009
無心で剣を振るう。
腕が持ち上がり、ぶれること無く真っ直ぐに振り下ろされると全身に浮いた汗が跳ねる。息を短く吐いて呼吸を整えると、すぐに先ほどと同じ行程を繰り返す。日が昇ってから木々が眠るまで、ただ延々と鉄の棒で空を切り続けた。
恐らく剣を齧ったことがある者が見れば、稚拙極まりない構えと動きであることは分かっている。ゲームの中で剣を振るうのと、現実で振るうのとでは勝手が違う。握った柄の先から伝わるずっしりとした重みと、行程が一巡する度に痺れてくる腕の感覚。
初めての事だらけで困惑しながらも、私は剣を振るための力をつけようと必死だった。
「……ふぅ」
五時間ほどやり続けて一度休憩を取ろうかと、剣を置いてその場に座り込む。怠くなった腕を揉みほぐし、辛うじて綺麗な布で汗を拭う。
[吸血鬼]の初期装備であるドレスアーマーは汚れると嫌なので、もう脱いだまま何十年も着ていない。代わりに胸にはサラシを巻いて兵士の死体から剥いだズボンを穿いていた。
ここじゃ誰かに見られることもないし、私自身特に恥ずかしくもないのだが、グリムガーンは時々この格好の事を咎めてくる。サイズ的には平均よりやや小さめでこう……派手に揺れたりとかはしないんだけど、アイツまさかレイスの癖に性欲とかあるのか?
「……今度それとなく確認してみよ」
さて、剣の素振りを初めて四~五ヶ月程経ったが、筋力トレーニングの為にやっているので剣術という面で言えば依然としてお粗末の極みにある。他にやっている事と言えば、石を削り出してダンベルを作ったり、腕立てしたりとかなり普通だ。
そして20レベルを超えてから経験値の貯まりも悪くなってきて、未だ一割も稼げていない。
多分筋トレだけでレベルカンストさせないための対策を運営がしているのだろう。熱心なことで大変よろしいが、私にとっては最悪である。次にアシッドスライムの群れが見つかるのがいつになるのか分からない以上、もう2~3レベルは上げておきたかった。
ここを拠点としているので、あんまり遠出もしたくない。一応砦周辺で安全そうな時を見計らって物資を集めていたりするお陰で、この二十年の間に色々と物も増えたのだ。
時折降る雨水を貯めておく為の鍋、未使用で綺麗な包帯と布。死体から剥ぎ取った鎧と鏡などのガラス品、火打ち石など野営道具一式。これで雨水を煮沸して、体や布を洗ったりしている。
正直水浴びだけじゃ物足りないが、吸血鬼の固有能力にある【活性】は自然治癒能力――――つまりHP自動回復効果を高めると同時に、定期的に脱皮のように古い皮膚を汚れごと取り除いてくれる。
濡らした布で体を拭うだけで、体臭を抑えられるのは救いだ。本音を言えばあったかいお湯を張ったお風呂に入りたいけど。
まあ、こんな感じで時々ホームシックになりつつも、食事をしなくていいと言うメリットを最大限に活かして引きこもり生活を送っている。石の上にも三年、住めば都と言うが、実際その通りだ。
(……でも、なら吸血鬼は何を糧にして生きているんだ?)
栄養を取らなくても死なない、とは言っても私の体には血が巡っている。骨や皮膚だって人間と同じように持っている。それを維持し、時に新しい細胞を生み出すのは一体どうやっているのだろうか……?
吸血鬼らしく血液を摂取したこともないので、割と本気で無から有を生み出しているとしか思えないんだよなぁ。
この辺はゲームの時は『フィクションだから』で済ませられたし、態々生々しい所まで描写する必要も無かっただろうから考えたことがなかった。
私、思った以上に自分で自分の体を知らなさ過ぎる。
「うぅむ……」
キャラメイクに十二時間掛けたとは言え、それは外見の話。透き通るような白い肌に、限りなく白に近い銀の髪。鏡越しに見える顔は性癖をこれでもかと詰め込んだ、私の思う最強の美少女である。頭身は高すぎても良くないので6.5辺りにして、身長も高校生辺りの平均を意識した。
試しにちょっと目を細めて口角を上げて見ると、鏡の向こうの少女もあざといくらい可愛い笑みを浮かべた。
「ふっ、かわいい……」
『……何をやってるんだ、貴様は』
と、私が自分で自分のアバター愛でていると、背後からグリムガーンが呆れたように声を掛けてきた。
「何って、可愛さの再確認? ほら、やっぱ美少女ってそこにいるだけで目の保養になるからさ」
『おぉう……? た、確かに貴様は整った容姿をしているが、自分で言うのは違うだろう……』
「はぁ、分かってないなぁグリムは」
『どういう意味だ』
私がこうして――――今となっては――――自分の顔を愛でているのは、別にナルシストだからではない。感覚としては美少女のイラストやフィギュアを鑑賞しているのに近く、自分で自分の顔を見てうっとりするのとはわけが違う。そもそもこの顔は私ではなく"俺"が作った偶像であり、本物ではないのだ。
「そう、本物じゃあないんだよ……」
『お、おい、急にどうした!?』
ネカマだったとは言え、私の精神は本来男性のものである。それがなんか色々あって勢いのまま二十年間この体で生き続けてしまったのだ。なんならあと六年で現実の方の年齢を超えるし、そうなるといよいよどっちが本物だったかも分からなくなってしまうかも知れない。
元の体は色々と不自由はあるが、こうして思うとやはり愛着があった。これが現実だと分かってしまった今は、日本での生活を思い出すと余計に悲しくなる。
「帰りたい」
『またか……』
グリムガーンは最早見慣れた光景のように、ただそうとだけ言うと静かに部屋の隅に移動した。まあ、実際見慣れているのだろう。私がこうやってホームシックになるのは一度や二度ではない、三ヶ月に一回のペースだ。
日本でも社畜時代は家で朝起きた瞬間既に「帰りたい」とか言ってたので、最早そういう病気だと思っている。
「家にいる状態で帰るという行動欲求を満たしたい場合、ヒトはどこへと向かうのだろうか」
『どういう問い掛けなのだそれは』
この話は哲学的過ぎてちょっとグリムガーンには理解出来なかったようだ。私も理解してないけど。
そうだ、胎内回帰欲求というものがあるらしいし、やっぱり疲れた社会人はお母さんを求めているのかもしれない。巷で話題のバブみというやつだ、ちょっと違う?
