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遭難三日目 原始的な命の洗濯

りんのケガのため、身動きが取れない二人。

牧村は何とか救助隊に気づいてもらおうとある作戦を思いつく。

遭難三日目、まだまだ苦難続きです。

 朝になり、りんが目を覚ますと、昨日よりもずっとすっきりしていた。どうやら熱も引いたらしい。徹の作った氷のうと薬が効いたのか、嘘のようによくなっていた。もっとも、左足の腫れはまだ引いていないようだったが。


 窓の外に目をやると、雪はすっかり止み、窓から日差しが差し込んでいた。身体を起こすと、暖炉の前で徹が座り込んだまま眠っているようだった。りんは身体を起こすと、自分が掛けていた毛布を徹にかけてやった。


「・・・ん? あ、栗栖さん。」

「もう。名前で呼んでくださいよ。」

「はは、すみません。具合はどうですか?」

「はい。おかげ様ですっきり全快です。ごめんなさい、起こしちゃいましたね。」

「いいえ。もう起きないといけない時間ですから。足の痛みはどうですか?」

「動かすとまだ痛いですけど、一昨日ひねった時よりはよくなってると思います。」

「わかりました。痛みのない範囲で、動かすようにしてください。リハビリです。」


 徹はそう言うと、火が小さくなった暖炉に薪を足した。


「それよりも、雪が止んだみたいですよ。」

「それは良かった。」


 朝食を済ませると、倉庫からたらいを二つ持ってきた徹は、ケトルで沸かしたお湯をその中に入れ、次に、外から雪をバケツに入れて持ち込んだ。熱湯の中に落とされた雪はすぐに溶け、その温度を冷ましていった。


「何をするんですか?」

「沸かした湯を冷ましてもいいんですが、量が少ないので、こうやって雪を足したら、タオルでこします。」


 リュックから取り出したフェイスタオルを広げるようにりんに持たせると、その上からもう一つのたらいにお湯を移した。


「こうすると、ほこりなどの余計なごみを取り除いたお湯の完成です。さぁ、タオルがありますから、顔を洗ってください。」


 りんは促され、たらいに張ったお湯で顔を洗った。洗顔フォームも石鹸も無かったが、昨日までのことを考えると、暖かいお湯で顔を洗えることが嬉しかった。


「はぁっ、すっきりしますね。」

「昨日の熱で汗もかいたでしょうからね。」

「これでお風呂に入れたら幸せなんだけどなぁ。オーナーさん、戻れたら、温泉お借りしてもいいですか?」

「ええ、お好きなだけ使ってください。」


 食事を済ませると、徹は雪の収まった外へ出てみた。昨日までの吹雪が嘘のように雲一つない快晴で、気温もそこまで低くはなさそうだ。しかし、難点もあり、降り積もった雪は徹の腰くらいの高さになっている。下山を試みるにもこの雪の深さが困難な道のりになるであろうことを物語っていた。


 この深さの雪になると、専用の靴を履いて雪を踏み固めながら進まなければならない。それでも、新雪に踏み出すと膝くらいまでは埋まってしまうために、根気と体力との勝負になる。山小屋の中に戻ると、りんはタオルを絞って首筋を拭いていた。


「雪、どうでした?」

「腰くらいの深さですね。スノーシューズで踏み固めながらじゃないと移動は難しそうです。栗栖さんの足のケガを考えると、ちょっと難しそうですね。」


 と、説明すると、りんは頬を膨らませながら、


「栗栖さんじゃなくて、りんりん! それから敬語!」


 と、言ってきた。若いファンならいいとしても、四〇を越えた徹にとって、それはとても気恥ずかしいことだった。


「・・・じゃあ。間取って『りんちゃん』で勘弁してください。」


 徹はそう言って、妥協案を示した。


「ふふ、仕方ないからそれで我慢します。敬語も早く治してくださいね。」


 りんは満足そうに微笑んだ。



 天候は晴れているのに、ケガのせいで身動きが取れないのがもどかしかった。徹はスコップを持って外に行き、入り口前の雪を掘っていった。少し離れた場所に、狼煙を作りたかったのだ。この辺りは杉林が多い。


