またいつか
私はいつでもここで待っています。
だからいつか——
「おー、大ちゃん。久しぶりだなー!」
霧の湖のほとり、日中にも関わらず、周囲は名前通り薄い霧がかかり遠くは見通せない。そんな中、氷精のチルノは友人を見つけて声を上げた。
「チルノちゃん、久しぶり」
対するのは緑の髪をサイドテールにして、水色のノースリーブのワンピースを着た大妖精だった。彼女は種族通りの妖精という形容がぴったりの小さな体躯をした幼く愛らしい少女の姿で、幼さにいい意味でそぐわない控えめで、淑やかな笑みを浮かべて答えた。
しかし、今の大妖精はよく見るまでもなく、そんな妖精としては明らかにおかしな体系をしていた。
「ん〜、大ちゃん、なんかおっばい大きいな」
そう言いつつ、幼い体躯におかしな程度には大きな胸の膨らみをチルノはわしっと掴んだ。
「やん、チルノちゃん、そんなに強く掴んだらちょっと痛いよ」
「というか……」
そこでチルノは大妖精の大きく膨れたお腹に気がついた。むしろ胸などよりも余程目立つし先にそちらに気がつくべきところをスルーしていたのは感性が独自のチルノらしいと言うべきか。
「お腹もすげぇデカイぞ!大丈夫か大ちゃん!」
びょーきか?と声を上げる、チルノに大妖精は少し恥ずかしげに微笑んで言った。
「大丈夫だよ。これはね、中に赤ちゃんがいるの」
その言葉に、チルノはキョトンと大妖精を見返す。目線が、大妖精の大きなお腹と顔を行ったり来たりした。
「赤ちゃん?」
「赤ちゃん」
「おぉ!赤ちゃん!」
パンと両手を合わせやっと得心がいったようにチルノは言った。そう言われれば思い出した。人間の女が同じようにお腹を大きくしているところを見た事が何回かある。以前中に赤ちゃんがいるの、と教えてくれてお腹に触らせてくれた人もいた。大ちゃんもそうなのか。とチルノは思った
「そうか、大ちゃんはお母さんになるんだな」
えへへと小さく笑い大妖精は答えた。
「恥ずかしながら」
「お腹、触っていいか?」
「いいよ。優しくね」
その答えを聞くとチルノはそっと大妖精のお腹に手を当ててみた。薄い服を隔ててチルノの冷たい手が触れる。お腹は硬めで、弾力のあるゴムボールのような不思議な感触でおぉ、とチルノが小さく声を上げる。その小さく、冷たいチルノの手の上から大妖精が慈しむように、自分の手を重ねた。
チルノは感触だけ確かると、すぐに手を離した。
——あたいは冷たいから、ずっと触ってたら中の赤ちゃん可愛そうだもんな。
そう言えばと、チルノは思い出した。赤ちゃんがいるということは、大ちゃんはお母さんで……。
「お父さんはいるのか?」
「うん」
大妖精は胸元に手をやって、答えた。
「いるよ」
「大ちゃんの夫か!」
「夫じゃないよ」
思わず小さく笑ってから大妖精は答えた。
「じゃあ恋人か?大ちゃんの恋人なら会ってみたいなぁ」
「そうだね、いつか、紹介するよ」
叶わぬ願いだった。大妖精は男から貰った首飾りを服の上から握る。自然そのものと言える妖精としてはそぐわない人工物なので服の下に分からぬようにつけていた。
ありきたりな、不運で不幸だった。森の中で妖怪に襲われている彼を見つけた時、大妖精は無我夢中だった。必死に戦った。男と二人ボロボロになりながら、それでも妖怪は、妖精としては僅か力が強い程度の大妖精に深手を負わされて、止む無く逃げ去っていった。
凄まじいまでの底力をつくして、大妖精は満身創痍だった、だが男の深手をは明らかに致命傷だった。泣きながら医者を呼びに行うとした大妖精を彼は呼び止めた。側にいて欲しいと。
彼は自分がもう助からないならない事を悟っていたのだろう。彼の願いを聞き入れた大妖精の腕の中でかき抱かれて、二人とも血塗れのまま、だが、男はそれでも満足げな微笑を口元に浮かべたまま逝った。
このまま森に彼を置いておくわけには行かなかった。このまま置いておいては獣や妖怪に喰われて朽ちてしまう、それが嫌で、大妖精は自分より大きな身体の男の骸を肩に担いで歩き出した。側から見てると少女が大人に寄りかかられて潰されてるように見えた。
それでも、大妖精はボロボロの身体で、男を引きずるように満身の力を込めて歩いた。止めどなく溢れる涙を拭わず歩いた。彼を人として弔ってもらいがたいために。
——あの日、口の中で噛み締めた血と涙の味を覚えている
その後、しばらくして大妖精の傷が癒えた頃、妊娠が発覚した。存在が自然そのものの妖精という存在が人の子を孕むなど本来あり得ない、あり得ざる事が起きた奇跡だと言われた。大妖精からすればよくわからなかった、しかし、幻想の地であり得ないを説くのはナンセンスと何やら偉い人達は言っていたのを聞いた。
そう、それははたして奇跡だったのだろうか?そも生き物は死ねば喰われて朽ちて土に還るのが自然ではないか?自然としての妖精がそれを否定して、人としての弔いを望んだ時点でもう大妖精は妖精としての自分を否定していたのかも知れない。
そっと、大妖精はお腹を撫でる。そう、ここに私の生きた証、彼の死を否定する証がある。だから大妖精にとっての全て、彼の子供こそが存在証明。
「なあ、大ちゃんは、結婚するのか?」
チルノが爛漫と問いかけてきた。それにふるふると首を振り大妖精は答えた。
「しないよ」
そも、人間と妖精で結婚するなんて夢物語だ。あるいは彼がいたならば、と仮定の話をしてしまいたくなってしまうが。
もし
もし、また会えたなら
「結婚か、あ」
大妖精が死の見えぬ生を過ごし、生の見えぬ死を通過し、それを数えきれぬほどの永劫回帰の果て。
全ての存在の果ての果て、ミネルヴァの梟も飛び立つ黄昏を超えた、終末。もしそこに会えたなら。
空を仰ぐ大妖精の頬を熱い涙の雫が伝って落ちた。
「……大ちゃん?」
「したい、な」
——だから、だから、いつの日か会える時まで。
「またね」
大妖精はさよならを告げた。