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遭難初日 強行の代償

撮影のためにペルヘシテートを訪れたアイドル・26時のマスケラータ。

初日からスケジュールが変更になり、暗雲が立ち込める。


東日本震災を経験したペンションオーナーの牧村は、何も起きないことを祈るが。。。

 翌朝、昨日に引き続いて雲一つない晴天だった。朝食が終わると、軽いミーティング後、メンバー達は露天風呂の撮影に入ることになった。修一が途端にそわそわし始める。


「準備はできた?」

『は-い!』


 ニジマスメンバーはそれぞれ水着に着替え、その上からバスタオルを巻いた。よくある温泉地での『許可を得てバスタオルを巻いています。』というやつだ。


「修一君、残念だったわね。皆さん水着だって。」

「な、当たり前じゃないですか。」


 といった修一は明らかに残念そうで、ニジマスメンバーはくすくすと笑っていた。露天風呂での案内は梨奈の担当だ。温泉の効能や露天風呂の特徴などをわかりやすく丁寧に説明してくれた。ここの温泉は美肌効果のほか、打ち身やねんざ、筋肉疲労にも効果がある。スキー客に人気なのはその効能のお陰もあった。


 メンバーは露天風呂の造りの丁寧さや、景色、温度や泉質、思いつく限りのことをレポートしてくれた。この露天風呂が全国に放送されれば、注目されることは間違いないだろう。これから忙しくなることを考えると、梨奈はうきうきしていたが、徹がずっと難しい顔で空を見ていることに気が付いた。


「オーナー。せっかくうら若き乙女達の入浴シーンなのに、空ばっか見上げちゃってどうしたんですか?」

「ん? ああ、ちょっとな。」


 徹はそう言うと、その場を梨奈達に任せて自室へ向かった。自室で各社の気象予報を見比べていたが、どこも快晴と予想していた。昨日気になった雪雲はまだ残っていたが、影響があるような予報にはなっていなかった。徹はベランダに出て、電子タバコを付けた。雲はほとんどない晴天だったが、少し強めに南風が吹いていた。気温も少し高めだ。


 タバコを吸い終わってダイニングに戻ると、撮影を終えたニジマスメンバー達が、今度はスキーウェアに着替えて集合をしていた。


「橋口さん。ちょっといいですか?」

「はい。なんでしょう。」

「山頂への撮影、様子を見るわけにはいきませんか?」

「どういうことですか?」


 徹は、朝から強めの南風が吹いていることと、若干気温が高めであることを告げた。過去の経験上、この辺りで冬に朝から南風が吹き、気温が高めの日は、必ずと言っていいほど昼前には強い北風に変わり大雪になる。このまま出発すれば、山頂で昼を迎えることになるため、降ってくるころには吹雪くはずである。


「天気予報では、快晴となっていたかと思いますけど。」

「ええ。気象庁も地元の気象台も晴れと予報していますが、ただ、米軍の気象予報では山頂付近に雪雲をとらえています。」


 日本の気象衛星は、列島周辺から太平洋側をモニタリングできるが、朝鮮半島や中国側は、軍事関連の理由から積極的なモニタリングができないと言われている。その点、朝鮮半島の南に軍を構える米軍の気象レーダーは、日本のそれよりも精密と言えた。


「各社快晴でしたら、予定通り山頂へ向かいます。スケジュールも押していますので。」


 橋口はそう言うと、メンバーとスタッフを率いてゲレンデへ出かけて行った。そう言われてしまっては、当然ながら徹に決定権はない。出発を見送りながら、徹はただただ何も起こらないことを祈った。


 昼食は山頂で取るため、撮影一行がペルヘ・シテートに戻ったら、あとはチェックアウトするのみだ。徹達は次の来客に向けて、共用部や風呂場、玄関周辺などの清掃作業に入った。実はこの作業が最も過酷で、七部屋と言っても敷地も広いため、次の来客までに完了させるのは効率化と時間との勝負になる。もっとも、今回の撮影のスケジュール上、今夜は宿泊を入れていないため、ニジマスメンバーがチェックアウトした後は、明日の午後まで変則的な休暇にすることにしていた。


 露天風呂の清掃を終えた徹は腕時計を見た。午前一〇時になろうかとしていたが、この時にはすでに北風に切り替わり、晴天だった空は雲が増えてきた。


(早く、早く降りてこい。)


