9.無双乱舞
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時刻は遡って午後の二時。
王宮に併設された第一騎士団の訓練場に、クレアは足を運んでいた。
洗練された動き。基本に忠実な構え。第一騎士団は王族の親衛隊だ。一人に注目してさえ立派なその佇まいは、百人全員の動きが寸分なく揃うと圧巻である。相当な訓練を積んでいることが、訓練の光景を初めて見たクレアにも容易に想像がついた。
そして、それだけに……
「もったいない……ですわね」
「ええ、そうですね」
クレアの声に、侍女のミサは頷く。
第一騎士団は貴族の次男や三男で主に構成されている。剣術の腕もさることながら、それ以上に家柄が物を言わせている。名を連ねるだけでも名誉な部隊。七年前の北との戦争でも、三年前の東との戦争でも、国内にとどまり続けた国防の最後の要。
しかしだからこそ、訓練の内容は形骸化し、北方の辺境伯の令嬢としては、彼らの努力に見合わぬ成果が腹立たしかった。いざ戦争が起きて攻め込まれたときに、スラム街の破落戸程度にでも使える者がどれほどいるだろうか。
「おや。そこにいらっしゃるのはクレア嬢ではないですかな? それとミサさんだったか。久しいな」
そう声を掛けてきたのは、第一騎士団長のガイスト・アベンスト。元は侯爵家の次男だったはずだ。クレアの父であるゼレニアとは旧知の仲であり、戦友。クレアも何度か会ったことのある、藍髪碧眼のマッチョおじさんである。
かなりのキレ者で、我儘な者が少なからず混ざるはずの貴族令息達がこれほどまでに規律正しく訓練に勤しんでいるのは、間違いなくこの男の功績だろう。
「ごきげんよう、ガイスト様。申し訳ありません、訓練のお邪魔をするつもりは無かったのですが」
「構わねぇですよ。美女がふらりと現れた程度で気を乱す奴は、ウチの隊にはおりませんので」
「それは頼もしいですわ。ですが皆さん、とてもきれいな身体をしていますのね。ガイスト様、何かお困りのことはありませんか?」
「おや、見抜かれちまってますか! さすがはゼレニアの娘ですな!」
そう言って隊長は大声で笑った。
この隊の弊害は、実戦経験の少なさ。
それこそ見目麗しい貴族令息が集まっているのだ。顔や身体に傷が残っては結婚に響くと、本格的な模擬戦を行えているかどうかも怪しいものだった。
「さてと。少し体を動かしたい気分ですの。わたしもこのお遊戯に参加させてはいただけないかしら?」
そう言いながらクレアが隊長へ差し出したのは、『怪我の大小を問わず一切の責任を負う必要はない』という内容の、本日十五時まで限定の誓約書。
『お遊戯』という単語に、さすがのガイスト隊長も表情が険しいものになる。
「クレア嬢、こいつは遊びじゃねぇんですよ」
「いいえ、お遊びですわ。今の彼らを雇うぐらいなら、一人頭金貨十枚で同数の破落戸を雇って特攻させたほうが何ぼかマシでしょう?」
「俺だってかなり苦労してだな……」
「見ればわかりますわ。だからこそもったいないと思いますの。ふっくら焼けて、既にホイップも綺麗に塗られたケーキに、ちょんとイチゴを乗せに行くだけですわよ」
「そんな可愛いモンでもねぇでしょうよ……」
いつまでも受け取ろうとしない誓約書を四つ折りにし、隊長の胸ポケットに押し込むと、クレアはその場でドレスを脱ぎ始める。さすがにぎょっとしたのか、手を止める騎士達の見守る中でドレスの下から現れたのは、麻のシャツと綿のパンツ。クレアはミサから木刀を受け取ると、騎士団員達の方へと足を向ける。
「この糞ボンボン共、女々しいことやってんじゃねぇよ!! わたしが喧嘩売ってやっから、騎士団としての自覚がある奴ぁかかってきな!!」
騎士団達に動揺が走る。背後から聞こえた溜息はガイストのものだろう。
こりゃこっちから行かないと駄目かな、なんて思っていたところで、一人の騎士が前に出てくる。