閑話休題。
現状、完全に経験値稼ぎのためだけに素振りをしている状態なのだが、どうやってもレベルが上がる気がしない。
また何年も掛けてレベルを上げるのはちょっと御免被りたいし、次の段階へ進むための鍵も手に入った。これ以上無駄に時間を使わず、私の成長に繋がる何かがあればいいのだが……。
「剣、剣かぁ……剣道は高校の授業でちょっとやったけど、それだけだしなぁ……」
一応キャラビルドは刀剣を使うことを前提にしているので、しっかりとした剣術を覚えておきたい。それというのも、AAOには他のゲームのような……予め用意されていて、発動するだけで自動で攻撃してくれる技が存在しないのだ。
というのも、攻撃系スキルはプレイヤーが自身で軌道や範囲を決めて放たなければならない。
言わばセミオートという奴で、電撃を纏った剣で敵を一閃する【雷鳴斬】であれば、発動すると剣に電撃を纏ってくれるだけ。『あとは自分でお好きなように攻撃してください』と、システム側に投げられるのだ。
そして、それもある程度現実に則した動きで剣を振らないと、そもそも攻撃した判定にならなかったりする。
つまり、つまりだ、ゲームだったから素人でも剣をそれなりに振り回せたが、これが現実なら正しい剣術を身に着ける必要があるということだ。スキルだけ手に入れても、そもそもちゃんと使えなかったら意味がない。
だが、こんな魔境の廃墟の周辺に剣術道場なんてある筈もなく。結局一人で素振りをする羽目になるんだけど……。
「ひょっこり剣の先生とか、迷い込んで来てたりしないよなぁ……」
『いるぞ』
やる気だけはかなりあるので指導者がいればちゃんと修行するんだけど、そもそもこの土地には人自体がいないのだ。どこをどう探しても見つかりっこない。
「いや、でも剣聖とかならワンチャン、こういう厳しい環境を求めてやって来て……あぁ、結界があるから入ってこれないか……」
『だからいるぞ、ここに』
「ちょっとグリム、今考え事してるから黙――――」
……おや? 今、彼はなんと言った?
『我自身は剣聖ではないが、師がそうであった。免許皆伝を許され、軍に居た頃も剣術の指南役としての立場でもあったぞ』
「えっ、剣聖ってあのゲンジ? 東方ヒノモトのゲンジ!?」
『うむ』
私は思わず食い気味にそう尋ねる。
剣聖というのはAAOに出てくるNPCの一人で、本名をゲンジ・カゲロウと言う和風のキャラである。種族不明年齢不詳、飄々とした態度で軟派な気質だが剣の腕は一級品の正義漢。神出鬼没でどこにでも現れ、主人公たちの行く先でも度々出会うトリッキーな存在だ。
そんな剣聖と、グリムガーンが……師弟関係!?
『過去に我が大陸を旅していた頃、師と出会い、剣を指南して頂いた。あの忘れがたき日々は、とても充実して……』
「ちょっと今はそういうのいいから。つまり、グリムは私に剣を教えられるんだな?」
『正直言って貴様の稚拙な剣には少々苛ついていたところだ。やる気があれば我の暇つぶし程度に教えてやってもいい。ただし、貴様が付いてこられるかは分からんがな』
いやぁ、でもここまで都合よく剣聖の弟子と出会えるなんてあるのか……? もしかして適当言ってるのかもしれないし、グリムガーンって偉そうなだけで特に何もしてくれないし……。
『で、やるのか、やらんのか。どっちか言え』
「……やるに決まってるだろ!」
私の返事を聞いたグリムガーンは鷹揚に頷いた。
正直に言って今は藁にもすがる思いなのだ、嘘だろうとなんだろうと――――試すほかに選択肢はない。
【TIPS】
[ゲンジ・カゲロウ]
AAOに登場するキャラクターの一人。公式設定では種族年齢共に不詳、存在自体は数百年前から世界のあちこちで記録が残っている。浪人のような外見で、笠を目深に被っている。類まれなる剣の達人としてプレイヤーたちと共に世界の脅威へと立ち向かう。