 流れる雲を見上げながら、徹はそう思った。



 その頃、ペルヘ・シテートを出発した撮影隊は、リフトで山頂に出ようとしていた。このスキー場のリフトは、よくあるベンチ型で、二人ずつの使用が可能である。


「りんちゃん。なんか曇ってきたね。」


 りんの隣で、美優がそう言いながら空を見上げた。雲が増えてきただけではなく、今は北からの風が強くなり、時折リフトを揺らした。後ろを向くと、一台後方に、はしゃぐみはると果蓮の姿が見えた。その後ろには綾恵梨と真奈美がいるはずである。


「天候よりも、無事に滑れるかが心配。」

「本当だよ。私もう、筋肉痛が・・・。」


 その時、話を遮るかのように強い北風が吹き、二人の乗ったリフトが大きく揺れた。悲鳴を上げる間もなく、二人は必死にしがみついた。後ろを見るとみはる達が乗っているリフトが大きく揺れ、自分のリフトも同じように揺れてるのだと思い、りんは怖くなった。


 やがて揺れが収まると、リフトは何事もなかったかのように山頂へ進み始めた。


「すごい揺れだったね。あ、雪が降ってきた。」


 美優がリフトから手を出した。小さな雪が、辺り一面に降り始めていた。その小雪は、一行が山頂に到着するころには大粒の雪に変わり、辺りに積もっていった。リフトを降りて山頂カフェのある場所まで滑っていく。


「リフトの揺れ、大丈夫だった?」

「はい。大丈夫だったけど怖かったです。」


 果蓮の言葉にりんは微笑んだ。


「それよりも、寒くなってきましたね。」

「山頂だからかな。さ、中に入ろう。」


 果蓮が言うように、山頂に到着したあたりで気温がぐっと下がった気がしていた。山頂カフェに到着すると、すぐに撮影準備が勧められた。りんは店内から外を見ながら、一層暗く成った雪雲と、風に舞う雪を見た。


(風が、強くなってきた。)


 上から下に降っていた雪が、今では斜めに待っている。風が強くなってきているのだろう。


「りん。始めるわよ。」

「あ、はい!」


 真奈美に呼ばれ、りんは座席に付いた。山頂カフェでは、白雪山をイメージした「山頂パフェ」が人気である。平たい皿に、凍らせたフルーツなどを削った氷を、山のように盛り付け、その周りにアイスやフルーツなどをトッピングしたパフェで、インスタ映えすることから、若い女性を中心に人気が出ている。


 撮影は順調に進み、無事にリポートが終わるころには、外は軽い吹雪になっていた。


「さぁ。荒れる前に引き上げましょう。」


 真奈美はそう言ってスタッフをせかした。りんはカフェの店長を捕まえ、


「あの。カフェの皆さんは天候がひどい時はどうやって下山するんですか?」


 と、質問してみた。


「私達は原則通いですが、天候がひどい時はここに宿泊できるようになっているんです。」

「そうなんですね。」

「戻られるのなら、早いほうがいいかもしれませんね。昨日も今朝も暖かかったでしょう? なのに昼前から急に気温が下がって来た時の雪は猛吹雪になることが多いんです。」


 徹が同じようなことを真奈美に話していたのを思い出した。りんは礼を伝えると、下山のための準備を始めた。外は、視界が悪いほどに吹雪いていたが、滑れないほどではなかった。真奈美の先導で下山が開始され、スタッフの一部と真奈美、そのあとを綾恵梨と美優、美晴と続き、果蓮とりん、残りのスタッフの順番で降りることになった。


 雪のために視界が悪く、ゆっくりとゲレンデを滑り始めた。前を滑る果蓮がかろうじて見えるだけで、その前の綾恵梨達の姿までは視界不良で確認できなかった。北風は一層強く、気温も下がってきたのかとにかく寒かった。早く降りなければと焦り始めた時、前を滑っていた果蓮が、中腹に差し掛かったところで豪快に転んだ。


