17.最優の魔術師
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「ウィンディア様を開放しろぉぉぉっ!!」
王都の入口で、幾つもの叫び声が重なっていた。
「ウィンディア殿下は無事なのかっ!? 一目だけでも会わせてくれぇぇっ!!」
「何が押収だっ!! 今までだってどれだけ……王家の横暴にはもううんざりだっ!!」
「ふざけるな国王っ!! 自分が助かれば、国民がどうなっても良いって言うのかっ!?」
「賠償金だって、王家の自業自得だろうがっ!! これ以上俺達から奪うなぁぁっ!!」
「グレゴリオを殺せ! 王族を殺せっ!! 玉座をウィンディア様に捧げるんだっ!!」
「王族が何だっ!? 貴族が何だっ!? 貴様らには人の心が無いのかぁぁぁぁっ!!」
武力を用いた強制的な接収に、最初に怒りを顕わにしたのは農民達だった。
『今まで散々俺達から奪っておいて、まだ奪うのか』『あの生活に戻るのは嫌だ』『飢えて死んでいく子供をもう見たくはない』と。
強引に金や貯えを持ち去っていく兵士達に、最初は言葉で反論するだけだった。
それに追い打ちをかけたのは、わざと五日ほど遅らせた新聞報道だった。
『ウィンディア王女が国王に直談判しに行った日から行方不明になっている』
『言い争う声を王城の使用人が聞いていたが、大きな音がした後、それはぴたりと止んだ』
そんな内容を、国王があの場で言っていた言葉を添えて、三つの新聞社が同時に報道したのだ。
農民達の怒りは爆発し、鍬や鋤を手に王都へ進攻を開始した。
彼らにとって、第二王女ウィンディアは、自分達を見捨てずに食料や金銭を恵んでくれた大恩人だ。中には飢えて死にかけていた者もおり、聖女と呼ぶ人まで現れる始末である。
その噂は、クレアによる多少の誇張と印象操作を経て、今や国中に広がっていたのだ。
実はクレアは、『ウィンディア殿下が城内に幽閉されているかもしれない』と噂を流していた。新聞報道のタイミングをその翌朝にブチ当てれば、物の見事に一斉蜂起の完成だ。
大義名分を――『正義』という心の支えを得た暴徒は何よりも恐ろしい。
人口の六割を占める農民達が、王都の守りを突破して王城まで押し寄せてくるのも時間の問題だった。
そんな農民達に武器と食料を提供したのは、実は商人達だった。
商人達にとって、金と商品は命と等価である以上に、家族の命であり、誇りでもある。
どうせすべて奪われるのならばと、先見の明を持つ数名の商人が、武器と食料を優先的に隠すよう声を掛けて回っていたのだ。
また、反乱の中には貴族の姿も少なからず混ざっていた。
圧倒的に人数差のある戦局で、王国軍が押され始めると、私兵を抱えた貴族達が挙兵したのだ。一部の貴族と私兵達が人頭指揮を執り、さらに進軍の速度は速くなる。
「「ウィンディア殿下を開放しろぉぉぉっ!!」」
「「グレゴリオは玉座を明け渡せぇぇぇっ!!」」
「「聖女様以外の王族は全員殺せぇぇぇっ!!」」
王都の外壁を越えて、王城までもその声は響いてきている。
その様子に国王グレゴリオは憤り、また先ほど一発、感情と同時に魔術を暴発させた。まだ人の居ない場所を選べる分別は残っていたようだが、次は分からない。兵士や使用人達は我先にと、国王の傍から逃げ出していた。
そして第一王女アクエリアも、誰に助けを求めることもできず、自室でただ震えているしかなかった。
「何……何よ、何よ何よ何よ何よっ! どうしてこうなったの……ねぇねぇ何よ、何なのよこれはっ!!」
アクエリアは喚き散らす。
侍女達は部屋から追い払った。今の自分がどれほど無様かは、自尊心の高いアクエリア自身が一番よく知っている。それでももう、この不安には耐えられないのだ。
アクエリアは魔術の才能に恵まれてきた。水の魔術を自在に操り、熟練の兵士十人を相手にしても後れを取ることは無かった。
リンドオール王家に生まれたアクエリアにとって、この強さは誇りなのだ。血筋と、才能と、そしてそれ以上に、王家秘伝も術式を使いこなせるまでの厳しい鍛錬と努力が、紛うことなくアクエリアを自他共に認める『特別な存在』へと押し上げていた。
そんなアクエリアは、いままでここまで恐怖したことは無かった。
それがましてや、汚くてみすぼらしいと見下してきた平民を相手にだなんて……
「違うわ。怖くなんかない……今は少し動揺しているだけよ……」
少し落ち着こう。そうでなければ考えなんて纏まらない。
侍女達は追い払ってしまったので、水を一杯飲むのにも厨房まで足を運ばなければいけない。しかしそれもちょうどいいと思えた。部屋の中でじっとしているよりは、よっぽど気が紛れるはずだからだ。
そして、アクエリアが部屋の扉を開けると……
「ごきげんよう、殿下。お久しぶりですね」
今、最も顔を合わせたくない女が、待ち構えるようにそこにいた。
侍女服に身を窶し、そんなものでは到底隠し切れない気品さを醸し出して恭しく礼をしたのは、クレア・アメストリアだった。
「チッ……邪魔よ」
今はクレアに構っていられる気分はない。しかしアクエリアが歩き出そうとすると、クレアはすっと、表面上は穏やかな笑みのままアクエリアの行く手を阻んだのだ。
「残念ですが、お通しすることはできませんわ」
「はぁ!? 何なのよ、何も企んでなんかいないわよ」
自分はただ厨房に水を飲みに行こうとしただけだ。それでもクレアの言葉に従うのは癪で、突き飛ばしてやろうかと思ったが、
「開戦なさるおつもりなのでしょう? 一昨日から陛下が秘密裏に、城に魔術師団を駐留させているのは知っています。国境沿いに展開している帝国軍へ奇襲をかけるおつもりでしょうが……そうはさせませんわ」
クレアの言葉で、目の前の靄が一気に晴れた気がした。
そうだ。賠償金など踏み倒せばいい。
魔力をほとんど持たない帝国人など、魔術の王国の敵ではない。三年前に互角に渡り合ったというのは、指揮官が愚図で無能だったからに違いない。
「ふっふっふ……」
だけど自分は違う。この第二王女アクエリアが、帝国軍など完膚無きまでに叩き潰してやる!!
