1.婚約破棄(裏)
2つ合わせて第1話です。
お楽しみいただければ幸いです。
「あなたとの婚約は破棄させていただく!」
六月二十日。四限目が終ってすぐの、セントアンジュマリア学園にて。
授業の道具を仕舞い、クレア・アメストリアが、学食へ向かおうと廊下に出たときのことだった。
クレアを待ち構えていたかのようなタイミングで声を掛け、強引にその腕を引いてきたのは、ヴィンセント・ロシュヴァーン第一皇子。藍銅鉱のような澄んだ青い瞳に綺麗な金の髪をした、クレアの婚約者だった。
普段は温厚なヴィンセントだが、今日の彼はどこか怒っている様子だった。
クレアの予想は当たっていたようで、続けて先ほどの言葉である。
学園の生徒達が大勢行き交う目の前で、婚約の破棄を宣言され、クレアは困惑する。
(こういう時、『お嬢様』って生き物はどういう態度をとるんだったっけなぁ……)と。
クレア・アメストリアは、辺境伯の家の伯爵令嬢だ。
いつの間にか親同士が決めていた結婚に、まぁそこまで抵抗は無かった。むしろ良い噂の絶えない第一皇子との婚約が転がり込んできて、ラッキー程度には思っていた。
辺境伯の領地というのは場所によっては国防の要となり、その場合、通常の伯爵家よりも大きな権力を持つ。クレアの家はまさにその典型例だった。
本来、アメストリア家は武門の家系であり、クレアは幼い頃から剣術や武術、軍師の用いる兵法などを学んできた。
それでも婚約が決まってからは、貴族令嬢としてどこに出しても恥ずかしくないレベルの教養を身に着けて来たし、ヴィンセント皇子の力になれるよう、政治や経済についても手を広げて熱心に勉強をしてきた自負もあった。必死に努力してきたのだ。
とまぁ、可愛らしく言ってみたものの、ぶっちゃけ家のためだ。
ちなみに当の皇子様は、優秀だけどクソ真面目で、冗談を言わないうえに言われても気づかないと来たモンだ。
尊敬するし認めもするが、恋? 愛? はぁ!? って感じである。
「そんなっ……ヴィンセント様。どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」
(えっと……こんなモンか? 分からねぇ。ってか、自分の言葉に寒気がしやがる! 体中が痒くなってきてんだけどよ、あってるよな、こういう反応で!?)
「は、放せっ!!」
クレアが袖に縋り付くと、ヴィンセント皇子はクレアを振りほどこうと袖を引く。
その拍子にクレアは足を縺れさせ、壁に体をぶつけて床に倒れた。
さすがにマズいと思ったのか、ヴィンセントが手を差し伸べてくる。
「済まない、さすがに今のは……」
「ひぃっ!」
怯えたように、クレアは身を守るように腕を上げて後ずさる。
えっ、転んだの? もちろんわざとですよ?
「あの、その……わたし、ヴィンセント様に嫌われるようなことをしましたでしょうか?」
そう聞くと、ヴィンセントの表情が途端に険しいものに変わる。
「身に覚えがないというのか?」
「あの……仰ってる意味が……」
うん、これに限っては本当に無い。
結構真面目に『お嬢様』の皮を被っていた自覚と自負はあるのだ。
そのとき、すっと、一人の少女がヴィンセントの袖を掴む。
「ヴィンセント様。あの……もうそれぐらいで」
そう言ったのは、隣国の第三王女、プリメラ・リンドオールだった。
ブロンドヘアに、優しげな翡翠色の瞳をした、ふんわり可愛い系の少女である。編入して二ヶ月ほどだというのに学園内での交友関係は広く、何より庇護欲をそそるのか、常に男子生徒が目線を向けている。まぁ確かに可愛いことには変わりないが。王女という権力に取り入ろうとしているのか、取り巻きのような女子達もいる始末だ。
(おい王女様、気づいているか? そいつら今は味方だけど、都合が悪くなったりすると、手段を択ばず速攻で牙剥いてくるぞ)
そんなことを表情には出さないように意識しながらクレアが考えていると、クレアを睨んでくるヴィンセントと目が合った。
クレアは怯えるような素振りで目線を逸らす。ああめんどくせぇ。
「クレア。君がこのプリメラに酷いことをしているのは知っている。彼女の教科書を破ったことも、」
(いや、あれはわたし被害者だし。プリメラの取り巻きにわたしの教科書を破られたから、プリメラのと擦り替えただけだっての)
「校舎裏で彼女を恫喝したことも、」
(は? 自分の婚約者に付き纏う女がいたら、呼び出して制裁を入れるのは普通じゃね? むしろ二人だけで穏便に済ませてやろうって、こっちは手も上げちゃいねぇよ。何がいけねぇってんだ?)
「『学園には男を漁りに来た』なんて噂を流したことも、」
(いやそれ事実だから! わざわざ噂を流すまでもなく、学園の全員が知ってるから! 王位なんて継ぎようのない第三王女が、外交のために嫁ぎ先探しに来てんだよ! まんまと漁られたのがわたしの婚約者だけどな!!)
「全部君の仕業なんだろう? ひどい人だよ、君は」
「そんなこと、ない……」
(むしろ酷いのはテメェだ、この馬鹿皇子!! 軍事的にも経済的にも、我が国ロシュヴァーン帝国と隣国リンドオール王国では圧倒的にウチの方が有利だっての! 戦争したら十中八九で圧勝よ。ンな国と仲良くするなんざ、あっちが得するだけじゃねぇかよ!
どうせ『互いの国の平和と発展のため』なんて綺麗言にほだされたんだろうが……誰だ、この頭ン中がお花畑の皇子様を優良物件だと吹聴した奴は!)
ああもうどうしよう。滑稽すぎて笑えて来たんだけど!!
「君はもっと聡明だと思っていた。残念だよ」
「………………」
(お前がな!! それ完全にブーメランだから!!)
クレアは言葉を選ぶ余裕が無くて、言い返すことができなかった。
膝を床に落とし、肩を震わせて苦しそうに笑い声を堪えながら、声を漏らした。
その細い指で今にも笑い出してしまいそうな顔を覆って蹲るクレアの心の内を、察することができたものは此処にはいない。
誰もがクレアは悲しみに打ちひしがれていると思い込み、声を掛けることができた人はいなかった。
(辺境伯の令嬢をナメんじゃねぇよ、温室育ちの坊っちゃんが。落とし前つけてやっから首洗って待ってやがれ!!)
そして翌日。
学園内はこの話で、しかし別の形で持ち切りとなるのだった。
(裏)までお付き合いいただき、ありがとうございます!
ちなみに主人公はクレアです。
こんな話を読んでみたい、書いてみたいと思っていたのですが、皆様いかがだったでしょうか?
もし気に入っていただけたなら、感想、評価等で教えていただけたら嬉しいです。
一週間程度、毎日17時投稿が続きます。是非よろしくお願いします!