7.お花畑
お待たせしました。よろしくおねがいします!
「さすがにマズったかな……」
朝。クレアは自室で寝間着から制服に着替えながら、溜息を漏らす。
「どうかされたのですか?」
「いや……三日前の襲撃のとき……というかその後にちょっとね」
クレアを守るために魔法を使い、ミサがその負荷で倒れた。襲撃に使用された魔術からクレアはリンドオール王国の刺客の可能性を疑い、しかしその証拠がつかめず悪態を独り言ちた。
そこまでならばまだ良い。問題はその後だ。
クレアは令嬢の化けの皮が剥がれた姿を、よりにもよってプリメラに見られた。しかも剣を喉元に突き付け、従者を心配して差し出された手を振り払った。そういえば挨拶もきちんとしていなかった気がする。
襲撃者をリンドオール王国と関連付ける証拠はない。貴族や王族としての女の戦いでは、クレアの完全な敗北だった。外交問題にされても文句は言えない。家まで被害が及ぶほどではないかもしれないが、クレア個人が処罰されるには十分すぎるほどの行為だった。
「本日は十五時に王宮への招集が掛けられておりますが……学校へ行かれるのですか?」
「行くわ。昼休みに早退する。ちょっと確認しておかなきゃいけないこともあるから」
プリメラがあの後どう動いたか。それを探っておかなくては、対策の立てようがない。もっとも、相手は愚王とはいえ国王である。プリメラの件はこちらにも落ち度がある以上、国外追放と言われればクレアはそれに従うしかできないのだが。
先日とはルートを変え、馬車で学院へと向かう。
クレアの兄たちも襲撃犯の捜索に力を入れてくれているようだが、良い報告はまだ上がってきていないようだった。
窓の外を警戒しながら、しかし今日は何事も無く学園の正門まで辿り着く。
「まぁそんなにすぐに襲ってはこないか……」
クレアが襲撃者ならば、登校し始めてから数日は待つ。警戒に疲れ、同時に慣れが出てきた頃が好機だろう。制服のスカートの下に短剣を隠して持ってきたが、どうやら使わずに一日を終えるかもしれない。
プリメラが登校してきたのは今日も始業の五分前だった。彼女の隣にヴィンセントの姿は無く、授業が始まっても彼は教室には現れなかった。
魔術史の授業が終わり、十分間の休み時間となる。
どうアプローチしたものかと考えていたクレアに、話しかけてきたのはプリメラの方だった。
「クレア様。少々お話……よろしいですか?」
「ええ、構いませんわ」
心の内の動揺は微塵も漏らさず、クレアはプリメラの言葉に頷いた。
二人が向かった先は、学園に併設する庭園だった。紫陽花の花がグラデーションに彩られたそこに、二限開始のチャイムが響く。
白いテーブルと、同じく白い四つの椅子。「紅茶はありませんが」なんて冗談めかして言いながら、プリメラはクレアに座るよう促し、クレアの向かい側にプリメラは腰を下ろす。
「まさかプリメラ様からお誘いをいただけるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「そうですか? わたしは、クレア様とは一度お話してみたいと思っていたんです」
「そうだったのですね。ですがわたしの方も、どう話しかけようかと困っていましたので、助かりました」
クレアは椅子から立ち上がると、背筋を糺し、プリメラに頭を下げる。
「先日は大変失礼をいたしました。窮地のわたしを心配してくださっていたのに……申し開きもありません」
「そ、そんな! クレア様、頭を上げてください! わたしは気にしていませんから!」
……もしかして、本当に動揺している?
