20.嵐の勇者(ヒーロー)
お読みいただきありがとうございます☆
「風よ――――――!!」
細剣を構えたウィンディアが、暴風を背に一気に跳躍してくる。
クレアはその刺突を剣の鞘で受け流し、自身もまた風を利用して素早く身を翻す。
再度、ウィンディアの刺突。クレアは再びの回避を試みるも、「風よ!!」の一声で発生した暴風に押し返され、細剣を剣で受け止めざるを得なくなる。
「発動が……速いっ、」
「負けるわけにはいかないの。だから加減はできないわ」
「あら……ふふっ。随分な余裕ですわね。大丈夫。加減する暇なんて与えるつもりはありませんわ」
ウィンディアを押し返したのと同時、露台に暴風が吹き荒れる。
異常なまでに局所的な嵐。その威力はかなりのもので、歩こうと片足を上げようものなら、そのまま軸足を払われてしまうだろう。
あくまで表情は穏やかに、言葉には余裕を掲げ、クレアは両足で石畳にしがみつく。
冗談じゃない。ウィンディアとの一騎打ちは最初から想定していたし、手ごわいかもしれないとも思っていたが、本当に相性最悪だ。最大の長所である機動力を潰された挙句、魔力の混ざった風のせいで、クレアは魔術を使えないのだから。
「この国を、帝国の好きにはさせないわ!」
「あらあら。わたしは何もしていませんわよ? 賢い国民の皆様が、勝手に自滅へと進んでいっているだけですの。とても扱いやすかったですわ」
「挑発か? ならば覚悟してもらおう。こちらこそ、戯言を言う余裕なんてすぐに無くしてやるんだから!」
追い風に乗り、細剣を振りかぶったウィンディアが跳躍してくる。その異常な速さに、しかしクレアは難なく剣を構える。
高い金属音が響いた。二撃、三撃……風により加速した十六連撃を全て余裕の表情でクレアが防ぎきると、次第にウィンディアの顔が青ざめる。
ウィンディアは今、自分の剣がクレアの剣に吸い寄せられているように感じているはずだ。ウィンディアの剣の腕は確かだが、軌道を読むのは容易い。最善の選択肢をクレアが用意し、その隙を隙としないだけの速さで防御できれば、まるで問題にならないからである。
ウィンディアが風の魔術で剣の軌道を変えても、不意の突風でクレアの身体のバランスを崩そうとしてきても、全て想定内。至近距離で発動しようとした攻撃魔術を発動前に七発連続で不発させ、三十撃目の刺突をクレアも剣の切っ先を合わせることで押し返し、手首を返してウィンディアの喉元に剣を突き付ければ、ウィンディアはようやく悟ったようだった。
三十回防がれた攻撃のすべてで、
クレアがウィンディアを殺すことができたのだということを。
「ウィンディア様。まだやりますか?」
「――っ、当然でしょっ!!」
クレアの剣をウィンディアは弾いて後退。再び剣を構える。
ウィンディアが諦めるはずが無いかと、クレアは安堵の溜息を吐く。
「ウィンディア様は、王様になりたいのですか?」
ガキンと、甲高い音が響く。気づけば吹き荒れていた暴風は消えていて、代わりに風を纏った剣撃が降り注ぐ。
「別に国王になりたい訳じゃないわ」
「ではどうして? 国民を守りたいなんて、そんな理由ではないのでしょう?」
「守りたいに決まってるでしょっ!!」
クレアの剣が押し返される。剣と剣が触れあった瞬間、風の魔力が弾け、クレアは初めて後退を余儀なくされる。先ほどまでとは剣撃の重さが桁違いだったのだ。
「国民達を帝国の好きにはさせない。この国はわたし達のものよ! 土地は小さくても、今はまだ貧しくても、必ず良い国にしてみせる! そのために必要ならば、わたしは国王にもなってみせるわよ!!」
「ふふっ……ウィンディア様。とても面白い冗談ですわ」
「冗談じゃない! わたしは本気よっ!!」
受け止めること二撃。その度に風に押し返される。
けれどウィンディアの剣の特性は掴んだ。クレアは風の流れに合わせて次の攻撃を受け流すと、蹴りと肘をウィンディアに叩き込む。
「ウィンディア様。以前に民草の生活を眺めて、奴隷のようだと仰っていましたわね」
「げほげほっ……だから何よ?」
「その認識が誤りですわ。奴隷というのは、人として扱われないということです。馬車を引く馬のように働くためだけに生かされながら決して愛されることはありません。慰み者となれば幼かろうが孕んでいようが構わず穢され続け、使い物にならなくなれば殺されるか捨てられるかでしょう。玩具のように指を切られたり目玉を抉られたりというのもよく聞く話です。世間知らずの御姫様はご存知無いかもしれませんが、戦争では爆薬を身体に隠し持った奴隷を敵陣まで走らさせるなんて、常套手段なのです。
この国には平民にも魔術が使える人がいますし、奴隷にすればそれはもう高値で売れることでしょう。小悪党が一攫千金を狙うどころか、この国を欲しがる国家も少なくはありません。孕ませて生ませて売り飛ばせば、それだけで国庫が潤うのですもの。それはもう、牛や鶏を育てるのが馬鹿らしくなるぐらいですわ。ふふっ……そんな未来に比べたら、今までだって十分、幸せだったと思いませんか?」
「……何の話をしているのよ?」
「この国の国民達が捨てた、小さな幸せについてですわ」
どうして誰も気づかないのだろうと、クレアは思う。
