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017

 荒野の平地で熱烈に見つめ合う私とベヒモス。圧倒的強者の醸し出す重圧に、その金色の眼光はこちらの体を縫い止めるかの如く一点を()めつけている。


「グガッ、グガッ!」


 しかし、その威圧感とは裏腹にベヒモスは一歩たりともその場を動こうとはしなかった。私が一歩、二歩と後退っても距離を詰める様子すら伺えない。なら逆にと、ベヒモスへ向かって歩いた途端、奴も威嚇するような声を上げて前脚を踏み出した。


『妙だな。それにあやつの姿、どこかで……』


 私にはその行動の意味が分からなかった。既に私が格下であることを奴も理解している筈が、何故一息に襲ってこない? まるで私が近づかなければ襲う気が無いような、そんな雰囲気すら感じさせる。


 では今度はもう少し近づいて見ようと、大股で前へ歩を進めると……ベヒモスは咆哮を上げて飛びついて来た。


「うひゃっ!」


 慌てて後ろへと飛び退くと、その鋭利な鉤爪の付いた前腕がつい数拍前に私の立っていた大地を抉る。まともに喰らっていれば恐らく、上半身を骨ごと叩き潰されていただろう。おっかねえ。


 そうして再び距離を離した私をベヒモスは追撃して来る事なく、また同じように向かい合って睨みを利かせている。


「ふむ……」


 私があの時――――レベル1でも逃げ切れた理由がこれで分かった。やはりこのベヒモスに、逃げる相手を攻撃する意思はないのだ。


 この距離感なら襲われないのが分かったし、もう少し観察したい。



 まず、あいつは砦を背にして、私達を近づけまいとしているように見える。あそこが縄張りだとすると、そこに入ってきた生き物を無差別に追い払っているだけか、もしくは何か大事な物を守っているか……。


 横へスライドするようにして動けば、ベヒモスも私の対面に絶対付いてくる。次は砦を避けるようにしてここを通り抜ける素振りを見せると……おや、反応しない。視線だけはこちらへ向けたまま、素通りさせてくれそうな雰囲気だ。


 つまり、あの砦に奴が守りたい何かがあるのは確定した。だが一体何を守っている? 子育て中の母ベヒモスだったりしたらちょっとアレだけど、あそこは旧魔王軍の武器庫だぞ。


「魔王軍……?」


『おい、小娘。我も一つ思い出した事がある』


 私は師匠と顔を見合わせるともう一度ベヒモスを良く観察し、あるものを見つけた。


 ベヒモスの首には半ばから千切られた鎖と、そこに続く巨大な首輪が嵌められている。ゲームの時の思考でそういうデザインの魔物だと思っていたが、現実的に考えるとアレは誰かが嵌めたものだ。つまり、野生ではなく飼い主か、それに準じる者がいたということ。


 そして奴が守るのは魔王の軍勢が戦争の時に用いた施設。ここまで来れば流石に私でも理解できる。


「あいつは、元魔王軍のペットか何かだな」


『ああ、恐らく獣魔大隊にて運用される予定だった、戦闘用に訓練された魔物だ。我も報告だけは受けていたが、実戦投入される前に戦争は終わってしまったからな。魔獣を管理する者がいなくなり、野生化して棲み着いたのだろう』


「それにしては軍の施設にご執心のようだけど?」


『詳細はわからん……が、懐柔された魔物は主人に忠実ゆえ、最後に受けた命令を守っておる可能性がある。例えば武器庫を守れ、などの単純な命令ならば有り得んことはない』


 成程、さしずめ外敵から軍の施設を守る為の番犬ってところか。


 主人は……多分死んでるだろうけど、ベヒモスは忠実に命令を守り続けている。無闇に侵入者を殺そうとはしなかったのも、下された命令が"守れ"というものだったのだろう。恐らく奴はただ、本当にここを守りたいだけなのだ。