 しばらく掘り進んでいくと、山小屋から数メートルの場所に少し広めに空間を作った。


「オーナーさん。何をするんですか?」


 りんが、スキーのスティックを杖代わりに歩いてきた。


「ケガが治ってないんだから、歩いちゃダメですよ。」

「これがあるから大丈夫です。ここで何をされるんですか?」


 徹は用意してきた薪を組み上げて、そこに火を付けた。はたから見ればただの焚火だ。


「狼煙です。」

「のろし?」

「そう。女の子はあまり戦国ドラマなんか見ないかもしれませんね。昔は、遠方の味方に攻撃の合図を送るのに狼煙を活用していたんです。」


 そう言うと、火を大きくし、りんへ少し離れるように促すと、徹は採取してきた杉の葉を火にくべた。しばらくすると、大量の白煙が天高く昇っていった。今日は風もない快晴だ。狼煙は遠くからでもよく見えるだろう。


「これを、山岳警備隊が見つけてくれれば・・・。ゲホッ!」


 煙を吸い込んで、徹は咳き込んだ。涙目になりながら狼煙を完成させた徹は、雪をかき分けてきたせいで汗だくだ。りんは一生懸命なその姿を見て微笑んだ。


「ほんと、ここに温泉でもあれば・・・。あ、あぁーっ!!」


 何かを思い出したように、徹は大きな声を上げた。


「どうしたんですか?」

「ある! お風呂に入れる!」


 徹は、りんを山小屋の中に促すと、薪部屋に移動した。そう言えば、この中にりんが入るのは初めてだ。徹は薪部屋の奥の扉の前においてある荷物をどかすと、扉に着けていた南京錠を外して開けた。そこは外であったが、屋根の付いた空間にドラム缶が取り付けられ、その下部から伸びた煙突は屋根を突き抜け高く伸びていた。


「これって。」

「ドラム缶風呂です。」

「ドラム缶風呂?」


 この山小屋は雪山の組合で管理しているものだが、建築したのは梨奈の父親の会社だ。一昨年ここへ整備をしに来た時、薪を割ったり、非常食を蓄えたり、さらには毛布や着替えを用意したり、徹の防災の知識も多く取り入れた。その時、汗だくになった二人は、ここに風呂があったらいいなという話になり、梨奈の父親が「それは名案だ。」と、風呂を取り付ける計画を立てた。昨年、増設してドラム缶風呂を設置したと聞いていたが、なかなかここまでくる機会がなく、設置してることを忘れていたのだ。


 ここは外に面しているため、屋根以外に壁がない。梨奈の父親が、雪景色を見ながらお風呂に入れたら最高だろうと考えたのならこの造りも合点がいく。徹はドラム缶風呂の構造と、前に調べたかすかな記憶を頼りに準備を進めた。


「この山小屋って、水道ないですよね。お湯はどうするんですか?」

「お湯は沸かすんですよ。水の材料はたくさんあるから。」


 そう言って、徹は壁になっている雪にスコップを入れ、ドラム缶に無造作に放り込んだ。つまり、雪を溶かしてお湯にするということだ。雪山でのキャンプは、雪を溶かして煮沸し、飲み水にすることもある。雪は貴重な水源なのだ。


 適当にドラム缶をいっぱいにすると、土台に薪をくべ、種火を入れた。


「沸くまでには少し時間がかかるから、中に入って待っていてください。熱がぶり返したら大変ですから。暖炉の火の番をお願いしますね。」


 徹に促され、りんは小屋の中に入った。それから、徹は何度も何度も薪を足し、雪を溶かしていった。ドラム缶風呂は、通販でセットが売っているくらいで、値段もせいぜい数万円と手頃だ。ここに用意したものもそう言った物らしく、中にはご丁寧にすのこまで用意してあった。また、ドラム缶風呂は、下部の水温が高く、上部に行くほどぬるくなる。その対策のためか、これまたご丁寧に杉の木で作ったらしいかき混ぜ棒まで用意してあった。