「勇ましいね、お嬢さん。だが我々が振るうのは王家や市民を守るための剣だ。女性や子供に向ける刃は持ち合わせていないんだよ……っ、」
「失格――――――っ!!」
スパーンと一閃。首に木刀を振るわれた騎士は、クレアの動きに一切反応ができず、地面に沈む。クレアは地面に唾を吐き捨てると、まるで別人のように雰囲気を変え、にっこりと微笑んだ。
「クレアと申します。皆様を殲滅しに参りました。魔術でも何でも使用して構いません。第一騎士団の敗北は王家の恥を意味します。こちらはたかが小娘一匹ですので、どうぞ腕を奮ってくださいませ」
クレアが駆けだすと同時、動けたのは僅か三人だった。しかし戸惑いの含んだ太刀筋に、クレアは溜息を漏らす。
一人目の剣の横腹を弾いて軌道を逸らすと、同時に足払い。二人目の鎧の胸部を刺突で押し返すと同時にラリアット。三人目に至っては剣を振り下ろす前に、踏み込んだクレアに顎を蹴り上げられていた。
一瞬で三人が倒される光景を目の当たりにし、ようやく残りの九十六人は、クレアの言葉が伊達や酔狂によるものではないと理解する。
即座に一陣、二陣と前後に隊列を組み、後方の騎士達が魔術を構える。隊形への移り変わりについては見事の一言だった。けれどそこまでだ。一見整った連携はしかし、
「脆弱ですわ」
クレアが撒き上げた砂の目潰しで、一瞬で崩れる。
クレアの魔力量は少なく、平均の半分程度である。魔力の多い傾向にある貴族の間ではなく、魔力を持たない平民までを頭数に含めた全人口の平均のさらに半分である。
しかし、魔力のコントロールに関しては常人のそれを逸していた。
木刀の先端部に微かな魔力を込める。術式は催眠の魔術。この木刀が真剣だったならば致命傷となる場合だけ、魔術で騎士達を昏倒させる。
「失格、失格、失格、失格、失格、失格……詰まらない人たちですわね」
正面の十三人を一気に倒し、後陣へと駆け抜ける。発動直前の魔術式のド真ん中へと木刀を割り込ませ、発動を中断させる。
「発動が遅い! 狙いが甘い! 別動隊で側面から奇襲をし、敵魔術師を最優先で叩くのは戦場での常識です! 接近戦をしながら魔術を使えるぐらいになって、やっと中の下ですわよ!?」
十四発分の魔術を強制終了させたところで、十五人目が雷撃の魔術を構えているのを見る。クレアが発動直前に手の甲へと打撃を加えれば、魔術の狙いは味方へと逸らされる。雷撃の音と掌底を打ち込むタイミングが重なり、十五人の魔術部隊が全滅した。
クレアの無双は長くは続かなかった。敵が全滅したからである。
わずか十五分。
それが、クレアが言うところの『小娘一匹』に、皇族親衛隊を兼ねる帝国軍第一騎士団が全滅させられるまでの時間だった。
さらに十分後。ドレスを着なおしたクレアの前で、百人の騎士達が整列をさせられていた。シャツとパンツはすでにミサの持ってきた鞄の中だ。
結局、騎士達はクレアに掠り傷ひとつ付けることさえできなかった。
クレアは悔しがる騎士達の姿を眺め、そしてほんのりと微笑む。「その表情ができるのなら、大丈夫そうですね」と。
「今一度問います。あなたたち第一騎士団の掲げるその剣は、何のためにあるのですか?」
「王家を守るためです!」
「民の平和を守るためです!」
「我が国の秩序を守るためです!」
「素晴らしい答えです。ならばこそ、小奇麗な戦い方などやめておしまいなさい。泥臭く戦うことは無様ですか? 卑劣な手段は見苦しいですか? 傷を負うことは恥ですか? 否です。守るべきものを見誤ることこそ無様です。美しい戦い方と騎士道に陶酔し自分に酔うことこそ見苦しいです。屠るべきものを屠れず、守るべきものを守れないことこそ恥であり、そのための傷ならばむしろ誇りなさい。
自分は貴族だと言って綺麗言を並べるのは、ただの自分可愛さと自信の無さの表れです。まだそのようなものが大切だというのならば、その固執こそ醜いものでしょう。即刻騎士団など辞めてしまうべきです。そうは思いませんか?」
