015
無秩序に、雪崩のように迫るスライムの肉体の合間にある隙間を縫うように体を動かす。そうして今までで一番完璧であろう足運びで攻撃を躱すと、剣が紅く淡く光り輝いた。視界の端でそれを確認した私は、下段から剣を振り上げる。
直後、今までにない手応えと共にその緑色の体が削り取られ、宙空で肉片が消滅した。
[ブラッド・ソウル]はオンとオフを切り替えるタイプのスキルで、『発動時最大HPの3分の1が減少』『発動中被ダメージ1.3倍』『敵の攻撃を回避した後1秒以内に放った攻撃は対象の防御力の70%でダメージ計算を行う』スキルだ。
AAOでは同種の別ツリーにある[ファランクス・ソウル]が『HPと防御力を上げ、通常攻撃の威力が0.8倍になる代わりに全てのWSのダメージを1.2倍する』のでそちらの採用率が高かった。つまり、私は結局HPを犠牲に通常攻撃を強化する枝――――分岐を選んだ。
正直に言えばWS型の分岐を選んだ方が安定しただろう。しかし、このレベル差を鑑みて、私はよりダメージの多い方がいいと判断した。
レベル80前後のスライムのHPは大体2000から3000、これを削り切るには[斬空波]を少なくともおよそ70回から100回撃たなければならない。しかし当然私のMPには限界があり、半分も削れれば御の字という程度。そしてWPが使えなくなると通常攻撃しかなくなるだろうが、そこで0.8倍という数字が効いてくる。
その状態の通常攻撃で与えられるダメージは10程度、もしかするともっと低いかも知れない。そうなれば自ずと交戦時間も増え、被弾の可能性が上がる。
なら、相手の攻撃は全部避けて、強化された私の攻撃を全部当てた方がいい。最初から被弾しない前提で戦えば、支払う対価など無いも同然。最強の理論だ。
『小娘の攻撃力ではなく、貴様の肉体を脆弱にしているのだ。如何に軟体生物と言えど、これは効いたろう?』
カウンター時の[ブラッド・ソウル]で強化された通常攻撃は、大体25から40の乱数でダメージが入っている。全体で見ると決して多くはないが、ダメージが入ったという事実に――――腹の底から形容し難い熱のような物が湧き上がって来た。
今まで感じていた肩の痛みが消え失せ、代わりに高揚感が全身を支配する。
なんだこの感情は、まるでこれは……。
「痛いか? 痛いだろ、私がお前に与えた傷だ」
苦しみ藻掻くように身を捩らせたスライムが、再度その凶器とも言える肉体を私へと向ける。なれど、よく"観察"すればその動きは単純にして単調、今の私のAGIと組手で鍛えた立ち回りであれば辛うじて見切れないほどではない。寧ろ、師匠の動きに比べれば遅く見えるほどだ。
質量に物を言わせたのしかかりと、予備動作のある範囲攻撃など一度見てしまえば避けられる。
AAOにはもっとえげつない攻撃を連続して仕掛けてきたボスだっているんだ。即死級の全体範囲攻撃の回避猶予が6Fしか無いとかいう、運営の悪意がこれでもかと詰まったボスと戦い勝ってきた私が、こんなフィールドエネミー如きに負けるわけにはいかない。
「見える――」
暴れのたうつ緑色の波をステップで避け、再度カウンターを叩き込む。回避判定はシビアで、少しでも遅れれば私が死ぬだろう。
しかし、どういうわけか今の私は非常に冷静で、敵の攻撃を間近で捉えても動揺はなかった。それよりもこの紙一重の戦闘に、無意識に口角が釣り上がって笑みを抑えきれない。何が楽しいのか分からないが、とにかく我慢しないと大声で笑いだしてしまいそうだ。
脳内麻薬が出過ぎて、おかしくなってしまったのだろうか?