「大丈夫?」

「へへ、こけちゃいました。」


 りんに支えられながら立ち上がった果蓮は舌を出しておどけて見せた。


「もう少しだから頑張りましょう。戻ったら、オーナーにお願いして、もう一度露天風呂に入らせて・・・きゃっ!」


 その時、突風が吹いてりんのニット帽が宙に舞った。白地に水色で雪の模様をあしらったかわいらしいニット帽で、今回の撮影用にスキーショップに行った時、りんが一目ぼれして買ったお気に入りのニット帽だった。


「もう、いたずらな風!」


 りんは頬を膨らませると、


「ちょっと取ってくるから、みんなと一緒に先に滑ってて。」


 追い付いてきたスタッフに果蓮を任せると、そう言ってりんはコースの端に飛ばされたニット帽を追いかけた。ちょうどゲレンデのコースを示すトラロープの杭にニット帽は引っかかっていた。


「よかった。早く追い付かなきゃ。」


 そう呟きながらニット帽に手を伸ばしたが届かなかったため、もう一歩前に踏み出した時、突然足元に力が入らなくなり、そのまま斜面を転がり落ちた。天地が回転したかと思うと、軽い衝撃と共に動きが止まった。もがきながら起き上がると、どうやら雪がクッションになって身体を受け止めてくれたみたいだ。


 りんは右手に掴んだニット帽を見てため息を吐くと、頭にかぶり直して周りを見た。どうやら斜面の途中で止まったらしい。あの勢いでそのまま落ちていたら大ケガをしていたかもしれない。そう考えると、寒さで冷えた身体にさらに寒気が走った。


「イタっ!!」


 立ち上がろうと足を動かした時に、左足に激痛が走った。その時になって初めて気が付いたが、左足のスキー板がない。そう言えば、斜面を転がっている時にスキー板が外れ、その時にひねったことを思い出した。


(あちゃー。ねん挫しちゃったかな。)


 りんはなんとかゲレンデコースに戻ろうとしたが、急斜面を見上げても、雪と空の色が合わさったうえ、視界も悪いために上と空の境目がわからず、どの程度の高さを落ちたのか把握できなかった。


「そうだ。携帯!」


 ウェアのポケットから携帯電話を取り出し、真奈美の携帯をコールした。が、コール音が鳴らないため、画面を見ると「切断」の二文字が表示されていた。何度かコールをしたが、電波状況が悪いのか、圏外とアンテナ一本が繰り返されていた。途端にこのまま死んでしまうのではないかという言いようのない恐怖に駆られたが。


『万が一の時は、まず深呼吸して落ち着くことです。』


 そう言った徹の言葉を思い出し、りんは一度大きく深呼吸した。不思議なもので、何度か繰り返すと、落ち着きが取り戻せたような気がした。


(落ち着いて。落ち着いて。・・・よし。)


 りんは決意を固めると、生存するための行動に移った。



 ペルヘ・シテートでは、徹達が戻ってくるメンバーのために、ホットドリンクを用意していた。チェックアウト前に、スキーで冷えた身体を温めてもらおうと、梨奈が提案したのだった。徹はキッチンの窓から、しだいに吹雪いてきた天候を眺めていた。自分の予想通りになったということは、このまましばらく吹雪くはずだ。


 その時、フロントの電話が鳴ったので修一が取りに行った。


「はい。ペンション、ペルヘ・シテートでございます。あ、マネージャーさん。」


 修一の声がキッチンまで届いてきた。元高校球児の修一の声は元気ででかい。


「・・・ええっ! なんですって?」


 急に修一の声が変わったので、徹も梨奈もフロントに移動した。何度か声を交わし、受話器を置くと、顔色を変えた修一が心配そうに口を開いた。


「りんちゃんが、行方不明だって。」

「なに?!」

「麓のロッジに集合してるんですが、りんちゃんだけ戻ってこないって。途中でコースを外れたんじゃないかって。マネージャーさんから。」


 それを聞いてからの徹の動きは速かった。


「修一君。スノーバイクを用意してくれ。」


 そう指示を出すと、徹は自室に駆け上がり、クローゼットから防寒服を取り出した。厳重に着込むと、災害時用に用意していた大きな防災バッグを抱え、再び階下に駆け下りた。フロントでは、梨奈が心配そうに待っていた。


