13.軽口 ~猫は脱走しました~
『猫を探しています。おしとやかで礼儀正しく、数日前までクレアという伯爵令嬢が頭にかぶっていた猫です。謁見の間にて長話をしていた際に姿が見えなくなり、それきり帰ってこなくなりました。連れ戻してくださった方には謝礼を支払います。連絡は王宮まで』ドルムンド・ロシュヴァーン
「うん、こんな感じかしら!」
クレアはドレスの袖に腕を通し、背中のファスナーを閉めて、鏡の前でくるりと一周回ってみた。
やればできるじゃない!なんて思っているクレアに、彼女の専属侍女であるミサが大きくため息を吐く。
「0点です、お嬢様。布地に皺はできてしまっていますし、肩の位置は左右でずれていますし、スカートの裾が萎んでしまっているのも減点です。ドレスを着た後には髪が乱れますので、それを整えて化粧を直して、ドレスの色に合った装飾品を選んで身に着けるまでが身だしなみです」
「うっ……ミサ、判定厳しすぎないかしら?」
「激甘でつけてもマイナス20点です。お嬢様のドレス点は、私財を全部投げ売っても返しきれない借金状態です」
「そんなっ!? 駄目よ、ベアトリスは絶対に売らないわよ!?」
ちなみに『ベアトリス』とは、身長120センチのクマのぬいぐるみである。
今はミサが丹精込めて整えたベッドの上に腰を下ろし、愛くるしい瞳でクレア達が言い合うのをじっと眺めていた。
「うーん、やっぱり一人じゃ無理なのかな……」
「ドレスはもともと一人で着るようにはできておりませんので。そういうタイプのものをあえて選ぶのも、社交場においての一種のステータスなのです」
「貴族の感覚ってわからないなぁ……そもそもこんな服、刺客に襲われたら反撃するのに不便じゃない」
「普通の令嬢は反撃などしませんので。その場で殺されるか、誘拐されて売り飛ばされるかです」
「最悪……わたし、普通の令嬢じゃなくてよかったと心から今思ったわ」
ミサの見事な手腕によって、非の打ちどころしかなかった服装が、社交場としての完璧な装いへと整えられる。クレアの場合は、スカートの下にいつも通り短刀を仕込んで、身支度完了だ。
侍女の一人が、ヴィンセントが迎えに来たことを知らせに来て、クレアとミサはエントランスへと向かう。
「クレア。とても素敵なドレスだね」
「ヴィンセント様、ありがとうございます。それと、先日は素敵な贈り物についても、ありがとうございました」
「気に入ってもらえたようで安心したよ。では行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
ヴィンセントに手を引かれて、皇族の紋章の入った馬車に乗り込む。
クレアとヴィンセントは向かい合って座る形となる。「すみません、乗り物酔いしやすいもので」と嘘を吐いて、クレアは後側の席に座った。窓の外が見やすく、襲撃に対処しやすいからである。
馬車がゆっくりと走り出す。行先は皇族所有の舞踏会館だ。
「それにしても意外でした。ヴィンセント様がわたしのドレスを褒めてくださるなんて」
クレアは笑みを捏造りながら言う。
「面白いことを言うね。『わたしの機嫌を取れ』と言ったのは君ではなかったかい?」
「ええ。ですから、よくもそんな度胸があるものだと。『醜女はとりあえず服を褒めろ』と言うではないですか」
「そんなつもりは無いよ。君の外向けの顔にぴったりと合っていて、見ている分にはとても美しいと思う。ほら、紛れもない本音であり、褒め言葉じゃないか?」
こんにゃろう……
「ですが、贈り物については本当に感謝しています。わたしの好みをご存知だったこと、正直、意外でしたわ」
「真剣に君と歩んでいこうと思っていた時期が、俺にもちゃんとあったんだ。それぐらいの情報収集はしていたさ。武門の家系だからと、欲しくても買ってもらえなかったのだろう?」
「ええ、その通りです。ところで今、わざと話を過去形にしましたわね?」
「今も違うとは言っていないよ。言っていないだけかもしれないけどね」
「……わたし、試されていますか?」
「というか確認だな。君は私欲では動かないタイプだろうと俺は見ている。君の狙いは政治への干渉だろう? 個人の感情に政治を使うような人物ならば、王宮に出入りさせるのは危険すぎるからね」
「まさか。あの愚王を放置することこそ危険ですわ」
「ふふっ……」
ふと、ヴィンセントが笑う。
自分は何か面白いことを言っただろうかとクレアが首を傾げると、「ああ、済まない……くくっ、」とヴィンセントが謝る……謝ってるんだよね、これ?