「らぁ!」
眼球に擦れるのでは無いかという程の距離で、粘ついた液体が掠めて睫毛を焦がす。私はお返しとばかりに体を抉り取り、辺りに腐臭を纏う肉片が飛び散った。ついでにもう一撃、今の攻撃の勢いを利用して空中で回転しながら剣を叩き込む。
『……動きを見切り、攻撃の手数を増やす余裕まで作ったか』
スライムの動きが然程早くないというのもあり、カウンターの前後にも数度攻撃することが出来るようになってきた。
50回程攻撃し、もう半分ほどHPを削った辺りで、スライムはその体積を最初の半分以下にまで縮めていた。まだ倒すには至っていないとは言え、ここまで縮めば攻撃範囲も小さくなって余裕……。
「ッ!?」
とは行かない。
小さくなったことで動きが速くなり、私の頬へと酸を纏ったスライムの肉が掠めた。まだだ、ここで油断してはいけない。スライムを完全に倒すには、その身の核となる部分を破壊する必要があるのだ。先程までは大きすぎて視認すら出来なかったが、今ならそこへ届きうるだろう。
俊敏性を得たスライムが、這うというよりも跳ねるように飛びかかって来るのを避け、また少し肉を削り取る。その先に透明な球体があるのを確認すると、私は渾身の力を籠めてそこへ剣を打ち付けた。
「届かない……!」
しかし、やはり通常攻撃では核に届くことすら出来ず、危うく剣を持って行かれかけた。疲労が蓄積されてきたのか、動きも鈍くなってきている。このまま戦いを長引かせるのは少し拙いだろう。
『核は頑丈だ、カウンターに重撃を合わせて確実に破壊しろ』
丁度同じことを考えていた師匠の言う通り、次の攻撃で狙うはカウンターで威力を増した[重撃]込みの一撃。その為に今までのように浅い切込みではなく、中心に届く程深く飛び込まなければならない。恐らく全力で攻撃出来るのは次が最後だ、それを逃せば泥沼化する。
最もいい一撃を叩き込めるタイミングを待ち、そして数度の交錯の後にそれはやって来た。
「そこだ!」
上から落下して来るスライムの横を抜けるように回避し、[重撃]を発動。刀身が白く輝き、打ち返すような形で剣を振り抜く。硬い水を切っているような感触がし、それから硬質な核へと剣先が触れた瞬間――――刀身が半ばから崩壊する形で折れた。
「なっ――」
『くっ……剣の方が耐えられんかったか……!』
鍛えられた鉄は幾度にも渡る酸との接触で限界が来ていたのだ。一方、核は若干の亀裂が入ったのみで未だ健在。攻撃の術を失った私は一瞬呆けたものの、本能的に次の行動を起こしていた。
ここで、ここで終わらせる。私は負けるわけにはいかないのだ。
「舐……めるなぁぁぁっ!!」
『小娘!?』
左腕をスライムの体に突っ込み、核を手で掴むとあらん限りの力で以てそれを粘体の表皮の下まで手繰り寄せる。酸の体に包まれた腕は骨まで焼け爛れ、一瞬気が遠くなるほどの痛みに襲われたが、唇を強く噛んで意識を保った。
「重、撃!」
そして折れた剣を振り上げると、薄皮一枚隔てた向かいにある核へ向けて、その歪に変形した刃の切っ先を突き立てる。
「斬……空、波ッ!」
亀裂へと刺さった剣から更に追い打ちのように斬撃が放たれ……一度大きくヒビが広がった後、核は粉々に砕け散った。それと同時に目の前でスライムを構成していた粘体が蒸発していき、数秒後には完璧に消えてなくなってしまった。
「がっ……はぁ、はぁ……はぁ……」
勝った、核を破壊出来た。私は、勝った。
グチャグチャになった腕と無残な剣の成れの果てを見て、どれだけ苦戦したかを理解しつつも勝ったことに途轍もない感慨が湧いてくる。60以上もあったレベルの差を覆して、この地獄のような場所で私は生きて、勝つことが出来たのだ。たった一度、スライムを相手にだが私は地獄に打ち勝った。
それが何よりも嬉しくて、痛みも忘れて空を仰ぐ。
「勝った、勝ったよ師匠」
『ああ、貴様の勝ちだ。フラン』
師匠の声に次いでレベルアップを告げる疲労感の消失に、私は堪えきれなくなって勝利の咆哮を上げた。それはもう、周囲に魔物が居るかもしれないとか、そんなこともお構いなしに。
今日、この世界に来てから一番、努力が報われた気がした。
【TIPS】
[スタンス・スキル]
スキルツリーの分岐ごとにある特徴に則した永続的な効果を持つスキル。基本的にメリットとデメリットが存在し、[ブラッド・ソウル]は攻撃に特化した代わりに防御を捨てたスタンス・スキルになっている。