012
女性らしさと強さは両立するか否か。
それは非常に難しい問題ではあるが、私は両立すると思っている。
世界に偉人として名を残した女性は数多くおり、特に私の尊敬するローザ・パークス、ヘレン・ケラー、そしてマザー・テレサ、この三人以外にも彼女たちは女性的な部分を持ちつつも男に負けぬ強かさを持っていた。
「つまり、淑女としてありつつ、強くなりたいのは当然の考えというわけだ」
『……そうか、何故それを我に言うかはさておき、いい心がけだとは思うぞ』
あれから私は仕草の矯正を行い、一応師匠に問題ないと言われるまでにはすることが出来たが、常に意識していなければまだ時々ボロが出る。これも長い目で見て自然に行えるようになるまで、じっくりと時間を掛けて直していく必要があるだろう。
「それじゃあ今日も宜しく頼む、師匠」
『ああ、分かっておる』
当然剣の方も手は抜かず、依然としてハイペースで鍛錬を続けている。
最近は一々剣の角度や軌道を意識して振らなくてもよくなり、動きにも大分余裕が出てきた。成長の速度としては、今までで一番早く伸びていると思う。もしかするとどこかでコツようなものを掴んだのかもしれない。
定跡も次第に増え始め、師匠の行動にも付いていけることが多くなった。
元より相手の行動は見えていたのだが、自分の体の動きを意識して、思考と同調させるように扱えるようになったのが大きいと思っている。頭と体のギャップが段々なくなり、『頭で次はこう動きたいと思ってるのに、体がまだ直前に指示した動きをしている』といったすれ違いがなくなったのだ。
結果として回避や防御が間に合わない事態が減って、余計に体を動かすこともなくなっている。
『今日は粘るな、まだ一度も死んでないではないか』
「私だって成長しているんだっ!」
攻撃の後隙に伸びてくる師匠の手を、しっかりとステップで回避。その動きの流れでフェイントを混ぜながら剣を振り、まるで演舞のような攻防を繰り返す。
これまでで死なずに組手をした最長記録が一週間前の二十五分で、あと数分耐え凌げば今日その記録を更新できそうだ。焦って攻撃を繰り返したり油断さえしなければ、だが。
『甘いわっ!』
「あっ……!?」
案の定記録更新という欲に一瞬気の逸れた瞬間を狙われ、額へダメージのないデコピンが飛んでくる。それを受けて私はその場に尻もちを着き、乱れた呼吸のまま眼前に立つ師匠を見上げた。
『はぁ……どうせ貴様のことだから、記録の更新でも狙っておったのだろう。目先の目標を立てる事もいいが、それで集中を欠いては本末転倒だぞ』
「お、仰るとおりで……」
何故バレたのかはさておき、集中さえしていればそれなり戦えるようになったのは確かだ。これなら、そろそろ計画を進めてもいい頃合いかもしれない。勿論剣術の稽古は続けるが、いい加減この地下でやるのも窮屈になって来た。
「……師匠、一つ聞きたいことがある」
『む、なんだ?』
「前に言ってたスライムの件だけど」
『スライムか、それならばそろそろこの辺りを通ってもおかしくはない時期だな。しかし何故そのようなことを……いや、そういうことか、貴様はそうであったな』
「はい」
師匠は私の考えを察したのか、それ以上はなにも言わず再び構えを取る。私も起き上がって剣を構えると、どちらからともなく再び稽古が再開された。日に日に鋭くなる空を切る刃の音と呼吸音だけがその場に響き、ただ剣を振る事だけに意識が集約される。
気付けばとうに先程の倍の時間が過ぎており、それでも私の気が逸れることはなかった。師匠もいつものようにダメ出しをするでもなく、ただ私の剣と真摯に向き合っていてくれた。それが無性に心地よく、自然と笑みが溢れる。この孤独な世界で、語らずとも自分を見てくれる人がいることに安心した。