「オーナー。」

「心配するな。コースを外れたとしても、そこにとどまっていればすぐに見つかる。」

「はい。あの、これを。」


 梨奈は大きな水筒を差し出した。


「みんなが戻ってきたときに出そうと思っていたコーンスープです。荷物になっちゃうかもしれませんが。」

「いや。ありがとう、助かるよ。」

「気を付けていってきてください。」

「ああ、留守中頼むよ。」


 徹は気仙沼で防災担当をしていた。梨奈はこんな時、徹が放ってはおけない性格であること、災害で人の命が危険にさらされることを何よりも許さない人だということを知っている。りんが行方不明と聞いて、必ず救出に行くのだろうと考えていた。


 外に出ると、雪まみれになりながら修一がスノーバイクのエンジンを入れていた。


「オーナー。準備OKっす。いつでも動かせます。」

「ありがとう。」


 徹はスノーバイクにまたがると、エンジンをふかした。

「見つけたらすぐに戻ってくる。梨奈と一緒に暖かいものを用意しておいてくれ。」

「了解っす。あんまり無茶しないでくださいよ。」


 右手を挙げて、修一に合図すると、徹はスノーバイクを発進させた。ここからふもとのロッジまでは、山道を使えば数分の位置だ。林を抜けロッジに抜けると、入口の風除室で果蓮が泣きながら外を見ていた。徹はスノーバイクを止めると、すぐにロッジの中に入った。


「オーナーさん。」

「高村さん。状況を教えてくれませんか?」

「転んだ私を助けてくれて、そしたらりんちゃんの帽子が飛ばされて、取りに行くから先に行ってていいよって、でも、りんちゃん戻ってこなくって。私が転ばなければ・・・。」


 泣き止まない果蓮の肩をぽんぽんと叩くと、


「大丈夫、必ず助けるから。ここじゃ身体が冷える。中に入ろう。」


 そう促して、ロッジの中に入った。中には撮影メンバーのほか、急変した天候に立ち往生しているスキーヤー達がごった返していた。


「橋口さん。」


 徹は真奈美に声をかけ、泣き止まない果蓮を綾恵梨に任せると、ロッジの店長である小林に声をかけた。小林は徹よりも三歳年下だが、雪国育ちのためにこの辺りには詳しい。雪山でのことはなんでも知っている。


「小林君、山岳救助隊には?」

「はい。すでに連絡済みですが、山の西側で雪崩があって、少し時間がかかると言ってました。東側の山林部も雪崩の兆候が出ているそうです。」

「そうか。」

「まさか。牧村さん、助けに行くんじゃないでしょうね?」

「まさかもなにも、この吹雪の中、彼女は孤立してるんだ。早くしなければ命にかかわる。」


 小林も、徹が防災のプロであることは知っている。


「わかりました。救助隊が到着しだい、そちらに向かわせますので、あまり無茶はしないでください。では、こっちにいいですか?」


 徹とニジマスメンバーは従業員用の休憩室に通された。テーブルにゲレンデの地図を広げて山頂カフェからの下山ルートを確認した。真奈美の話では、初心者コースで降りてきたという。メンバーからの話でおおよその場所は把握することができた。


「斜面下り側を見て、りんちゃんは左に行きましたから、この辺りだと思います。」


 果蓮が地図を指さして教えてくれた。


「貴重な情報だ、ありがとう。大丈夫、必ず助けるよ。」

『お願いします!』


 口々に救助を頼むメンバーの泣きそうな顔を見ていると、徹の脳裏に震災の時の被災者の顔が思い出された。家族だろうが、友人だろうが、仲間だろうが、顔見知り程度だって、誰かを失うことのつらさはわかっている。


「橋口さん。天候が回復したらペンションへ戻ってください。ここよりも休めるはずです。」


 真奈美は申し訳なさそうに頭を下げた。


「オーナーは天候が崩れることを予見していらっしゃいました。スケジュールを先行させてしまった私のミスです。どうか、りんを探し出してやってください。」

「わかりました。全力を尽くします。」


 徹はそう言うと、小林に後を任せて、外のスノーバイクのエンジンをかけた。風除室から残されたニジマスの四人が心配そうに見送ってくれた。徹は左手を差し出し、こぶしを握ると親指を立てた。メンバーが一斉にお辞儀をしてくる。すでに数メートル先の視界もないが、徹は臆することなくアクセルを回した。