クレアの言葉に、騎士達のいくらかが頷く。
中には心の在り方を百八十度変えろと言われている者もいるのだ。全員が頷くとはクレアも最初から思ってはいない。それでも彼らの心に何かを残せればと、言葉を続ける。
「それは時に、色恋も一緒です。あなたたちは戦争となればその身体を張って国家を守る存在です。あなた達の妻となる者は、あなた達の綺麗な肌を恥じることはあっても、誇ることは無いでしょう。怪我を恐れて実践に近い訓練を躊躇うようならば、それは野山を走り回って木の棒を握り締めた子供のチャンバラにも劣ります。大切なのは美しい身体ではなく、気高い信念です。
美しい顔に寄ってくる馬鹿女達ではあなたたちの妻は務まりません。片腕を失い、もしくは歩けないほどの傷を負ったとしても、務めを果たした夫を優しく迎えることのできる理解者こそ、あなた方に釣り合う美しい心の女性だとわたしは思いますよ」
要約すると、『俺カッコイイな騎士ばっか、キモい!』『イケメンしか取り柄が無いチキン野郎死ね!』ということだ。
クレアは「以上、脳筋女がお送りしました。僅かでも参考になれば幸いです」と、スカートを摘まんで軽く持ち上げ、お辞儀をする。いわゆるカテーシーというやつだ。
クレアが顔を上げると、一人の騎士がクレアの前に跪いた。それはクレアが最初に薙ぎ倒した騎士だった。
「クレア様。あなたを女性と侮ったこと、深くお詫びを申し上げます」
そうしてその騎士は目を輝かせたあと、
「姐御と呼ばせてください!!」
訳の分からないことを言い出した。
「は? えっ……?」
「姐御……俺達が間違っていました!」
いや。むしろ貴族出身としては頑張ってる方だと思ってたよ?
「姐御は俺達にそれを、身を以て伝えてくれたんですね!」
そもそも負ける気がしなかっただけです……
「騎士団という肩書きではなく、本気で誇れる騎士団を作って見せます、姐御っ!!」
良いこと言ってるのに、最後の一言が余計だよね?
「「姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!!」」
そして突如として響きだす、謎のテンションの姐御コール。
「「姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!!」」
というかどうしよう! 本気で意味が分からない!!
「「姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!!」」
「クレア嬢……あんた色々すげぇな」
「ガイスト隊長、見てないで助けていただけると嬉しいです……」
「皆さん、とりあえず胴上げしましょう」
「ちょっ、ミサ、余計なこと言わないで……うわっ!!」
「「姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!!」」
「「姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!! 姐御っ!!」」
ほとんどがイケメンで構成された貴族令息集団に、ポップコーンのようにポンポンと胴上げをされるというレアな体験をしたクレア。
どうやら騎士達には女性認定されていなかったようで、「お嫁に行けない……」と呟いたときには、「ああ、そういえば……」なんて言葉が聞こえてくる始末だった。
……さすがにヒドくないですか? 泣くぞゴルァ!!
さすが、腹筋割れてる女は違いますね!
彼らの名誉のために言うと、第一騎士団は決して弱くはありません。クレアがおかしいだけです。
彼らの鍛錬が成果として現れるようシフトチェンジするには、圧倒的な説得力(物理的なものを含む)が必要だったのです。
ちなみに金貨10枚=10万円程度。
クレアの台詞は、「小綺麗な騎士を高い給料を払って雇用するよりも、容赦のないゴロツキを日雇いする方が安上がりで役に立つ」というものです。