 そう思うと、なんだか急に倒すのが心苦しくなったぞ? いや、現状だと殺されるのはこっちなんだけどさ。


「でも、私にも事情がある。はいそうですかって、引き返せない」


『そうだな……奴がそうであるならば、今の貴様でも出来ることが一つだけある。試すか?』


 師匠の言葉に私は無言で頷く。


 不可能でないというだけで十分。可能であるならば、成功率など自分でいくらでも高められるのだ。


『奴が人語を解する前提での話だが、事実を伝えろ。戦争が終わり、最早貴様の役目も終わったのだとな。我らの言葉が理解出来るならば、命令はそこで終了される』


「終了した後、私達を襲う可能性は?」


『恐らく次の命令が下されるまで何もせん、少なくとも我の知っている獣魔大隊の魔物たちはそうであった』


 師匠の提示した作戦は即ち『言葉による説得』であった。魔物の中でも獣系に分類される獣魔は賢い種が多く、中には完璧に人の言葉を理解する個体も存在する。最もヒトが手懐け易い魔物であり、ゲームでもテイムというシステムで魔物をペットにすることが出来たが、獣魔は軒並みテイムのハードルが低かった。


「分かった、やってみるよ」


『無茶はするな、無理だと思ったら逃げればいい』

 

 それならばもしかすると、戦わずして私の言葉が通じる可能性はある。当然危険は伴うだろうが、正面から殺り合うよりかはマシだ。この作戦が通用したら元魔王軍の師匠には悪いけど、場合によっては無抵抗のベヒモスを殺すことになるだろう。


 結界の解除条件が曖昧な現状、この地に存在する全ての魔物を殺すのが一番手っ取り早いのだ。ならば、ここで見逃したとて、いずれ殺し合う羽目になる可能性は高い。絶対に楽に殺せる時に殺した方が良いに決まっている。


 私は呼吸を整えると、徐にベヒモスへと歩き出した。


「ガルルルッ……!」


 それに露骨に威嚇の唸り声を上げ、ベヒモスは姿勢を低くして戦闘態勢を取った。私もできるだけ自然体に努めてはいるが、いつでも回避出来るように注意を張り巡らせている。正直あの巨体にあのレベル、少しでも攻撃が掠めただけでHPがどれだけ削られるか……。


 私の見立てではHPが三分の一減っただけでも気絶か四肢欠損、半分で戦闘不能、残り一割ともなれば既に死が確定していると言っても過言ではない。


「聞いてくれ、もうお前の主はいない」


「グオオォオ!」


「戦争は終わって、お前の役目も終わったんだ。もう武器庫を守る必要はない、分かるか?」


 まずは静かに言い聞かせるようにそう伝えると、ベヒモスは咆哮した。地を震わせ、その強大な前脚を私へと叩きつけてくる。が、威嚇が目的なのか速度もあまりなく、私は特に苦労すること無くそれを回避した。


「ガルゥア!!」


 次いで角を薙ぎ払うように振り回すが、それも私を後退させる為の行動のようだ。


「魔王軍は滅んだ、武器庫にはもう誰も襲って来ない。お前がそこを守っていても、誰も喜ばないんだよ」


「グゥ……」


 少し語気を強めた途端、ベヒモスは何か怯んだように後退った。これは、師匠の読み通り私の言葉が通じていると思っていいだろう。ならば、ここで一気に畳み掛ける。


「お前はもう自由で、何も縛られずに生きることが出来る。誰も命令なんてしない、自分の意思で生きていいんだ」


 私が一歩足を前に踏み出す度、ベヒモスは一歩後退していく。


「そうだ、お前が守っている物はもう価値が無くて、何の意味もない」


 体を縮まらせ、最早敵意を向けることすらしなくなった。


 まさかここまで上手くいくとは思わなかったが、それならそれで別にいい。 


 後は完璧に大人しくさせてから、武器庫を物色させて貰って……ベヒモスは殺す。私は善人でも、動物愛護の精神に満ちあふれているわけでもない。


 魔物に善悪の判断などの概念は無いだろうけど、この場合悪いのは私。ベヒモスは、私の勝手な事情に巻き込まれて殺される。ベヒモスの主人が戦争という国の事情に巻き込まれたように。