 スノーバイク、スノーモービルともいうが、構造や運転はバイクに近い。ハンドルのスロットルを回せばエンジン駆動に繋がり動き出し、ブレーキもかかる。原付が運転できる程度の技術で動かすことができる。もっとも、雪上で使いこなすにはそれなりの訓練と技術が必要だが。


 徹はペルヘ・シテートのオーナーを引き受けてからすぐ、ライセンスを取得して自分用のスノーバイクを購入した。万が一、宿泊客になにかあった際、機動力のあるスノーバイクは便利だと思ったからだ。事実、何度かゲレンデでケガをした宿泊客を迎えに行ったり、りんのようにコースを外れて遭難しかけた人を助け出して表彰されたこともあった。


 過去の例から予想すると、この吹雪はもう一段ひどくなり、しばらくそれが続くはずだ。徹は地図で示された場所を思い返し、ゲレンデコース際を上っていった。吹雪とゴーグルのために視界は狭い。中腹まで来たところで、一旦停止して地図を出した。ここまででそれらしい所はなかったと思うが、なんといってもこの吹雪である。痕跡が消えている可能性もあった。徹は地図をしまうと、もう少し山頂側と判断してスノーバイクを進めた。


 二十分ほど進むと、突然の横風にハンドルを取られ、思わず横倒しになった。うまく転んだためにケガはなく、スノーバイクにも影響はなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろすと、ふと、コース際に張ってあるコースを示すトラロープがないことに気が付いた。吹雪いているとはいえ、まだ埋もれるほどは積もっていないはずだ。それに、白雪山スキー場は、コース転落防止のために危ない場所にはネットを、そうでない場所にはロープを二段にして設置している。


 徹はリュックからピッケルを取り出すと、足元に刺し地面を確認しながら斜面へ進んだ。途中、雪に埋もれたトラロープを拾い上げ、その先の斜面を覗き込んだ。その先にも雪はあったが、ピッケルがサクッと根元まで入っていった。つまり、ここは足場がないことを意味している。吹雪で相変わらず視界は悪かったが、数メートル下の木の根元にスキー板が刺さっているのが見えた。


「おーい! 栗栖さん!!」


 声をかけてみたが、反応はない。りんが遭難したと思われる時間からはすでに二時間以上が経過している。最悪の事態もよぎったが、徹は頭を振ってその不安を打ち消した。周囲を見回したが支えになりそうなものはない。徹はリュックからロープを取り出すと、仕方なくスノーバイクに括りつけ固定した。リュックを背負い直すと、ロープを持ってゆっくりと斜面を降っていった。時折、風で身体が持っていかれそうになるのを踏ん張り、少しずつ、着実に降りた。


 しかし、りんのいる場所まではあと二メートルというところでロープの長さが足りなくなった。少しの逡巡の後、徹はロープから手を放し、栗栖がいると思われる場所へ飛び降りた。もしも、ここにいなかったら、もう一度這い上がって探しなおすしかない。


「栗栖さん!」


 声をかけながら、徹はスキー板の下の雪をかき分けた。そして、雪の中の空洞に、青ざめた顔で不安そうに見上げてくるりんを見つけた。


「オーナー、さん?」

「昨日の言いつけどおりに鎌倉を作って暖を取ったんですね。大正解ですよ。」


 この周囲で一番大きな木の根元に、雪をかき集めて空洞を作り、一番目立ちそうな場所にスキー板やスティックを刺し、その中でひたすら救助が来ることを待った。りんは、昨日徹からレクチュアを受けた遭難時の待機方法を律義に守ったのだ。


「よし。とりあえずここにいても危険です。移動できますか?」

「はい。」


 りんはそう言って立ち上がろうとしたが、左足に痛みが入ったため、よろけてしまった。


「大丈夫ですか?」

「はい。転落した時に左足をひねってしまったみたいで。」


 鎌倉から這い出しながら、りんは不安そうに左足を見た。


「それは困りましたね。」


 徹はそう言うと、今しがた降りてきた斜面を見上げた。ロープまでは二メートル半といったところか。しかし、ケガをしたりんが、そこから上には這い上がれそうにはなかった。吹雪は強くなってきているし、この山林部には雪崩の兆候も出ていると話が出ていた。


