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学成り難し

「呂布殿。貴殿は最近陣中でも学問を好まれるとのこと。いやまさに文武両道とはこのことでございますな。」

今まで私の姿を見ただけで逃げていった文官たちが、最近あからさまに好意的な態度を取るようになってきた。

「将軍は、何を学ばれておるのですか?やはり孫子や呉子のような軍略書でしょうか?それとも史記や春秋のような歴史書ですかな?」

こんな時、俺は曖昧に返事をする。この国において学問をするということは孔孟の書を読み、忠孝の道を実践するという事なのだから。当然のことながら、先帝と太后を暗殺し、無道悪逆の限りを尽くしてきた董卓は臣下がこのような書を学ぶことを好まない。

もっとも、俺が読んでいるのは、この国のほとんどの人間が関心すら持たぬ、遠く離れた外国の書物だ。

この書が危険思想なのか、そうでないのか、読んでいる俺にも判断ができないのだから。

しかしまぁ、考えてみると、董卓に仕える将軍の胡軫や徐栄、そして華雄かゆう李傕りかく郭汜かくしのような武将たちは、一騎当千の猛将ではあるが、頭の中は空っぽだ。

ただ、頭の中まで筋肉で出来ているような胡軫と違って、徐栄将軍などはいにしえの軍略、兵法にも通じる名将とも評されているが、思想的な考えは皆無に近い。つまり、彼らは軍事技術にこそ秀でているが、董卓が皇帝を殺害しようと名士を煮殺そうと、それが倫理の上でどういう意味を持っているかなどということは考えたこともないし、その判断力もないのだ。

まぁ、そんなことを考えているこの俺こそが、元々、董卓膝下の武将の中でも「モラルハザード」の筆頭格なのだがな。

しかし、結局のところ、名士や忠臣などと自認している者たちの考える「正義」というのは、漢王朝とその利害関係者の権力と利権の正当化でしかないのではないか。

辺境の出身である俺や董卓やその一味には既存の倫理、学問は己を縛るだけで、何の魅力も、実践の必要性も感じられなかったとしても仕方がないではないか。

俺は、異国の学問を学ぶと同時に、従来の学問にはそのような皮相な印象を強めるようになっていた。






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