丁寧に「ありがとうございます」と礼を言い、クレアは再び椅子に腰を掛ける。
「その……あのときのクレア様は、余裕のないご様子でしたので。むしろお邪魔をしてしまったのではないかと心配していたのです。よろしければ何があったのか、お聞きしても構いませんか?」
「分かりました。それと、わたしは伯爵家の娘ですので『様』は不要です。気楽に呼んでいただいて構いませんわ」
「ん……では『クレアさん』と」
クレアが頷くと、プリメラはどこか嬉しそうに笑った。
(無邪気な笑顔……やっぱり何度見ても、演技には見えねぇんだよなぁ)
けれどクレアとプリメラは、次期王妃の座を巡って争う政敵のようなものだ。ライバルと言うのも生温い。ましてや一度は自分の首に剣を突きつけた相手に、こんな人目のないところで二人っきりで会うなんて、普通に考えれば不用心にも程がある。
見かけによらず、意外と肝が据わってるのかもしれない。
「三日前の朝、当家の馬車が襲撃を受けました。乗っていたのはわたしと侍女のミサ。あとは御者が一人です。襲撃に使用されたのは多重条件魔術式でした。椅子に刺さった氷柱がナイフのように砕けて破裂しましたわ。ミサの機転のお陰で助かりましたが、危ないところでした。魔力を使いすぎたミサは血を吐いて倒れましたが」
ミサの魔法のことだけは伏せて、それ以外は包み隠さず話す。
「そうでしたのね……」
「それでつい、プリメラ様のことを疑ってしまいました。リンドオール王国以外にも件の魔術を使える者はおりますのに……」
クレアは溜息を吐くと、また申し訳なさそうに頭を下げる。
第三王女のプリメラが心配してくれているのだから、犯人はリンドオール王国の者ではないと思っていると、そう見えるように……
「よかったぁ……よく考えればそうですわよね。わたし、クレアさんに嫌われてしまったのではないかと、心配していたんです!」
「えっ……?」
いや、嫌うも何も、婚約者を奪われた時点で大嫌いですが?
「じゃぁわたしを誘ったのって……」
「もちろんご機嫌取りです。今からでも仲良くなれないかなぁと思いまして」
「………………」
うん。アホだ。
肝が据わってるとか勘違い。ただの鈍感だこの女。
「プリメラ様。失礼ですが、鈍いとかそそっかしいとか、脳内お花畑とか言われたことはありませんか?」
「柳のような無敵の精神力とか、そこまでできるのは逆に奇跡とか、姉達にはよく褒められました。プリメラの頭の中には四季折々の花が一年中咲き誇っているんだろうね、なんてお兄様にも言っていただいたことがあります。わたしにはもったいない言葉ですが……素敵でしょう?」
オブラードに包みすぎて何も伝わっていない!!
リンドオールの王族の方々!! テメェら末の妹に甘すぎだろ!?
クレアの心の声などいざ知らず、プリメラは「素敵な兄達なのですよ~」とほんわかにこにこ微笑んでいる。きっと彼女の頭の中にもたくさんの紫陽花が咲き誇っているに違いない。
というか、クレアが目の前にいるのに、自分の世界に入り込まないでほしい。
呆けた顔の王女様の額にデコピンをしてもいいものだろうかと、クレアは本気で考える。きっとプリメラなら、『はうっ、痛いですよぉ』とか言いながら、笑って許してくれるに違いない。
「はうっ、痛いですよぉ」
やってみた。
あまりに予想通りの反応に、笑いがこみあげてくる。駄目……ここはさすがに堪えないと。
「えへへ……でも懐かしいです。国に居たときはよく侍女達が、わたしの額をピンしては面白がっていましたから」
『達』!? 『よく』!? 不敬罪でしょそれ!?
リンドオールの侍女達は、王族のデコで何してんの!?
「あっ、でもやられっぱなしじゃないんですよ。わたしもちゃんと仕返ししてましたから!」
そういう問題じゃない!!
あと、何でそこで嬉しそうな顔をしているの!?
「ああ、すみません、わたしばっかりお話をしてしまって。そういえば、クレアさんの方のお話がまだでしたね」
プリメラが思い出したように言う。
「いえ、そちらは済んでいますわ。わたしの話と言うのは、先ほどの謝罪の件でしたので」
「あら、そうだったのね……本当にそれだけ?」
「ええ……プリメラ様、露骨に肩を落とさないでください。そう言うプリメラ様の方こそ、まだ話し足りないご様子に見えますが?」
「うーん、そうですねぇ……あっ、そうだ。クレアさんにお願いしたいことがありましたの!」
プリメラは椅子から立ち上がると、ポンと手を合わせてクレアに言った。
「ヴィンセント様との婚約のことなのですが、諦めてはいただけませんか?」
「………………はい?」
今度こそ、本気で怒鳴り散らしたい。
ついででする話じゃねぇよ、それ!!
プリメラちゃんの回です。
サブタイは『庭園』ではなく『お花畑』です(ここ重要!!)
物語の中は6月下旬頃。ちなみに紫陽花の色は、土が酸性かアルカリ性かで変わるそうです。