今まで与えられていたものを当然のものだと思い、それが失われれば憤慨する。
現状への不満を増長させ、僅かな幸せを握り締めている今ですら、不幸のどん底だと思い込む。
一人の男が、必死に今日までそれを守ってきたことも知らないくせに。
国内で暴動が起これば、周辺国はここぞとばかりに一斉に挙兵する。
そうなればこの国の大地は、ピザを切り分けるように占領されて、民草は家畜か物のように僅かな自由さえ奪われる。
それでも未だに他国が攻めてこないのは、偏にロシュヴァーン帝国が提示した『十日』の期日内だからでしかない。しかしそれも今日で終わりだ。帝国の機嫌を損ねないために動けなかった国々も、明日になれば侵攻を開始するだろう。
「この国では、内乱が起こることと滅ぶことは同義なのです。政権が倒れるという意味ではなく、他国に攻め込む隙を与えてしまうという意味で。
知っています? 平和ってタダじゃないんですのよ。当たり前のように感じていても、必ずどこかにそれを守ってくれている人がいるものなのです。ましてやこの小国は、ずっと綱渡りのような危ういバランスの上に存続していたというのに、この場の誰もが気づいていなかった! そこの賢王には同情を禁じえませんわ! ふふふっ……本当に無様ですわねぇ」
クレアは民衆に囲まれたまま地に這いつくばる、傷だらけの国王に嘲笑を向ける。
この場でただ一人、国王グレゴリオの手腕を認めたのは、皮肉なことにも帝国出身のクレアだった。そしてだからこそ言うのだ、「とても目障りでしたわ」と。
「黙れっ!」
ウィンディアがクレアに風の刃を飛ばす。
「暴動を起こさせたお前が言うな、クレアっ!!」
「身に覚えがありませんし、その方達が勝手にやったことですわ」
クレアは風の刃を躱すでなく、剣を添えて軌道を逸らす。
「グレゴリオ陛下は、本来ならば立派な名君ですわ。どこか別の国で生まれたのならば、絶対的な王者として君臨しながらも、民に恩恵を与え、尊敬を集めていたことでしょう。ですが、この国は平民も貴族も、あまりにも愚かだった。わたしは燻っていた彼らをちょっと刺激しただけですわ」
「反乱を扇動しておいて、それが『ちょっと』だと!?」
「いずれ起きていたことですわ」
四方から風の刃と突風が押し寄せる中、剣一本でクレアはそれらすべてをひらりと躱し、受け流し、舞うように一歩ずつウィンディアへと距離を詰めていく。
「魔力持ちの国民を抱える元首が、どれほど難しい舵取りを強いられるか、想像できまして? 国民の力を削ぐことで反乱の芽を潰すというのも、口で言うほど簡単ではありません。暴動が起きれば侵略が始まる。戦争が起きれば、たとえ勝っても国民の不満が爆発する。だから、強国である帝国と引き分けたという事実が、国外の勢力を牽制するために必要だったのですわ」
それほどまでに、三年前のリンドオール王国は危機的状況にあったということだ。そしてその危機に気付いていたのは、国王グレゴリオと宰相ジルドぐらいのものだったのだろう。
だからこそ、
「それが例え、帝国の皇后陛下と皇女殿下を誘拐することになろうとも」
「――――――っ、」
禁忌の手段に訴えるしかなかった。
三年前の戦争が、リンドオール王国が帝国に勝つためのものならば、敵国の皇后と皇女の両方を軟禁状態とはいえ手厚く待遇していたことと矛盾する。
真の目的は、皇后と皇女を人質にして脅迫し、帝国と引き分けたという事実を作ること。
戦況が苦しくなってから誘拐したのではない。誘拐も含めて計画の一部だったのだ。
「わたしには、この国が今日まで存えてきたことが既に奇跡のように思いますわ。それなのに……資料を調べましたが、国王がグレゴリオ陛下に代わってから、飢餓で亡くなる人が三分の一にまで減ったのです。陛下も決して無関心ではありませんでしたのよ? それに加え、陛下は王家の威信を保つために――国内の反発を防ぐために、愛する娘さえ切り捨ててみせました。
ウィンディア殿下。これほどの賢王の後を、本当に継ぐ覚悟があるのですか?」
すべての攻撃を薙ぎ払い、クレアはウィンディアのすぐ目の前まで辿り着いていた。
剣をウィンディアの喉元に突き付け、冷たい表情で、クレアは言い放つ。
「王になれば、あなたは殺されるわ。与えた恩恵はすぐに当たり前のものと思われるでしょう。ほんの僅かな落ち度があれば、民草はまた今回と同じことを繰り返す。
餓死者を三分の一に減らし、十年以上この国を侵略から守ってきたあなたの御父上でさえ、そうだったのです。それでもお気持ちは変わりませんか?」
「変わらないわ」
「こんな身勝手な民衆のためにその身を差し出すなど、馬鹿げているとは思いませんか?」
「何を言っても変わらないわよ」
ウィンディアが細剣を強く握り直すのが見えた。
喉元に剣を突き付けられ、勝機なんて微塵も無い状態で、それでもウィンディアはクレアを睨み返したまま叫ぶ。
「この国をあなたの思うようにはさせない! 何処の国にも好き勝手にさせれてたまるかっ! わたしはこの民衆達の王族で、この国の王女なのよ! この国の者達が再び暴動を起こし、それを機に他国からの侵略を受けることになったのなら、共に滅ぶ覚悟ぐらいはできているつもりよ! でもそれは今じゃない!!