そうしたら帝国の皇族貴族全てを裸磔にして、国民全員を奴隷にしてやる!!
アクエリアは右手に水の鞭を展開すると、廊下の壁へとクレアを叩きつける。
「ねぇねぇ、今は気分が良いから、その程度で勘弁してあげる。ふふっ……でも、あなたには感謝しないとね。だから近いうちに、とぉっても素敵な景色を見せてあげるわよ! あーっはっはっはっ!!」
倒れたまま動かないクレアに唾を吐き捨てると、アクエリアは高笑いしながら兵舎へと向けて歩き出す。
クレアの口元が深く笑っていることに、アクエリアは気付かなかった。
「今こそ雪辱を晴らすときよ!! 卑劣? 脅迫? そんな手段が無くても我が国は帝国などに負けはしないわ!! 全軍、続けぇぇぇぇぇっ!!」
王城の裏門から、一斉に馬が飛び出した。
アクエリアが剣を掲げ、三千人から成る魔術師団が一斉に国境へ向けて駆けだしたのだ。
そして三時間後。国境に広がる草原で、再びアクエリアは檄を飛ばす。
「第一王女アクエリア・リンドオールの名のもとに、ロシュヴァーン帝国へと宣戦布告する!! 総員、構えっ!!」
狙いは、二百メートルは離れているであろう位置の、駐留中の帝国軍。
帝国軍は臨戦態勢をようやく整えだしたところだったが、アクエリアはそんなのを待ってやるつもりはない。
速く準備を終えた者が牽制で放ったのか、数本、矢にしては太いガラス細工のような物が飛んできたが、はっきり言って脅威ではない。
何故ならこちらは、三千人が同時に魔術を放てるのだから。
炎の術式が、水の術式が、風の術式が、土の術式が、三千発分同時に展開する。
「敵は所詮、剣と弓しかもたない劣等種族よ! 総員、放てぇぇぇぇっ!!」
「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」」
アクエリアの怒号に呼応するように、魔術師達が叫ぶ。
そして……
「………………ん?」
「あっ……あれ!?」
「どうなってんだこりゃ!?」
「どうしたのよ、早く撃ちなさいっ!!」
アクエリアに睨まれた魔術師が、「違うんです、殿下」と慌てて答える。
「魔術が……魔術が発動しないんです!!」
「なっ――――――、」
そのとき、一騎の白い馬がアクエリアの前で足を止める。
その馬に跨るのは、ブロンドヘアに翡翠色の瞳をした小柄な少女。
可愛くて、優しくて、性根は強かで、けれど魔術の資質に恵まれなかった、王族としての欠陥品。
いくら甚振っても笑顔を返してきた、気色悪い五歳下の妹。
アクエリアはそんな妹が大嫌いだった。
ようやく国から追い出せたと思っていたのに……
「どうしてあんたがここにいるのよっ!! この出来損ないがっ!!」
「そういう悔しがる顔が見たくて来たんです。お久しぶりです、お姉様」
そう言ってプリメラ・リンドオールは、とても楽しげに笑った。
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「そろそろかしらね……」
王城の使われていない一室で、無断で拝借したワインを傾けながら、クレアは西の空を見る。
今頃はアクエリアの率いた魔術師達と、帝国軍が対峙しているはずだ。
魔術師が相手となれば多少は梃子摺るだろうが、それでも帝国軍の勝利は揺るぎようがない。
何故なら……
「ふふっ。アクエリア、あんた程度が敵うわけないじゃない?」
何故なら帝国軍には、クレアの知る限り最優の魔術師が付いているのだから。






