気が引ける。
ここは特にデメリットもないし、ペットにしてしまおうか。私よりレベルが高いって言うのが、なんかちょっと複雑だけど……。
「そうだな……黒堂、お前の名前は黒堂だ」
「グルアッ!」
私がベヒモスに黒堂という名を付けると、その体が淡い金の泡になって宙に溶けていく。代わりに、私の眼前へと琥珀色の宝石が嵌め込まれた腕輪が降ってきた。これがテイム成功の証だ。この腕輪を装備していればいつでも黒堂を呼び出せる。
試しに左腕に装備して念じてみると、黒い竜巻のような物が生まれ、それが徐々に巨大な獣の形を成して黒堂が召喚された。そして戻すときは、一瞬でまた光の粒になって消える。この巨体が何処に消えたのかと言えば、この宝石の中が一つの世界になっており、ペットは普段そこで暮らしている……という設定らしい。
勿論地上に放し飼いもできるが、連れ歩くにはこれが一番便利である。
「これでもう、お前は一人じゃない」
私がそう言うと、喜びを表すかのように宝石が明滅した。
【TIPS】
[テイム]
エネミーに分類されるNPCと戦闘になった場合、特定の条件を満たすことで従属させる事ができる。一般的にエネミーよりもレベルが高いとテイム率が上がると言われているが、プレイヤーのレベルがエネミーよりも100以上低い状態で力を示した場合にもテイム率は大幅に上昇する。