そうして何時間が過ぎたのかも分からないある瞬間、突然私の視界から色彩が消えた。世界が灰色になり、逆に視界に映る物の一つ一つの輪郭がはっきりと認識出来る。私が欲しい情報――――相手の動きだとか視線だとか――――以外が削ぎ落とされたかのようだ。
『ようやく"入った"か』
なにが起きたのかは理解出来ないが、それでも自分が酷く冷静なことだけは分かった。以前よりも師匠の動きはよく見えるし、行動の一つ一つのリズムが手に取るように分かる。何時間も続いた組手の中で、今が最高のコンディションだった。
下段から振り上げた剣を潜るように抜けてくる師匠の動きに合わせ、軸足を使って時計回りに体をずらす。そのままステップを踏み上段を振り下ろし、避けられることを前提に刀身を切り返した。
『これは……』
師匠が剣先から逃れるように大きく仰け反ったの見て、間髪を入れずに袈裟斬りの一撃を放つ。それを半歩横に動くことで避け、私の喉へと腕を伸ばしてくる。だが、私も最低限の距離を後ろに下がって回避し、その動きの反動で再度攻勢に出た。
「見えた」
その時、私はまるで針の穴の如く細い隙間に決殺の機会を見た。そこへ糸を通す為なんの躊躇いも無く体を動かし、そして師の喉元へと剣を突き立て――――
『勝負あったな』
剣先が届く前に、私の下腹部へと黒いその拳が触れていた。ほんのコンマ数秒ながら、私の剣より彼の拳の方が早かったのだ。勝ちの目を前に負けた、と理解した瞬間世界に色彩が戻り、押し留めていた心臓の鼓動が早鐘のように打つ。
力が抜けてその場に崩れ落ち、吹き出す汗に地面を濡らしながら何も言えずただ乱れた呼吸を繰り返した。
「師匠、いま、のは……」
『集中の極限、忘我状態。フローとも呼ばれる集中状態だ』
フロー、確か私も聞いたことがある。元の世界では"ゾーン"という名前で知られる、アスリートに良く起きる精神の状態だ。完全に一つの物事に没頭して時に世界が遅く見えるほどの集中力を発揮するそれに、さっき私は入っていたらしい。
ゾーンに入る条件は個人によっても違う上に数多存在し、その中の一つに『長い時間を掛けて集中力を高め続ける』というものがある。恐らく師匠との組手で集中力が研ぎ澄まされ、その結果偶然入れたのだろう。だが、それにしてもこの感覚は、どこかで覚えがあるような……。
昔、それもまだ中学生になったばかりの頃、似たような感覚を何度も味わっていた記憶がある。当時は運動部に入っていた訳でも、何かに集中するような活動はしていなかったはずだが。
いや、今は別に過去のことなどはどうでもいいか。
『ゲンジ様と我々の扱う心剣流剣術では、これを忘我の型と呼ぶ。なれど、貴様が今至った境地は通過点に過ぎん。まだレベルが低い状態での忘我の型では、その真髄の上澄み程度の力しか出せぬ故にな』
「……レベルか」
『それも次第に解消されるだろう……貴様が目的を達成しようとするのなら、自ずと』
師匠のその言葉に、私は滴る汗を拭いながら静かに頷いた。
◇
スキル――――即ち必殺技や魔法、身体強化の技などは、通常攻撃と違って特殊なリソースや詠唱時間を必要とする。中でも必殺技に関する物はウェポンスキルと呼ばれ、AAOにおける通常攻撃はウェポンスキル以外の武器や素手による攻撃を指す。そして、それら二つの攻撃手段は組み合わせて使うのが基本だ。
ウェポンスキル――――今後WSと略すことにする――――のメリットは、瞬間で出せるダメージの高さと特殊な追加効果などが挙げられる。
デメリットとして、これらは前述した通りダメージ系のWSはMPも消費し、発動までには若干のタイムラグが存在する。最も短いものでも0.5秒ほどなので、気にならない程度ではあるが。
近接武器のWSはまだいい方で、魔法系のWSであれば場合によってキャストに5秒かかる事もザラだ。
逆に通常攻撃はキャストタイムが存在せず、常に継続してダメージを与えることが可能である。基礎ステータスだけで攻撃力を割り出すため瞬間火力はWSに劣るが、長期的な目で見れば通常攻撃で与えるダメージの方が多い。しかし、最効率でダメージを与えるには敵に張り付き続ける必要があり、WSを使って一撃離脱を繰り返すより被弾しやすいデメリットがある。