これは決闘よ、早く殺すがいいわ! けれどその瞬間にわたしもあなたの胸を貫いてみせる! そうしたら次期国王はアクエリア姉様よ! 断じてあなたではないのよ、クレアっ!!」
ウィンディアは逃げなかった。王族に牙を剥いた民衆達のために、それでも自分の命と引き換えにクレアと刺し違えると言い放った。
クレアは自分の頬がいつの間にか笑っていることに気付く。
やはりウィンディアならば、そう言ってくれると思っていた。どうやら自分は、ただの打算ではなく、心からそれを喜んでいるようだった。
「もうやめてくれっ!!」
民衆の中の一人から、声が上がった。
「俺達が間違っていた!! 何も知らなかったんだ!! だから……ウィンディア様を助けてくれっ!!」
「無知は言い訳にはなりませんわ。この国に来て一月程度のわたしですら、少し考えれば気づけたことなのですから」
「もう間違えない!! だから、だからっ……」
「ウィンディア様を助けてください! お願いしますっ!!」
「私達のことを、こんなにも思ってくれていたなんて……」
「もう勝敗は決したでしょう!? 命だけは、どうか、どうかっ!!」
民衆達の声にクレアは穏やかに微笑むと、剣を鞘に納める。
そして膝を着き、騎士の礼を取ってウィンディアに告げた。
「わたしの負けです、ウィンディア様。
王位継承権第一位は、殿下、あなたのものですわ」
「えっ……クレア?」
ウィンディアがきょとんとした顔をする。
何が起きているのか分かっていないのは民衆達も同じで、呆けた顔をしたままクレア達を見上げている。
クレアは上品に礼をすると、すっかり毒気を抜かれてしまった暴徒達へと微笑んで言った。
「皆様。わたしはロシュヴァーン帝国のアメストリア家長女、クレア・アメストリアです。この度、ウィンディア殿下を謀ったことを謝罪いたします。
ですが、先ほどのウィンディア殿下の言葉はすべて本心です。此度の一件、この国の皆様には必要なことではなかったでしょうか?」
民衆達、そして貴族達の大部分がうんうんと頷き、
「本当、ガキかよって思ってしまうぐらいに、手がかかることですわ。愚鈍で視野が狭く自己中……わたし、あなたたちのことは本当に大嫌いですのよ? ここまでしないと気づけないとか、幼稚すぎて胸糞悪いですわ」
そして再び、彼らの顔が唖然としたものになる。
「ですが……ウィンディア様は尊敬しております。責務に忠実なだけでなく、民草も思いやることができる、立派な王女殿下ですわ。殿下があなたたちを大切だと言うのですから、わたしはこの国から手を引かせてもらいます。
国民の皆様がウィンディア様を裏切ることがありましたら、ガチでこの国を地図から消しますので、くれぐれもよろしくおねがいしますね? ……お返事は?」
「「――は、はいっ!!」」
そしてクレアは露台から飛び降りると、「ちょっとそちらの陛下をお借りしますわね」と、背筋を伸ばした民衆達の足元から国王グレゴリオを拾い上げて医務室へと駆けた。
「はぁ……まるで嵐のような女だな」
「陛下。それはウィンディア様に言ってあげてくださいませ」
「断らせていただく。愛娘だ、目に入れても痛くないわい」
「親馬鹿ですわね。まぁわたしの家族も似たようなものですが」
「……反抗期か?」
「反抗期で国家転覆未遂を二回も致しませんわ」
「は!? 二回目なのか!? ……痛たたっ」
国王グレゴリオの傷はかなり深かったように思うのだが、軽口が叩けるのならば大丈夫だろう。
医務室のベッドへブン投げたときも「ぐえっ!」と大きな声を上げていたので、まだまだ余力はありそうだった。
その場にいた治癒術師達は目を見開いて顔を真っ青にしていたが、後はクレアの知ったことではない。「ではよろしくお願いします」と形だけの礼をして、クレアは医務室を後にする。
「……感謝する」
扉が閉まる直前に聞こえた声は、とても暖かいものだった。






