呂布の憂鬱
一読しただけでは、理解するのは難しいが、どうやら「アリストテレス」という学者は、我が国の「儒者」たちと少し似たような考え方をするらしい。しかし、大いに違うように思われるのは、我が国の儒者が「孝」や「忠義」と言う徳目を自分の感情や立場とは無関係な「客観的な」価値として主張するのに対して、アリストテレスは、あくまで「幸福」という主観的な要素を価値基準にしているという違いがあるようにも思われた。
何せ、俺は義父殺しをしでかした男だ。しかし、俺にも言い分はあったのだ。丁原という男は乞食同然の俺をいっぱしの武将として引き上げてくれた恩人でもあった。しかし、その恩によって俺は番犬のように振舞うことを強制されたのだ。
つまり、俺は丁原の部下として生きることが、まったく幸福とは思えなかったのである。
そんな折、名馬「赤兎」を手土産に俺を訪ねてきた同郷の李粛に「董卓に仕えたらどうだ?」と誘われ、迷った挙句、俺は丁原を殺し、董卓の配下になった。
しかしどうだ、丁原も董卓も扱いは同じ。俺はやはり都合の良い番犬なのだ。
幾たび主君を変えても、俺は「幸福」には成れなかった。