これらの利点と弱点を踏まえ、AAOの近接トップ層たちは数多の最適解を生み出し続けてきた。私も《背水鬼夜叉》なんてものを作り出し、有名な尖りビルドとして一応一部攻略wikiにも載っている。
自由さがウリのこのゲームで特定の遊び方を押し付けるつもりはないが、どのクラスも何かに特化させた方が結果として強い。近、遠距離からもそれぞれ1クラスずつ集まってパーティを組むのがボス攻略においては基本だ。
そして私が使っていた[夜叉剣豪]は派手な攻撃技が無い代わりに、通常攻撃を強化するスキルを揃えている。特にHPや防御を犠牲にしてリターンを得るものが多く、減少HP割合で攻撃性能が上がる装備も使ってDPS――――高い秒間ダメージを叩き出すのを目的としたキャラビルドに仕上げた。
代わりに防御は紙装甲で、一時的に盾役よりも固くなれるスキルもあるにはあるが、基本的に攻撃を避けて殴る以外の動作は行わない。とにかく殴る、ダメージを与える以外に能が無いので、殴り続けなければビルドのデメリットの方が大きくなってしまうのだ。
ただし、火力だけで言えば今の時点でレベルが50上のモンスターとも戦える。理論上はアシッドスライムを倒すに足る攻撃力を確保しており、後は更なる技術の研鑽をすればいい。
閑話休題。
初めて忘我の型に入ってから一週間。心剣流もそれなりに形になりつつあったので、そろそろ[剣士]のスキルを取得していこうかと思う。
AAOの主なスキルはレベルアップでスキルツリーからスキルが開放され、それを取得していくシステムだ。なので全てのスキルが取れるわけではなく、基本は選んだ分岐のスキルだけを取る。
取捨選択が必要であり、[剣士]であれば大まかに分けて通常攻撃を強化するものと、WS自体を大量に取得するもののどちらかを選ばなければならない。
心剣流は二刀流にも応用出来るとのことなので、先を見据えるのなら通常攻撃を主体としたスキルが取れる分岐が良いと思うのだ。しかし、現状剣一本ではダメージ不足感も否めず、それなら一撃の大きいWS分岐のほうが安全な気もする。
「うーん……」
[剣士]のレベル上限は50、そこまでで取れるスキルは、恒常的な能力上昇系を含めて大体20~25個。今も10個のスキルが取れる状態で、ツリーの分岐が始まるのも10個目のスキルから。
「取り敢えず、分岐の前までは取っておくか……」
私はメニューからスキルのタブを開き、一番下にあるスキルを取得した。
レベル1で取得出来るスキルは[重撃]というスキル。基礎ダメージが高く、ステータスの低い序盤でも十分なダメージが見込める優秀なWSだ。補正値も何気にそこそこあるので、レベルがカンストしても使い続けられるのは嬉しい。
そこからは大体1、2レベルおきにスキルが取得でき、[攻撃力+3%]や一撃だけ確定クリティカルなどのスキルが取得出来る。
そして、レベル20で取れる[斬空波]は、剣士には珍しい遠距離WS。剣の軌道に沿って遠方に斬撃を飛ばすだけのものだが、群れの中から一匹だけ釣り出したり、引き撃ちすることで接近されるまでにHPを削れる。
あくまでゲームの中だけの話なので、現実ではどういう挙動をするかは分からない。
(……まあ、試してみれば分かるか)
私は[斬空波]までのスキルを取得し、剣を持って久しぶりに外に出ることにした。
【TIPS】
[スキルツリー]
スキルを取得するためのシステム。クラス毎に存在し、特性の分かれた無数のルート分岐がある。取得出来るスキルは20レベルを境に特定のルートへと限定され、その後は決められたスキルしか取得できない。専用課金アイテムかゲーム内で手に入る神話級アイテムを使用することでスキルツリーをリセットする事ができる。