 徹は地図を取り出すと、回避ルートがないか調べた。


「よし。栗栖さん、ここから移動します。斜面を登るのは難しそうなので、松葉杖代わりにスティックを使いましょう。ゆっくりでかまいません。」

「はい。」

「少し行ったところに山小屋がありますので、そこで救助を待ちましょう。」


 本来ならば、吹雪いている以上、斜面などに横穴を掘り、体温と体力を温存するのが基本だが、雪崩の予兆が出ているという情報と、ここまですでに数時間、りんが雪の中にいたことを考え、山小屋への移動を選択した。山小屋へはここから二キロほど登ったところにある。りんのケガの具合を考えると二時間以上かかる計算だった。


「あ、そうだ。」


 徹は思い出したように、梨奈が持たせてくれた水筒を取り出した。 


「とりあえず、これを飲みましょうか。」


 徹は梨奈が作ったコーンスープをりんに差し出した。


「ありがとうございます。」


 湯気の立つカップ部分を受け取り、りんはゆっくりと飲んだ。口の中一杯に濃厚なコーンの味と、暖かさが広がり、飲み込むと食道を通って胃に流れていく感覚がわかった。自分がどれだけ冷えていたか再認識するりんだった。


「はぁ。暖かい。」

「少しでも身体を温めておきましょう。山小屋に付けば、簡単な食べ物もありますから。」

「はい。」


 飲み終わったカップを水筒に戻すと、徹はリュックに着けてあったパラコードブレスレッドを取り外すと、器用に分解した。パラコードブレスレッドは、パラシュートなどにも用いられる丈夫な紐をブレスレッド状に編んだ防災アクセサリーで、分解すれば二、三メートルの紐になる。徹はそれをりんのスキーウェアのベルトと自分のベルトに固定した。転落防止やはぐれるのを防止する。


「これでよし、と。さぁ、行きましょう。」


 二人は山小屋目指して移動を開始した。この斜面を降ると傾斜は比較的緩やかになる。そこまで降ったら、今度は山小屋のある位置まで登らなければならない。なんといってもりんのケガもあるため、移動は慎重に行う必要があった。


 時折、風雪が弱まることもあったが、それは一過性のもので、徐々にだが、吹雪は強くなっていった。りんはスティックを杖代わりに、時には徹に支えてもらいながら懸命に歩いた。しかし、何度か休憩しながら、スープを飲んで暖を取りながら進んだが、慣れない山道とケガの痛みで、りんの体力の消耗は激しく損なわれていった。


「オーナーさん。もう、歩けません。」

「頑張りましょう、山小屋まではあと数百メートルです。そこまで行けばゆっくり好きなだけ休めます。」


 わかってはいるのだが、りんは次の一歩が踏み出せない。疲れもあったが、今は痛みや疲れよりも、寒さのために手足の感覚がなくなり、全身はだるく重かった。雪が舞う中、りんの吐く息も白く舞って、そしてすぐに消えていった。


「もう、ダメです。」

「諦めてはいけません。あなたはまだ生きているんだ。簡単にダメなんて言わないでください。」

「でも、もう力が入りません。」


 徹はこの辺りがりんの限界だと感じ、背負っていたリュックを前に抱えた。そして、りんの前に背を向けてしゃがみこんだ。


「さぁ、負ぶさってください。」

「でも・・・。少し休憩することはダメですか?」

「ダメです。それよりも、ここにとどまっては雪崩の危険もあります。私に任せて、負ぶさってください。」


 りんは徹の言葉にうなずくと、その背中に身体を預けた。そして、ふわりと身体が浮く感覚がしたかと思うと、徹は山小屋に向かって歩き始めた。


「オーナーさん。ごめんなさい、重いでしょう。」

「はは。なに、さすがアイドルさんです。軽い軽い。」

「ごめんなさい。私がコースを外れたりしたから。ニット帽なんて、買い直せばいいだけだったのに・・・。」


 徹は、りんから転落時の状況を聞くことができた。話を聞けば聞くほど、よくある話でもあり、不慮の事故に巻き込まれる不運なケースともいえた。


「人間は、目の前に大切な物があって、それに手が届きそうになると、一瞬、その周囲の状況が見えなくなるもんなんです。事故や災害に巻き込まれるときは、そう言った一瞬の隙に悪魔が引き込もうとします。これを回避するのは心がけも大事ですが、日ごろの訓練が最も必要です。気にすることではないですよ。」