「お前の主人は死んだ、(しがらみ)はもう無い、自由だ。自由なんだよ、お前は」


「――――」


 はっきりと、濁すこと無くそういった瞬間、明らかにベヒモスの目に動揺が浮かんだ。私はそれを見て、何か勘違いをしているのでは無いかという気持ちになった。


 目の前の存在に対する自由という言葉を、どこかで履き違えたような気がする。


 なんだ、何を間違えた?


「グ……オォォォォオオォォッッ!!!」


「……ッ!?」


 その答えは――――直ぐに示された。


 今までの威嚇とは違う絶叫と呼ぶに等しい咆哮がベヒモスの喉から放たれ、大気を震わせる。


「ガッ……グオッ、ヴオォォォォオオオォォッ!!」


 獣の慟哭だった。


 私の目に映る琥珀色の瞳に透明な雫が浮かぶ。滔々と流れる涙がその体を伝って、地面へと滴り落ちる。その姿を見て、私は酷く心が痛んだ。


 この咆哮はベヒモスの心の叫びだ。


「な――――」 


 ベヒモスは泣いていた。


「お前、泣いてるのか」


 あらん限りの声を喉から震わせ、透明な心の血を流しながら悲しみに憂い泣いていた。


 それを見て、私は悟った。


 ベヒモスは主が死んだということに対して泣いているのだと。主が好きだったからか、自分の存在意義を失ったからか。涙の本当の意味は分からないが、その悲しみだけは苦しいほど伝わってくる。


 彼は、孤独だ――――


 少し消えかかっていた記憶が鮮明になる。


 暗い部屋の中、蹲る自分。ジャージの裾の解れ。伸びた爪と髪、挙動不審な視線。居心地のいい掃き溜め、焦燥感だけが募る朝の9時。早くなる鼓動、詰まる呼吸。思い出す、緩慢な終焉に身を漬けかけたあの日々。


 孤独で、誰も助けてくれないと思っていた。自分という存在の必要は無く、世界が回る事を知った。他人の人生に、自分がいない事を知った。知った、そうだ、俺は必要なかった。必要とされなかった。


 この獣も必要とされていない。いなくてもいい存在、誰も求めていない存在。




――――貴様は死ぬなよ


 


「……っ! 違うな、違う」


 この世界で私を見てくれた人がいる。前世でも、あの終わりかけた六帖から引っ張り上げてくれた人がいた。私が今ここに立っているのは、まだ終わっていないからだ。


「ごめん、何も知らずに分かったようなこと言った」


 危うく勝手に相手を無価値だと決めつけるところだった。そんなもの、失礼にも程がある。ベヒモスは必要とされたからここにいるのだ。きっと、彼にしか出来ないことだから、託されたのだ。


 それでも、彼の事情が分かって尚、私は私の勝手を押し通す。その命を奪うことで恨まれようとも、私には成し遂げなければならない事がある。だから――――


「やろうか、正々堂々」


 正面から向き合うことで、侮辱の償いとさせてほしい。







【TIPS】


[ベヒモス]


魔人族国家イルウェトが使役していた魔獣。草食性で知能は高いが、純粋な闘争本能から他の魔物を襲うことが多々ある。力による上下の関係を示すと驚く程従順になり、一度敗北した相手には逆らわなくなる。尚、当該固体の主人(オーナー)は魔族に与した人間種であり、個人的にこの[ベヒモス]を使役していた。

ネタバレという程でもない情報開示ですが、ベヒモスの185というレベルは戦時中でも規格外でした。それを使役するには当然ベヒモスよりも強い必要があります。そしてこの世界の人々は[鍛錬値]やステータスシステムを熟知していません。

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