ダイイングメッセージ
登場人物
山村瑞恵主任 45歳 服装はいつも紺のパンツスーツで髪は肩辺りまであるが何かしらの形で束ねている。一人娘と義理の母親と三人暮らし。
武田刑事 28歳 主任がいつも真っ先に連れて歩く。
高田有三 40歳 S商事課長 死体の発見者
藤岡恵子 24歳 S商事OL マンション室内で死体で発見された。
Y市警察の山村瑞恵主任と武田刑事が現場のマンションに着いたのは午後3時に近かった。
通報ではマンションの部屋で女性の変死体発見ということだった。
死体で見つかったのは藤岡恵子。S商事のOLだった。発見者はその上司の高田有三。
山村は武田刑事と供に高田に話を聞いた。
「それでは、あなたが今話したことをもう一度繰り返しますね。
……あなたは、藤岡さんが出社して来ない上、連絡もよこさないし、会社から連絡をしても応答が無いのを不自然に思って部屋を訪ねて来たと。
そしてドアのチャイムを押して呼びかけたが返事は無かった。
そのあと何気なくドアのノブを回してみると、鍵が掛かっておらずドアを開くことが出来たので開けて見た。
玄関に入ってまた藤岡さんの名前を呼んで見たが応答は無く、人がいる気配も無かった。
それでさらに部屋に上がって、奥へ行って見るとクローゼットの扉が開いていて、クローゼットの中の横に渡した棒に紐を掛けて首をつった状態の藤岡さんを発見した。
あなたは藤岡さんの首に掛かっていた紐を近くにあったハサミで切り、藤岡さんを床に寝かせて、すぐに救急車などを呼んだが、すでに死亡していた。……そういうことですね。間違いありませんか」
山村がそう云うと高田有三は頷きながら、
「はい、そうです。間違いありません」
高田が頷いて返事をしたのに対して、山村も同じような頷きをしながら「HumuHumu」とハミングのような声を出した。
「高田さんが見たとき、藤岡さんはグッタリとしていて呼びかけにも無反応で、ピクリとも動かなかったんですね?」
「はい」
「そこで藤岡さんを、首に掛かった紐を外して解放してあげた。
……紐を外した瞬間、どうしましたか。藤岡さんの体が下に落ちますね」
「ええ。後ろから脇に手を入れるようにして支えて、床に寝かせました」
「すると、藤岡さんの後ろに回った?
……ああ、すみません。聞き方が悪かったですね。
藤岡さんはクローゼットの中で外向きになっていましたか。それとも奥向きになっていましたか」
「ああ。こちらに向かって前向きに、です」
「そうですか。では前向きだった藤岡さんの体を反転させて、背中側からハサミで紐切ったと。
そして、下に落ちる藤岡さんの体を両脇から手を入れるように支えて床に寝かせた。
それでいいですか」
「はい。そうです」
山村と武田刑事、高田有三の三人は、今は誰もいないクローゼットに向かって遠巻きに見るように話していたが、山村が一歩前に出てクローゼットの中に踏み込むようにしてみせた。
「ここで藤岡さんの首に掛かっていた紐を切ったと。
ハサミは、右手で?」
「はい、右手で使いました」
「右で紐切った。それがあのハサミですね?」
山村が床に落ちているハサミを指さした。
「ええ、そうです。紐を切って、そこに放り出しました」
「なるほど。紐を切ったあと、すぐさまハサミを捨てて藤岡さんの体を支えたと、そういうわけですね」
「はい」
山村はクローゼットの前で、藤岡に話を聞きながら、そこに藤岡恵子の死体があるかのように身振りをした。
「すみませんが、高田さん、今私がやったみたいに、やってみてもらえませんか、簡単でいいですから」
「は、はぁ……」
高田有三は少し気が進まない風に顔を曇らせたが、しかたがないように前に進み、クローゼット前に行くと山村の話に従って身振りをした。
「……ハサミを持って来たあなたは、藤岡さんの体を奥に向かせて首に掛かった紐を切り……そしてハサミを投げ捨て……すぐさま藤岡さんの体を支えて……床に寝かせた、と」
そこまで、高田は云われるとおりに一連の動作をやった。山村と武田刑事は、高田の後ろから注視していた。山村は右に左に、少し角度を変えて高田を見ながら話していた。
高田が状況に合わせた身振りを見せ終わると、山村はまたさっきのように「HumuHumu」というハミングのような声を出して頷いた。
「ところで、高田さんはS商事の課長さんと云うことですから、さすが、いいスーツを着てらっしゃいますね」
山村の声音は一転して気さくな感じを高田に与えた。
「いやぁ。たいしたことはありませんが」
「スーツは、毎朝、奥様が用意なさるんですか」
「ええ。今日はこのスーツとシャツとネクタイと、とか。全部、妻がコーディネートしてくれるんです。私は、着ていると云うより、着せられている感じですね」
高田は恥ずかしげに苦笑いを浮かべてそう云った。
「高田さん。今日はそのスーツの上着を家を出てから一度でも脱ぎましたか?」
山村の声は、今度はまた緊張感を帯びたものになった。高田はその変化に気づいて、今の恥ずかしげな顔はすぐに消えた。
「いえ、一度も脱いでませんね」
「朝、家を出てから一度も脱いでない?」
「……ええ。ええ、脱いでません」
高田は思い返すように考えて答えた。
山村は鑑識課員を呼び寄せた。
「高田さん。ちょっと後ろを向いてもらえますか。
……この状態で写真ね。それから、これ取って。
高田さん、上着を脱いでもらえますか?」
山村は高田の背中を指さしながら鑑識課員に指示をした。高田の顔はみるみる青くなり、自分の背中を振り返って震えた。
山村は高田が脱いだ上着を取り上げた。
「高田さん、今ねえ、あなたの上着の背中から、これを取りました」
山村は袋に入れた毛髪を高田に示した。
「これ。長い髪の毛ですね。あなたのじゃ無い。まあ、見ただけじゃ誰のかは分かりませんけど。たぶん女性ですね。藤岡さんのかも知れません。そうだとしたら、なんで背中に付いてるんでしょう」
「いや、それはたぶん、彼女の体を降ろすときに付いたのでしょう」
高田は慌てた感じを出さないよう、我慢して話しているように見えた。
「そうですねえ。誰の物か。どうして付いていたか。それは、またこれからですね。
……それとね、これです」
次に山村が見せたのは高田の上着だった。
「この上着。見てください。
スーツは奥様が朝用意なさるんですよね?もしそうなら、きっとブラシで埃を払ったり、手入れをなさるでしょうから、これに気づかないことはないでしょうね」
山村が示した高田のスーツの上着の背中には、「八」の字に左右5本ずつ筋が付いていた。
高田有三は、それを見せられると腰が抜けてその場に座り込んでしまった。
のちの捜査で藤岡恵子は高田の愛人だったことが分かった。二人の関係のもつれから高田は藤岡恵子を絞殺し、自殺に見せかけようとしたのだ。
男の背中に爪痕を残す。愛人の最期のメッセージが男の偽りを打ち砕いた。