「でも、そのせいでオーナーさんにすごい迷惑かけてしまって。本当にごめんなさい。」

「栗栖さん。」


 一度立ち止まり、りんを背負い直して体制を整えると、徹は再び足を前に出しながら、


「いくつになってもね。男性は、女性の『ごめんなさい』よりも『頑張れ』の声援のほうが力が出るんですよ?」


 そう言って笑った。その優しい言い回しに、徹の「気にしなくていい。」というメッセージが込められているのを感じ取り、


「オーナーさん。もう少しです。頑張ってください!」


 と、声援を送った。


「はい。任せてください!」


 力強く足を前に出し、立ち止まることなく二人は進んだ。山林部は雪のために道などはない。徹はコンパスと地図を頼りに山小屋を目指していた。スキーは苦手だったが、山林部はよく歩き、山小屋に行くルートは何度も通ってきた。また、吹雪は酷かったが、りんを背負って動いている分、体温は維持できた。


 予定をだいぶオーバーしてしまったが、吹雪で視界の悪い中に、うっすらと山小屋が見えてきた。


「山小屋、見えてきました!」


 りんの言葉に顔を上げると、徹の目にもうっすらだが山小屋を確認することができた。ここからは自分で歩いてみるというので、りんを降ろすとロープを外してスティックを手渡した。


「ありがとうございます。オーナーさん。」


 そう礼を伝えるりんの笑顔に、徹は少し疲れが飛んだ気がした。その時、今まで自分達が歩いていた山林部で、この吹雪の中でもはっきり聞こえる地鳴りと共に、広範囲で雪煙が上がった。そして、二人の立つ足元に、地震でも起きたのではないかという揺れを感じた。


「見てください。あれが、雪崩です。」

「すごい・・・。あのまま休憩していたら。」

「ええ、飲まれていたかもしれませんね。」


 徹はりんを促し、山小屋へ向かった。ここから山小屋までは平らな道だ。ものの数分でたどり着くことができた。山小屋の扉には頑丈なナンバーロック式の南京錠が取り付けてあった。徹は手袋を外すと、凍り付いた南京錠をさすって溶かし、ナンバーを「〇三一一」に合わせた。


 ガチャリと音がして南京錠が外れると、徹は扉を開けてりんを中に促した。途端に、耳を支配していた風雪の音が弱まり、冷たい空気が幾分か和らいだ。この山小屋は、二人が入った入口周辺の三帖ほどの土間とトイレ、一段上がって板の間が四帖ほどあり、奥には倉庫代わりの薪部屋がある。しかし、しばらく人が使っていなかったのか、埃っぽくて空気も冷たかった。


 徹は奥の薪部屋から薪を持ってくると、暖炉に積み立てていった。そして、木切れのひとつを取り出すと、ポケットから小型ナイフを取り出し、削り始めた。


「それは、何をしているのですか?」

「薪は太いから、このままだと火が点きづらいんです。こうやって木切れに歯を入れて細かい枝部分を作って、さらに火種をこれに移して火を起こすんです。」


 何本か木切れを削り、薪の下部にセットすると、今度はキーホルダーを二つ取り出した。数センチの金属の塊の付いたキーホルダーと、もう一つは金属板の物だ。それらを取り出しておいて、徹はリュックの中をごそごそすると、今度は自分の防寒具をまさぐり始めた。


「どうしたんですか?」

「栗栖さん。すまないんだが、ポケットティッシュかなんか持ってないですか?」

「ちょっと待ってください。」


 りんはウェアのポケットからハンカチとポケットティッシュを取り出した。


「これでいいですか?」

「さすが女の子、ありがとうございます。」


 徹はティッシュを一枚取り出すと、金属の塊をもう一方の金属板で削り出した。


「これは、ファイヤースターターと言います。こうやって金属を削って粉にして、今度はそれに火をつけます。」


 ティッシュの上にたまった金属粉にむかって、今度は塊と板をこすり合わせて火花を出させた。火花は金属粉をあっという間に燃やし、ティッシュに燃え移った。徹はそれにティッシュを足しながら、先ほどの木切れの中に放り込み、屈むと息を吹きかけていった。