 しかし、雪を溶かして沸かすだけの熱量が必要になることと、直火が過ぎると底に穴が開くため、火加減を調整しながらの作業は時間を必要とした。


「よし。こんなもんだろう。」


 と、湯加減を見た手で額の汗を拭うと、もう陽は沈み、辺りは薄暗くなっていた。このままでは暗いため、薪小屋からランタンを持ってきて、灯油を注すと壁にセッティングした。


「お待たせしました。お風呂が沸きましたよ。」

「あ、オーナーさん。大変だったでしょう。」

「なんのなんの、初めての経験で楽しいもんでした。少し熱めにしましたが、冷めないうちに暖まってください。小屋に用意した着替えも良ければ使ってくださいね。」


 徹はその間に食事を済ませると言って、ケトルでお湯を沸かし始めた。そろそろ、小屋の非常食にも飽きてきたため、今夜は徹のリュックに入れてったカップラーメンを夕食にした。


 りんがドラム缶風呂を使っている間、小屋の入り口前に出ると、三日ぶりの電子タバコに火を点けた。ここに来てからというもの、りんのケガや熱の手当などがあり、すっかり喫煙することを忘れていた。紫煙は流れて、やがて闇の中に消えていった。どうやら、少し風が出てきたようだ。携帯がつながらないため、天候予測もわからない。情報がないとこんなに不便なものだと、改めて実感できた。二本目を吸い終わったころには、徹の身体も冷えてしまったので、暖炉の前で暖まりながら食事を取った。


 しばらくすると、幸せそうに頬を紅くしたりんが、タオルで髪をくしゃくしゃ拭きながら戻ってきた。


「どうでした?」

「はい。とっても気持ちよかったです! 最初は周りから丸見えだったからちょっと恥ずかしかったんですけど、湯船につかったら、そりゃもう、幸せでした。」

「それはよかった。」

「オーナーさんも入ってみてください。絶対気持ちいいです。」

「そうですね。では、お言葉に甘えて。」


 りんに促され、徹も入ることにした。幸せの余韻に浸るりんに毛布を手渡すと、薪小屋に移動して服を脱いだ。


(む、脱いだ服を入れるかごがいるな。)


 そんなことを思いながら、外に出ると、ドラム缶のふちを掴み、湯船に身を沈めた。暗がりから吹き込んでくる風を頬に受けながら、徹はお湯をすくって顔を洗った。ドラム缶風呂とは実に原始的な方法だ。しかし、こんなに気持ちの良いものかと、ゆっくりと漬かることができた。



 徹にしては、ずいぶん長湯をしたように思う。しかし、暗闇の中で入る風呂というのもなかなか貴重な体験だ。その時、ふいに徹は誰かに見られているような気がして辺りを見回した。誰がいるわけでもないし、そのはずもないのだが、一度気になってしまうとなんだか薄気味悪くなってきてしまった。


 すっかり温まったので、湯船から出ると、置いてあったタオルで身体を拭いた。その時、吹き込んだ風に身をすくめた。


「やっぱり壁は必要だな。それに、石鹸とシャンプー、となると洗い場も必要か。」


 などと、必要そうなものをぶつぶつ言いながら着替えた。しかし、そうなってくると、ここは緊急用の山小屋というよりも、ちょっとした別荘になってしまうなと、徹はそう考えて一人で笑った。


「やぁ。すみません、すっかり長湯して・・・。」


 小屋の中に戻ると、りんは暖炉の前で横になって寝息を立てていた。徹はほかの毛布を持ってくると、風邪を引かないように掛けてやった。自分がニジマスのファンであることを話し、風呂にも入り、すっかり不安な気持ちが薄くなったのか、その寝顔は穏やかな物であった。


 暖炉に薪を入れると、パチっ、パチっという弾ける音と一緒に、小さな火花が出てはすぐに消えた。


 遭難も三日目が終わる。食料も有限だし、りんはただの女の子ではない。アイドルという著名人の一人だ。下山も含めて、あらゆる選択肢を頭の中でシミュレートし、明日に備えることにした。徹は横になった後も、しばらく考えがまとまらずになかなか寝付くことができなかった。


続く




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