「なんか、初めてだと思ってさ」
「何がですの?」
「七年間、事あるごとに顔を合わせてはきたけどさ……こんなことがあって初めてさ」
ヴィンセントが言う『こんなこと』とは、婚約破棄騒動から続くクレアの皇帝脅迫までを言っているのだろう。
どこかすっきりとした顔で彼は言う。
「裏表のない君の言葉を、ようやく聞けた気がした」
「――――――、」
言われてみれば確かに、クレアはヴィンセントの前で本音を語ったことはほとんど無かったかもしれない。令嬢とはどうやるべきか。どのようにしたら事が上手く運ぶか。そんなことばかりを考えていた気がする。
婚約者として七年間の付き合いだ。きっとクレアのそういったところを、ヴィンセントに見抜かれていたのだろう。他人の考えを見抜くことには慣れていたつもりだったが、いざ自分が見抜かれていたの知るのは、思いのほか恥ずかしいものだった。
「……ちなみに、ヴィンセント様は、プリメラ様のどこを気に入られたのですか?」
「優しいところと、裏表がないところだよ。自分にも他人にも厳しい君とは正反対だろう?」
「わたしへの当てつけですか? 確かに、あそこまで甘やかされて育ちながら、人として優しく成長できた王族というのは稀有だと思いますが」
「いい女だろう?」
「ですが正妻はわたしです」
「それでは側室に取れと言っているように聞こえてしまうよ」
「ご冗談を。そういった類のことを口にしていますと、いつか背中を刺されてしまいますわよ? ……今がよろしいですか?」
「悪かった。さすがに調子に乗りすぎたよ」
けれど、プリメラのことが気がかりなのはクレアも一緒だった。
嫌いだけど! 大嫌いだけど!!
それでもヴィンセントがプリメラの味方をできなくなってしまうというのは、この国での彼女の味方がいなくなってしまうことを意味する。
(クソっ……外交上マズいからだかんな?)
「ヴィンセント様。会場に着いたらプリメラ様にも挨拶をお願いします。わたしも角を立てたりはしませんので」
「それは助かる。無理を言ってエスコートはガイルに頼んだが、彼も婚約者がいる身だからね」
「宰相閣下の御子息でしたね。殿下の親友と記憶していますが」
「ああ。婚約者も話の分かる令嬢だったから助かったが、今度何かで埋め合わせをしないとな……」
溜息を吐くヴィンセントを他所に、クレアは別のことが気になり始めていた。
(……空気が変わったな)
どこからか見られている。
クレアはスカートの下の短刀を握ると、窓の外を睨んだ。
「本当に、大胆なことですわね……」
そろそろかと、クレアの勘が腰を浮かせる。
同時に飛来したのは魔術の氷柱だった。
クレアが右腕を窓の外に突き出してそれを迎撃。確かな手応えの後、しかし続くはずの第二撃に備えて馬車の中へ後退する。
「な、何だこれは!?」
「黙って!!」
破裂した氷柱が、無数の氷のナイフとなって飛び散る。けれど馬車の窓の外で破裂させたので、そのうちクレアの方へと飛来するのは極少数だ。
クレアはヴィンセントを背に庇い、十二本のナイフを短刀ですべて叩き落す。
(これは……手応えが無い……)
まるで粉雪のように軽い。これでは当たったとしても薄皮一枚、もしくは服の生地を傷める程度しかできないだろう。
「クレア、今のは……」
「ご迷惑をおかけしました。おそらく狙われたのはわたしです。詳細は分からないのですが、以前にも同様のものを受けたことがありまして」
「いや、それでも庇ってくれたことは助かった」
「わたしはアメストリア家の娘でしてよ。国家と皇族を守るのは当然ですわ」
「ん……皇族を守るのが当然? 父は君のことをトラウマのように怯えているのだが」
「どちらかしか選べないのならば、国家を選んで皇族を切り捨てると言うだけです。それに、義務として守ることと、仕え甲斐を感じることとはまた別ですわ」
「ははっ……取り繕わなくなった君は本当に容赦が無いなぁ」
「ヴィンセント様……笑っている場合ではないのですが。あと、これでも手加減をしているつもりです」
「………………引き続き、お手柔らかに頼むよ」
先ほどの攻撃は陽動ではないかと窓の外を観察し続けたが、攻撃が続くことは無かった。
馬車を降りてから建物に入るまでの間も襲撃されることは無く、無事にクレアはヴィンセントに手を引かれて舞踏会館へと到着した。
ちなみに警護の担当は第一騎士団。
隊長のガイストに襲撃の件を伝えると、ガイストは重い溜息を吐いた。
「あいつら絶対に暴走する……ここ数日、イノシシかってぐらいに前向きなんだよ、危なっかしい意味で」と。
生き生きしたクレア嬢。書いていて楽しいです。
次回はとうとうパーティです。クレアさん、楽しんできてくださいね。