 最初は煙しか見えなかったが、やがて火は木切れにも燃え移り、それは薪を燃やすほどに成長していった。


「すごーい! 金属なのに火が点いちゃった。」

「理科の実験で、マグネシウムの粉に火を付ける実験とかやりませんでしたか?」

「あ、やりました!」

「このキーホルダーはマグネシウムの塊なんですよ。」


 暖炉に火が灯ると、周囲の冷たい空気を暖炉を暖かな空気が押し返し、少しずつ山小屋の中を温めていった。徹はリュックからランタンを取り出すと、用意してきたジッポライターなどに使用するための灯油を注し、暖炉の火を移した。自分達の周辺が少しだが明るくなった。窓の外は相変わらず吹雪いていたが、りんが時計を見るとすでに夕方に差し掛かっていた。


「さて、温まってきたからウェアを乾かしちゃいましょう。」


 二人は雪で濡れたウェアを脱ぐと、暖炉の近くの壁にかけた。この山小屋は、白雪山にある組合が管理しているもので、梨奈の父親の会社で建てたものだった。雪山の調査や、登山客が万が一の際に避難できるように設置してある。徹が来てからは、遭難者捜索の拠点にできるように、薪部屋には毛布や着替え、保存食や保存水が置かれるようになった。


 二人は毛布を取り出してくるまった。暖炉の前に座っていると、少しずつ手足の感覚も戻ってきた。徹はリュックから小さなケトルを取り出すと、保存水を入れて暖炉にセットした。お湯が沸くとコーヒーを入れ、保存食の中からそれぞれ好きな物を取り出して早めの夕食を取ることにした。最近の防災用保存食は種類も多い。お湯を入れれば出来上がるドライカレーやチキンピラフ、おかゆに山菜おこわに松茸ご飯まであった。お湯がなければ水でもいい。


「最近の非常食ってすごいんですね。私、非常食って言ったら乾パンかと思ってました。」

「はは。防災グッズは年々新しい物が開発されて商品化しているから、便利になりましたよね。」


 二人は食事をとり、暖炉で冷えた身体を温めた。



 空腹も収まり、身体も温まったところで、徹は暖炉に薪を追加しながら、コーヒーを入れ直してりんと向かい合った。


「さて。これからの話をしておきますね。」

「はい。」

「この天候では、山岳救助隊も動きが取れません。また、何度か試しているのですが携帯も繋がらないので、しばらくはここに籠城するしかありません。幸い、ここは薪も食料も備蓄がしっかりありますので、数日は籠っても危機的状況にはならないと思います。ここで身体を休め、天候が回復するのを待ちましょう。最初の場所に、私のスノーバイクを置いてきていますから、あの状況を見れば、ここへ移動したと気付いてもらえるはずです。」

「わかりました。」

「今夜は早めですがもう休みましょう。都内と違って、慣れない雪道を移動してきたので、栗栖さんの身体はご自身で思っている以上に消耗しているはずです。しっかり英気を養ってください。」


 徹はリュックの中から救急セットを取り出すと、市販の湿布を貼って足を九〇度に固定するように包帯を巻いた。そうしておいて、外の雪をビニル袋に入れ、氷のう代りにするとりんの左足に固定した。ここまで歩くこともできたので、骨折はしていないだろうが、足首を動かすと痛みが走るし、右足に比べると明らかに腫れているのがわかった。


「骨には異状ないと思いますが、捻挫はクセになるから、戻ったらしっかり治療してください。」

「橋口さんに怒られちゃいます。しばらくはレッスンもお休みですね。」

「栗栖さん達は、普段からファンのために大変な努力をなさっているのですから、神様がお休みしなさいとおっしゃてるんですよ。」


 そう言うと、徹は毛布を抱えて部屋の奥へ移動した。


「どうしたんですか?」

「ああ、すみません。山小屋の間取りを変えることはできませんから、なるべく離れて休みますね。私が栗栖さんの近くで寝ると気になるでしょう?」


 そう言うと、徹は毛布にくるまって横になった。布団までは用意がないため、一枚毛布を床に敷いて、その上に横になってもう一枚にくるまった。歳の差はあっても異性であるりんに気を使ったのだ。りんは申し訳なく思いながらも、毛布にくるまって横になった。徹の言っていた通りで、やはり身体には負担がかかっていたのだろう。初めは固い板の間に眠れるか心配だったが、すぐに深い眠りにつくのだった。


 こうして、遭難初日を終えることになった。

                                       続く


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